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中途半端でいいという話。

私は中途半端だ。それがずっとコンプレックスで、嫌だった。でも、今はそう思っていない。これは、自分はずっと中途半端。それでいいんだと気付くことができた、そのきっかけの話です。

尖った人生を送る人。

「チンドン屋」という存在をご存知でしょうか。

商店街の中で新店舗がオープンした時など、数名で派手な衣装を纏い、太鼓や笛でひょうきんな音楽を奏でながら、チラシを配り歩く日本の昔ながらのいわゆる街頭広告代理店。のような存在です。

古来からの伝統芸能の文化ともいえますね。数は少ないと思いますが、今でも活躍しています。誰でも一度は街中で見かけたことがあるんじゃないでしょうか。

私が実際に「チンドン屋をやっている人」を知ったのは、テレビ長崎で働いたことがきっかけでした。

それが、かわち家の、河内隆太郎さん。(お写真は上記HPから拝借)。

もう本当にもの凄いお方で、どれくらい凄いかというと、年に一回開催されている全日本チンドンコンクールという「チンドン屋の日本一」を決める大会で、これまでに何度も優勝する、というとんでもないお方です。

日本の伝統芸能で日本一、ということは、世界一ということ。むちゃくちゃ最高です。

どんな人生を歩んだら、こんな人生になるんでしょうね。(変な日本語。汗)

長崎には比較的「無難な人生」を歩む人が多いです。それが良し悪しという話ではなく、純粋にそういう人が多い。そんな中で、このかわち家さんは、どんだけ尖った人生なのかと。

そんな「世界一」の人が長崎で、しかも自分の目の前にいる。20そこらの世間を知らない若造にとって、それがどれだけの刺激か。

当時の私。22歳。

さて、ちょっと回想します。

かわち家さんに出会った当時の私は22歳の大学4年生でした。

そして、テレビ長崎の夕方の情報生番組の制作スタッフでした。

奨学金を貰っていましたが、その奨学金は親の借金の返済に全額あてて、バイトで学費を稼いでいました。騙し騙し学生生活を続けていましたが、いよいよ学費が払えなくなり、3年生に進級する時に1年間休学して、東京に出稼ぎに行くことにしました(正確には横浜。その時の話はまた別に)。国立大学は、私立大学と違って、休学中の学費を払わなくて良いのです。

そして1年間都会でお金を貯め、長崎へ帰郷し復学しました。

でもやはり生活は大変だから、引き続き稼がないといけない。そこで、

「大学3年生の時に、大学4年生の授業も同時に履修させて頂き、大学4年生の時には、大学に全く行かなくても、在籍しているだけで卒業できる状態にしてもらおう。」

と考えました。マジで今思えば無茶苦茶な理屈ですよね。4年生の授業を3年生の今受けたいです。という。

「4年次に取得すべき履修必須の単位」を担当する大学教授は、総勢6名ほどでした。その全員に対し、個別にご挨拶に伺い、生活状況や、来年は4年だけど働いて生活のために稼がないといけない事を必死に伝え、頼み込んで特例で4年生の中に混じって授業を受けさせて貰いました。そしてその評価を、翌年、大学4年生の時に出してもらう。という条件にして頂きました。

本当に、よく出来たなと思います。先生方のご理解、サポート、柔軟性に感謝の限りです。

しかし、それからは本当に大変です。なんせ2年間かかる授業や単位を、1年間に凝縮するので、授業の出席も隙間なし、日々レポート提出に追われました。一日でも休んだり、レポートの内容が適当だったら、今の特別待遇は無しになります。寝る間も惜しんで、必死にしがみつきました。(アルバイトもガッツリしてたから、3年生の時の平均睡眠時間は5時間とかだったと思う。)

そして4年生に進級。単位の取得の必要がない=大学に一日だって行かなくても卒業できる状態。になることが出来ました。

そして、では仕事は何をしようかな、と考えていた時、市民参加舞台(長崎を文化活動で盛り上げようという取り組みの一環)の活動を通して知り合った、当時のテレビ長崎の番組レポーター。鈴ちゃんに声をかけて頂き、番組プロデューサーとの面談を経て、「現役学生なのにフルタイムの番組制作スタッフ」という、全く前例のない、特例中の特例の待遇で採用して頂きました。

二足のわらじで大変な状況に。

平日毎日放送される生番組の制作スタッフ、という仕事は、本当に大変な仕事です。そして、とても刺激があって面白い仕事。

明日放送の映像を編集しながら、明後日取材に行くアポを取って、今日夕方からの放送に備える。みたいな。

毎日が違うこと。という、本当に刺激的な職場でした。

私はフロアディレクターとして、カメラ横に張り付き、時間の進行管理やCM中の次のコーナーの準備など、スタジオにいるMCやゲストと、サブ室にいるプロデューサー達とを繋ぐ要のようなポジションを多く担当していました。

本当に失敗ばかりで、放送事故寸前というか、放送事故になったこともあります。

怒られてばかりの日々。

そしてちょうどその頃、大学の同ゼミ生達からも、不満の声が広がっていました。

曰く、

「私たちは毎日大学のゼミに顔を出して頑張っているのに、なぜ吉本は一日も来ないのか。全く顔を出さないのに単位が取れるって、不公平!おかしい!」とのこと。

いやいや、あんたらが3年生の時に、毎日飲んで遊んでた頃、自分は必死に4年生時の分のレポートも仕上げて、ゼミの活動にも関わって、その結果があって今なんですよと。

でも、学生達の不満の声は広がるばかりで、先生さえもやっぱ吉本学校に来ないとダメだよ、と手のひらを変えて言いだす始末。

いやいや、もう授業は昨年受け終わってますから!とは思うのですが、でも特例で認めて頂いている立場なので強く出ることもできず、朝からテレビ局に行って仕事。夕方の番組終了後、19時20時ごろに大学に行って、それから夜遅くまで活動。そして翌朝はまたテレビ局へ。という、結構ハードな日々を過ごすことになりました。

制作スタッフとしても、失敗ばかりで迷惑をかけまくって怒られまくっている。

大学生としても、同級生からは嫌われ、あからさまなシカトや聞こえる声で悪口を言われながら、それでも歯を食いしばってゼミに顔を出している。

という、

どっちも中途半端で、どっちもダメダメで、関わるみんなに嫌われて、自分はもう何をやっても中途半端なんじゃなかろうかと、何もかもダメになるんじゃないかと、一人悔し涙を流していました。

そんな頃です。

世界一の人。に人生相談。

私は基本的にスタジオでフロアディレクター、なのですが、週に何度か、中継担当ディレクターも勤めていました。

かわち家さんはその頃、月に何度か、中継でスーパーのお買い得情報を伝える、というコーナーの準レギュラー出演をなさっており、私はその中継担当ディレクターとして何度も現場でお世話になり、仲良くさせて頂いていました。

とても気さくなお人柄で、おちゃらけているようで、でも頭の中ではいつも深く物事を考えていらっしゃる方で、お話がとても上手で面白い人でした。辛い毎日でしたが、中継の時にはいつも笑わせてもらいました。本当に、いつも笑ってた。

事前のリハが終わり、中継コーナーになるまでの待ち時間の時、ふと、かわち家さんに、自分がどんなにダメダメな状況で、皆に迷惑をかけているのか、という話をしました。何がきっかけだったか思い出せません。なぜかそういう話になりました。

「中途半端な今の状況をどうにかしたい。今の状況を続けても、テレビ局の仕事も大学のゼミも、どちらもダメになりそう。大学を留年する訳にはいかないから、番組スタッフをやめるべきかもしれない」

正直辞めようかとも考えていて、相談するつもりもなかったのですが相談してしまいました。

そこでかわち家さんに言われたのが、

「中途半端でいいじゃない。中途半端の何が悪いの?」

と。

「中途半端じゃなくなるためには道を極めるしかなくなるでしょ。道を極めた人って何人いる?道を極めるって本当に大変よ。そこら辺の人みんな中途半端なんだから。俺も中途半端だもん。道を極めた人、それ以外はみんな中途半端、道半ばなのよ。」

と。

言い方やらはちょっと違うかもしれないけれど、ニュアンスとしてはそのようなことを言ってくれました。

本当に、むちゃくちゃ響いた。頭をガーンと揺さぶられた。

一つの道をずっと歩んできた方が。

その道で評価を得て、日本で指折りの第一人者という地位までも登りつめた方が、自分もまだ中途半端なんだと。

そして、それでいいんだと言ってくれた。

中途半端でいいんだよ。

みなさん、知っていましたか?

中途半端って、誰だってそうなんですよ。

あなたの周りの、偉そうにしているあの人も、悩みが一見なさそうなあの人も、みんな。

みんな中途半端なの。実は。

目が覚める思いでしたし、何でもかんでも達人のように小手先でうまく回そうとしていた自分はなんて思い上がっていたんだと、そう思いました。

迷惑をかけるかもしれない、怒られるかもしれない、

でも、中途半端でいいんですもん。

意地でもぶつかって、しがみついて、挑戦するのを楽しまなきゃ。

自分がテレビ局スタッフなのか、大学生なのか、中途半端だと悩んでいる暇なんてないんだと。そもそもそんなことで悩む必要なんかないんだと。

だって、みんな中途半端なんだから。

それからは仕事と大学と、それぞれでうまく気持ちのスイッチを切り替え、集中力高く取り組むことができるようになりました。少しずつ周囲の方からも評価をして頂けるようになり、モチベーション高く、最後まで走りきることができました。

この、とある日の中継本番待ちの休憩時間に頂いた言葉で、私がどれだけ救われたかは、実はあまり周囲の人には言っていませんでした。

実は、こんなことがあったんですよ。自分の中では忘れられないことですが、恐らくかわち家さんは覚えてないだろうな。それくらい、さりげない一言でしたもん。意識せずぽろっと出てくるくらい、本当に本心からそう考えていらっしゃるんだなと思います。


自分は中途半端だと悩んでいる人がいたら、このお話で、その肩の荷が少しでも降りるといいなー。

そんな話。長文失礼しました。










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