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読書日記 2023年8月その②SFあれこれ

気付けばもう、8月も残りわずかですね。
昔は9月1日が2学期の始業式という学校がほとんどだったかと思いますが、今は8月後半に始業式がある学校も多いようで。
通勤電車にも、学生さんの姿がちらほら戻ってきています。

さて、このところSFをあれこれ読んでいましたので、その感想を。
(と言っても、雑誌1冊とアンソロジー1冊なんですが……私にしてはたくさんSF読んだな~、という感じなのです)

『紙魚の手帖 夏のSF特集号Genesis』vol.12(東京創元社)

『紙魚の手帖』。表紙が可愛い。イラストレーターはカシワイさん。

まずこちら、『紙魚の手帖』はエンタメ系小説の雑誌。
幅広いジャンルの小説が読めて楽しいので、創刊号から愛読しています。
毎号、何かしらテーマを決めての特集号が多いです。
今号はSF特集でした。
短編小説9編と、第14回創元SF短編賞受賞作が掲載されています。

もっとも印象に残ったのは、やはり受賞作の「竜と沈黙する銀河」(阿部登龍)
強い熱気を感じる作品でした。

以下、選評からあらすじの抜粋です。
<主人公は竜レースの騎手となるべく生まれたが、残酷なスポーツと見なされ竜レースは廃止される。大人になり、母国を離れ、拡張ワシントン条約事務局の査察官となって違法な動物取引を捜査していた主人公は、竜レースの復活をもくろむ「女王」と呼ばれる人物を追って母国に向かう……>

こちら、短編の賞なので最大でも400字詰100枚までの長さのはず。
ですがその短さの中に、ものすごくいろいろ詰め込まれているな!という印象。
それが「ちょっと詰め込みすぎじゃない?」という悪い印象ではなく、「これを読んでほしい!詰め込んじゃったけど、読んで!」という熱気として感じられました。
(新人賞を獲るには、これくらいの強い気持ちが必要なんだな……と、最近はすっかり新人賞への応募から遠ざかっている身としては、いろいろ考えさせられちゃったり)。

ちなみに、選考委員・宮澤伊織さんの選評はウェブマガジンでも読めます。

SFに限らず、エンタメ系新人賞への応募を考えている方には参考になるんじゃないかな、という内容でした。
「今の世の中、創作は誰でもできる」けれど、「商業で小説を書こうという人間が、頭一つ抜けるような、力のある作品を書くために必要なのは(中略)誰にも真似できない何かだ。私はそれを殺意と呼ぶ」
といったくだりなど。

その宮澤伊織さん、「裏世界ピクニック」などのシリーズ、私、とても大好きなのですが。
今号には別シリーズ「ときときチャンネル」の最新作「登録者数完全破壊してみた」が掲載されていました。
こちらは動画配信の体裁で書かれていて、配信者・十時さくらが同居人・多田羅未貴(マッドサイエンティスト)の研究や発明を紹介する、という内容。
二人の会話がとにかく可愛くて面白い。
かつ、時間の結晶とか高次元の粒子間ネットワークとか、普通に読んだら難しそうなSFトピックを、二人のやりとりに動画視聴者からのコメントを交え、わかりやすく読ませてくれます。
(会話文だけでその場の状況をクリアに描き出す、というのは実はかなり難しいと思うのですが、さすが)。
10月に書籍化予定とのことで、あらためて読むのが楽しみ。

そのほか印象に残ったのは、以下の作品。

「扉人」(小田雅久仁)
ごく普通の恋人、と思っていた相手が実は「扉人」という存在だった……。
この方の作品、どれも日常的な雰囲気から始まるのに、とてつもなく壮大な異世界へつながっていくのでいつも圧倒されます。

「手の中に花なんて」(笹原千波)
肉体を捨て、情報人格となって生きる選択ができる未来。
認知症の進行を止めるため情報人格となった祖母、彼女に会いに行くために仮想世界でのアバターを作った14歳の優花。
二人の感情のやりとり、また、仮想世界で情報人格として暮らす人々との触れ合いが繊細に描かれています。

詳細は省きますが、以下の三作品もよかったです。
「この場所の名前を」(高山羽根子)
「記憶人シィーの最後の記憶」(柞刈湯葉)
「英語をください」(アイ・ジアン、市田泉・訳)

初めて読んだ作者さんもいました。
いろいろな作品に触れられるのが雑誌の良いところですね。

『京都SFアンソロジー ここに浮かぶ景色』(井上彼方・編/KaguyaBooks発行、社会評論社発売)

『京都SFアンソロジー』。予約特典のミニノートが可愛い(ミニチュア好き)

短編小説が8編収録されています。
編者さんの「序」によると、「京都にゆかりのある八名の作家が、それぞれの〝SF的な想像力〟によって京都という土地に積み重ねられてきた記憶や出来事に接近し、京都に浮かぶ様々な景色を描き出した」とのこと。

ガチなハードSFはどちらかというと苦手なほうなので、〝SF的な想像力〟というやわらかな言葉が、なんだかいいなあ、と思いました。
収録作品も、全体としてやわらかい印象の物語が多いように感じました。

どの作品も面白く読んだのですが、特に好みだったのは次の3編。

「京都は存在しない」(千葉集)
タイトル通り、「存在しない」京都の物語。
1945年に京都は「虚無の柱」と化してしまった。誰もその中には入れない。にもかかわらず、その存在しないはずの京都を「視た」人々が現れる。
二十歳前後の四年間の記憶として降ってきた記憶を、エッセイや小説の形で、人々は書く。
彼らは「視た勢」と呼ばれるが、実はその中には、京都の記憶がないのにさも視てきたかのように書く「視てない勢」がいて……。
収録作品中、一番好きな設定でした。
青春時代の甘くほろ苦い記憶のまつわる場所として、京都はよく似合うなあ、とあらためて思いました。
もし自分もそこに暮らしていたら……と記憶を捏造してしまいたくなるのが、なんとなくわかります。

「おしゃべりな池」(野咲タラ)
これも記憶にまつわる物語。
かつて存在した巨大な池、干拓事業によって今は失われたその池の記憶が、普段は無口な祖父の口から語られる。
「池の亡霊の言霊」は、池の周囲に暮らす者たちにかつての池の様子を語らせ、幻としてその情景をよみがえらせてしまう。
祖父が主人公の前で初めて池の記憶を語るのが、大山崎山荘美術館の睡蓮の絵の前。
睡蓮の絵と、かつてレンコンを育てていた池の情景とがオーバーラップしていく様子が幻想的で、しかも楽しい。
昔の風景や人々の暮らしを、こんな風に目の当たりにできたらいいなあ、とうらやましくなってしまいました。
その後には池で暮らしていた生き物たちも出現。
祖父の訥々とした語り口もあって、まるで幻想的な童話のような味わいのお話でした。
ラストの祖父の言葉は、もしかしたら安堵してのものだったのかもしれません。
でも私には、どこか切なく感じられてしまいました。

「立看の儀」(麦原遼)
これは遠い未来の物語。
立看(たてかん)といえば大学などでよく見られるアレですね(特に京都大学が有名)。
どうやら過去の立看の文化や知識が正確には伝わっていない様子の未来。
年に一度、立看を設置する儀式が行われています。
かつて京都大学があった跡地に、立看製作所で働く主人公と先輩が、顧客から制作を請け負った立看を「供え」にゆく。
祭りとして様式化された現在の「立看の儀」に対し、先輩は思うところがあるようで……。
現在から何年後、と具体的に書かれてはいないのですが、空中を走る車などが登場するので、かなり科学技術の発達した未来のようです。
そこに暮らす人々も「ヒトビト」と表記され、もしかしたら今生きている人間とは違う存在なのかもしれない。
そうした世界そのものの描写も好きでした。
今、当たり前のように身の回りにあるさまざまなものが、遠い未来ではどのような存在に変容しているのか。
そうした思考をめぐらせる場としても、古い歴史を持つ京都はふさわしいのかもしれません。

ちなみに私は大阪生まれの滋賀県育ち、結婚して大阪へ舞い戻り現在に至る、という来歴でして。
滋賀にいた時も現在も、住んでいるのは京都寄りの地域です。
そのため、京都市内及びその近郊へは、ちょくちょく買い物に行ったりご飯食べに行ったり美術館や寺社仏閣めぐりをしたりしています。
(上述の大山崎山荘美術館へも行ったことがあります。睡蓮の絵はもちろん、建物も素敵。)
そうそう、文学フリマ京都へもお邪魔していますね。
でも、ただの一度も京都に住んだことはありません。
なので、
「私としてはわりと親しい仲だと思っているんだけど、本当はあなたのこと、よくわかっていないかもしれないわ……」
京都に対しては、どこかそんな気持ちがありますね(どんな気持ちだ)。

このアンソロジーを読んで、さて私は京都をよく理解することができたのか、どうか。
それはわかりませんが、京都、やはり魅力的な土地だなと再認識させてくれる、良きアンソロジーでした。

(了)





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