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戦地の状況、家族への思い ウクライナ避難民にどう問いかけるのか - 取材記者座談会【後編】

ロシアによるウクライナ侵攻の開始から1年が経過しました。

この1年間に来日された避難民はのべ2300人を超えます。共同通信の記者も各地で避難民の方々にお話を伺いました。

戦火を逃れ日本にやってきた方々への取材では、母国に残した家族や、荒廃する街の様子など、センシティブな話題に触れざるを得ない場面もあります。

取材記者3人の座談会では、そうした機微に触れる取材にどう向き合えば良いのかも話し合いました。

(聞き手= note 担当・禹)

座談会の前編はこちら↓

■ 記者のプロフィール/取材した方々について


大阪社会部の丸田記者(左)、小島記者(中央)、大津支局の小林記者(右)

丸田 晋司(まるた・しんじ) 1983年生まれ、横浜市出身。大阪社会部で行政取材を担当。お笑い芸人の祭典「M-1」に挑戦したウクライナ避難民のユリヤ・ボンダレンコさん(31)を取材。

小島 拓也(こじま・たくや) 1995年生まれ、新潟市出身。大阪社会部で検察取材を担当。大阪市に避難したアナスタシア・プロチコさん(9)の家族らを取材。

小林 磨由子(こばやし・まゆこ) 1981年生まれ、京都市出身。大津支局で県政などを担当。滋賀県草津市に避難したイリーナ・ヤボルスカさん(51)や、イリーナさんが立ち上げたウクライナ伝統料理の移動販売事業などを取材。

■ 家族には会いたいけれど…

――ウクライナでは総動員令が発令されており、原則として高齢者や子どもを除く男性は出国できません。夫や父親、兄弟らを母国に残して来日した方も多いと思いますが、そうした家族の状況についてお話を聞く機会はありましたか。

小島 僕はアナスタシア・プロチコさん(9)の取材をした際、彼女のお母さんに、お父さんについて質問したことはあります。心配ですかと。でも、国に残る家族のことについては、かなりナーバスになっているようで「夫の話は答えるつもりがない」とはっきり言われました。ウクライナにいるかどうかすら言えないと。

ウクライナ・マリウポリの激しく破壊された建物=2022年5月

丸田 ユリヤ・ボンダレンコさん(31)からは、ウクライナに残っている家族とは、ソーシャルメディアを通じて毎日やりとりしているっていう話を聞きました。

ただ、ご家族とユリヤさんの間には少しギャップがあったのかもしれません。私は、状況が良くなれば、すぐにでも帰国したいのかなと思っていたのですが、彼女に聞くとそうでもないようで。本人も「どういう感情なのか、答えるのが難しいです」と言っていたので、すごく悩んでいたんだと思います。

漫才コンビを組んで「M-1」に挑戦したユリヤさんと、相方の吉村大作さん

――避難民の方の中にも葛藤があるんでしょうか。日本では安全な暮らしが確保されているけれど、ウクライナでは惨憺さんたんたる状況が続いている。国に残った家族と比べると、暮らしている環境があまりに違うので、悩みを深める部分もあるのかなと思ったのですが。

小林 帰国したら家族一緒に暮らせるけれど、すぐに元の生活が送れるかというと、おそらく無理だと思います。そういう意味では、早く帰りたい気持ちはある一方で、決断を下すのは難しいのかもしれないですよね。

■ 痛みを伴う体験、記者が踏み込めるのか

――そもそも、今回の戦争に対する思いや現地の状況については、どれぐらい聞きましたか。なかなか聞きづらい部分もあったのではないかと思いますが、その辺りはどうでしょう。

丸田 私の場合は、現地で何が起きているのかや、その状況を目の当たりにしてどんな感情を抱いたかといった部分については、何が何でも聞くというようなアプローチはしませんでした。

一言では言い表せないこともあるでしょうし、私自身も、仮にユリヤさんから間接的に話を聞いたところで、はたしてどこまで実感を持てるのかという疑問があったので。そこはあえて掘り下げなかったですね。

ロシアの侵攻で大きな被害を受けたウクライナ北部チェルニヒウの街(ユリヤさん提供)

小林 私が取材したイリーナ・ヤボルスカさん(51)の場合、彼女たちが来日するまでの経緯や体験したことについては、受け入れた滋賀県の方で資料にまとめて記者クラブに提供されていたんですね。だから最初の記者会見が始まる時点で、ある程度の状況は分かっていました。

だけど、いざ記者会見になると、やっぱり「ウクライナの様子はどうなっていますか?」っていう質問が出ますよね。そういう質問があること自体は自然だと思いますが、イリーナさんの返事は「答えたくない」の一言でした。きっぱりとそうおっしゃっていました。

後日、個別取材の機会をいただいた際には、デスクから「できたら現地の様子も聞いてみて」と事前に言われていたので、私もダメ元で打診したんです。取材窓口になっていた菊地崇きくちたかしさん(イリーナさんの娘の夫)に「こういう話もお聞きして良いですか」って。

それに対して、菊地さんから言われたのは「それは聞かないでくれ。今の状況で、現地のことを教えてくれなんて言えない。それはNGですよ」ということだったんですね。そこは踏み込んだらいけない領域なんだなと改めて思いました。

滋賀県草津市で暮らすイリーナさん

――踏み込んではいけないと思う一方で、小林さんとしては、やはり聞きたい、ウクライナの現状についても語ってもらいたいという気持ちはあったんでしょうか。

小林 うーん…私はそこは無理に聞かなくてもいいんじゃないかと思っています。ただでさえ大変な思いをされているのに、あえて痛みを伴う部分について掘り下げる必要もないかなと。そこを取材するのが仕事だろという考え方もあるかもしれませんが、個人的には無理を強いるところではないと思います。

■ 世代ごとの受け止め方

――小島さんはどうですか。

小島 僕自身は、ウクライナの人がロシアに対してどういう思いを抱いているのかや、戦争自体をどう考えるのかという部分は、この戦争を考える上で本質的な問いになると思っていたので、なるべく聞くようにしていました。

アナスタシアさんのお母さんの話を聞いた時には、彼女の中の怒りを感じました。いろんなところが破壊されて、娘さんは学校に通えなくなって、父親とも離れ離れになって。そういう状況が憎いと仰ってましたね。

「バンドゥーラ」を演奏するアナスタシアさん=2月24日、大阪府八尾市

ただ、今振り返るとちょっとまずかったなと思うんですが、僕はアナスタシアさん自身にも同じような質問をしたんですよ。戦争のことをどう思うかと。そしたら彼女は「できるだけ戦争のことは考えないようにしている」と答えたんです。

考えてみれば当然なんですが、9歳の子どもにとってはすごくショックなことだし、大きなストレスになってるんですよね。今更ですが、取材方法としてこれで良かったのかな、少し軽率だったんじゃないかという思いもあります。

小林 いま小島さんの話を聴いていて、イリーナさんと一緒に避難してきた母親のギャリーナさんの言葉を思い出しました。彼女は今80代だから、子どものころに第2次世界大戦を経験しているんですよね。

イリーナさん(中央)とその家族。左は母のギャリーナさん、右は娘のカテリーナさん、後列はカテリーナさんの夫の菊地崇さん

そのギャリーナさんが、最初の記者会見の時に「まさか人生の中で、またこんな戦争を経験するとは思わなかった」って言ってたんです。絶対しちゃいけないということは、誰でも分かっているはずなのに、なんでだろうね、というようなことを仰ってて。それはやっぱり世界大戦を体験した世代の率直な意見なんだろうと思います。

■ 「知ってほしい。だから取材を受けた」

小島 戦争について聞くかどうかという話でいうと、僕はウクライナ南部のヘルソンに住んでいる現地の方にオンラインで取材したことがあるんです。ちょうどヘルソンが占領された頃ですが。

――ヘルソンの占領というとかなり初期の話ですか。

小島 昨年の3月ですね。

――侵攻直後?

小島 そうです。その頃は日本国内でも連日、ロシアに対する抗議デモが開かれていました。僕も大阪で開催されたデモを取材したんですが、その時の参加者に「現地にいる人に話を聞きたい」って言ったら、ヘルソン在住の女性を紹介してくれたんです。

ヘルソン郊外の破壊された建物=2022年12月

その女性の話は、なんて言うか、いかに自分の生活が変わってしまったかっていう訴えがずっと続くんです。こんなにひどいことをされているんだと。ロシアの戦争犯罪を知ってほしい、だから取材を受けたんだとも言っていました。

さっき、戦争についての考えやロシアに対する思いは本質的な問いだと言いましたが、僕のその考え方のベースには、彼女に取材した時の経験があるのかもしれません。

――その女性はもっともっと聞いてほしい、伝えてほしい、というスタンスだったんですか。

小島 そうですね。彼女の場合は、自分が住んでいるマンションにも爆弾が落ちたとか、そういう環境なんですよ。スーパーから一切食料がなくなってしまったとか。すぐ身近なところで大変な事態が起きていたんです。

■ ネットワークにつながる

反戦のメッセージを掲げ、デモ行進する人たち=2022年3月、東京

――現地に残っている人と、外国で避難生活を送る人とで、メディアに対する期待は違うのかもしれないですね。

小林 避難民の方でも、人によると思うんですよね。イリーナさんたちには、取材を受けることで日本の人に自分たちの現状を知ってもらいたい、ウクライナの人たちにも日本で頑張って生活していることを知ってほしいという思いがある。だから取材を積極的に受けてくれるんですね。

一方で、別の避難民の方にアプローチした時には「もう他のメディアからも取材されて疲れました。静かにしてください」と言われたこともあります。あるいは、受け入れ自治体の滋賀県には所在を伝えているけれど、報道機関には名前も住んでいるところも明かしたくないという人もいますね。

――その辺りは、他の取材についても言えることですよね。事件や事故に巻き込まれた日本人を取材する時と、基本的には一緒なのかなと。

丸田 私はユリヤさんの取材を通じて、ウクライナの方は比較的、取材に寛容なのかなと感じた部分がありました。実際、彼女はそこまで悲観的なムードではなく、前向きに自分が頑張っていることについて語ってくれたので。

でも、小林さんが言っていたように、避難民の中にもそっとしておいてほしいという人がいるというのは大事なポイントですよね。それは忘れてはいけないなと思いました。

――どんな方にお話を伺うべきかを考える上では、小島さんが取材した「日本ウクライナ文化交流協会」のような、在日ウクライナ人や避難民の方たちのネットワークにつながることが大事かもしれないですね。

小島 そうですね。協会は取材を受けたくない人とも、話を聞いてほしい人ともつながっているので、何かを取材したいという時には、そういった団体を通じてアクセスすることが有効だと思います。

丸田 私たちメディアの側も、今回取材させていただいた皆さんの状況が変わっていないかとか、何か困難に直面していないかとか、定期的にフォローすることで新しい視点が見えるかもしれないですね。そういう中長期的なアプローチを大事にしたいなと思います。(終)

2月24日に開かれた「日本ウクライナ文化交流協会」のコンサートで、アナスタシアさんが民族楽器のバンドゥーラを演奏しました。動画はこちら↓

イリーナさんやユリヤさんに関する記事はこちら↓


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