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私がSNSをやらない理由

定期的にお客さまから聞かれる「私がSNSをやらない理由」について今日は書いてみようと思う。

いきなり話が脱線してしまうけど、私は美味しいご飯屋さんを知らない。よくお客さまから「詳しそう」と言われるが、いわゆる人気店や有名店、流行りの店を全くもって知らない。
なぜかというと、そういうものに全く興味がなく、どこで何を食べても美味しく食べられるので、新規開拓のためにわざわざ調べたり、食事目的で遠くまで出かけたことがこれまで一度も無い。たくさんのお店を知ることよりも、近くのお店に通って色んな料理や働いている方を知ることのほうが私には合っている。
なので外食をするのは自分が住んでいる街か働いている街で、今は浅草を満喫している。ニシヤの地元のお客さまに教えていただいたり、行った先のお店から紹介していただいていると自然と結構な数になってくる。
外食の楽しみは人それぞれあると思うけど、私は「人に会えること」が一番の楽しみだと思っている。通っているお店でどんな料理が楽しめるか、と同じように店主や従業員、そのお店のお客さまに会えることが楽しい。その場限りの会話だったとしても妙に心が満たされた気分になる。会える会えないは別として、そんな期待を持てるのは特別なことに思う。

近所の生駒軒、店主のご夫婦は舌も心も満たしてくれる


ニシヤを開業する少し前に「コーヒーハウスニシヤ」の宣伝目的のために西谷恭兵でfacebookを始めた。はじめはよくわからないながらにあれこれ投稿していたけど、正直楽しめなかったし、気持ちが全くついていかなかった。後に始めたInstagramも同様に。
ニシヤを開業した当時はフォローバックを心がけていて、お客さまの投稿を義務的に追っかけていた。それが良いことだと思っていたし、仕事の一環と思っていた。でもこれも続かず途中で全てのフォローを外した。

対面カウンター

対面カウンターで仕事をするうえでお客さまの「事前情報」を仕入れないようにしている。


ものづくりで大切にしていることはたくさんあるけど、食材の「鮮度」はランキング上位である。「旬」や「質」も同じくらい大切だけど、この三つで二等辺三角形を作るとしたら頂角は鮮度である。仮に旬や質が間違っていても鮮度が正しければ良いものは作れるけど、旬や質が良くても鮮度が間違っていたら良いものは作れない、絶対に。ものづくり同様、接客においても「鮮度」はとても重要で極めて繊細なものだと考えている。
SNSがなかった時代、はじめて対面するお客さまはもちろん、複数回お会いしているお客さまとの会話にはいつも「知りたい」気持ちが寄り添っていた。
「この人はどんな人だろう」「どうしてニシヤに来てくれたのだろう」「何をお求めになっているのだろう」「久しぶりだけどその間何をしていたのだろう」「悲しそう、嬉しそう」といった具合に、手足をフル回転させながら頭の中は冷静にお客さまを知るタイミングを計っている。きっと同じように、お客さまも私からのきっかけを少しの緊張と小さな期待を持って待っていると想像する。
ところがSNSを介してお客さまの事前情報を持っていると「知っている」ところから始まり会話の中心はSNSで仕入れた情報の確認作業になってしまい、反応が単調になってしまう。
わかりやすい例をあげるとしたら、遠方のお客さまが数年ぶりにニシヤに来たとしても「東京で仕事でしょ、来ると思ったよ」となってしまう。結婚したこと、子供ができたことなどの嬉しい情報は対面ではじめて知って、うるさいくらいに鮮度の良い反応がしたい。ニシヤのカウンターで私がめちゃくちゃ声デカくリアクションしているのを見たことあると思うけど、あれやらせじゃないです。

店の顔

知っていた方が良いこと、そうでないことを自分なりに整理をして、「見て話す」ではなく「会って話す」を大切にしています。
「いらっしゃいませ」から始まる「知りたい」を胸に今日もカウンターでお待ちしています。


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