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家族は武蔵野線に乗ってディズニーランドへ行き、私は野岩鉄道6050型に乗って檜枝岐村へ行く

「パニック、パニック、パニック、みんなが慌ててるー」
 夜明け前の春日部駅のホームに、クレヨンしんちゃんのテーマ曲を使った軽快な発車メロディが流れ、成人式後の徹夜明けなのだろう、スーツやドレスで着飾った集団がドタドタと車内に飛び込んできた。

 三連休の最終日。妻と息子はスイミングスクールの友達グループとディズニーランドへ行くという。自由な一日を過ごす千載一遇の好機来たり。日帰り乗り鉄旅へ行こう。しかも、今回は思い切ってしまおうと思った。
 特急サンダーバードの車窓から見る琵琶湖は日本屈指の車窓だと私は思う。この三月に迎える北陸新幹線敦賀延伸でサンダーバードは大阪から金沢まで行かず敦賀止まりになるも車窓から眺める琵琶湖は変わらないとはいえ、サンダーバードの区間短縮前に乗りたいと思っていた。金沢駅在来線ホームの和風の発車メロディを生の耳で聴く機会がなくなるという、甚だ珍妙な理由である。
 東海道新幹線に乗り、京都で途中下車。哲学の道を思索に耽りながら散策し、その思索の結果として京都駅に戻って買うべき駅弁を買い求め、サンダーバードのD席に座る。谷村新司の「北陸ロマン」の車内メロディが流れ、山科のトンネルを抜けて滋賀県に入れば、車窓に広がる琵琶湖。駅弁の包装を解いて、ビールの缶をプシュッと開ける。暖房はよく効いており、福井県が近づくあたりで窓の外は雪へと変わる。

 つい先日石川県で大きな地震があった。まだまだ被害の広がる中で、呑気に乗り鉄旅をしてよいものか。サンダーバードが金沢に着いて、お金を落とせばよいのでは。乗り継ぎの都合で駅弁と追加の酒を買うことくらいで、買う駅弁は越前かにめしと決めている。金沢駅で買ったとしても、実質福井に金を落とすのである。
 そして、特急サンダーバードの車窓の魅力を熱弁してもまるで興味を示さない家族も、「京都へ行く」と行ったら、家族の反応はいかがだろうか。「私たちの楽しみを凌駕する楽しみを謳歌するつもりか。薄給のくせに」と批判の目をしてくるに違いない。
 副案として、野岩鉄道の旅も考えてみる。野岩鉄道に残る、東武日光線快速で使われていた6050型という車両に乗りたいとも思っていた。四人掛けのボックス席という古風なスタイルで、ほとんどが北千住から春日部まで一気に通過する日光鬼怒川観光用途の快速として使われていたために乗る機会はあまりなかったものの、塾帰りの21時台に一本だけこの車両を使った下りの準急新栃木行きがあり、たまに狙って乗車しては束の間の旅気分を味わったものだった。
 野岩鉄道は人里離れた県境の山の中を走る完全なる秘境ローカル線。浅草から直通の特急が走るものの、いつまで6050型が残るか分かったものではない。この機会に乗るのもいいのではないか。
 そして終点の会津高原尾瀬口まで行けば、ちょうど良い時間帯に檜枝岐村へ行くバスがあった。
 檜枝岐村。夏は尾瀬の玄関口として、そして檜枝岐歌舞伎が行われる日は観光客で賑わうという。されど、日本で最も人口密度の低い秘境の村である。冬は尾瀬への観光も閉ざされるので、奥深い山の中の行き止まりの村。バスも一日に二本しかない。
 小学生の時、寂れた旅の好きな父と兄だけで檜枝岐の民宿に泊まった思い出があり、いつの日かふらりと行ってみたいとも思っていた。
 野岩鉄道と檜枝岐。これならば、家族に羨ましがられることなく、ただ奇異の視線を送られるのみ。

 サンダーバードと野岩鉄道。いずれも捨てがたく、昨日一日逡巡して結論が出ず、逡巡しているものだから寝つきも悪く、ほとんど眠れずに朝四時二十分にベッドより這い出た。
 野岩鉄道の場合、6050型と檜枝岐を実現するためには朝五時十一分発の武蔵野線で出発しなければならず、昨晩のうちに妻に「早朝に出て行く」とは伝えておいた。ただ、まだ行き先は決めていない。
 寝癖を適当に直し、歯を磨き、服を着替え、昨夜のうちに用意していたリュックを背負い、今日の古紙回収に出す新聞紙を玄関先に出し、ポストから朝刊をポケットに突っ込んで家を出たのは朝四時五十分。
 誰も歩いていない暗い道を駅まで歩いている間も、サンダーバードか野岩鉄道か逡巡する。
 JRの指定券は朝五時から発売開始。駅に着く前に五時になったので、スマホでJR東日本のえきねっとを開き、とりあえず特急サンダーバードと北陸新幹線の指定席が取れるか確認する。サンダーバードのD席も北陸新幹線の窓際席も空いていた。調べているうちに駅の改札前まで辿り着いた。意を決して購入ボタンを押す。クレジットカードの登録を求められた。クレジットカード情報を入力する。決済に失敗する。再入力する。決済に失敗した。
 東海道新幹線の出る東京方面に向かう京浜東北線大船行きの発車時刻も五時十一分。檜枝岐に向かうための武蔵野線も五時十一分。もうすでに五時八分だった。いまさらクレジットカードカード情報を再入力する気にならず、意を決して武蔵野線ホームへ駆け上がった。

 南越谷駅の指定席券売機で、帰りの下今市から浦和まで乗る特急スペーシア日光の指定席特急券を購入する。京都&サンダーバードには新越谷から東武線の上りに乗ればリカバリーできるものの、後顧の憂いを断つ。
 休日のまだ闇に眠る早朝。そんなに人はいないと思いきや、東武線のホームに上がると、スーツを着た若い男と、ドレスを着た若い女の集団がいた。
 成人式終わりの徹夜明けの帰りだった。
 新越谷駅五時二十九分発の東武スカイツリーライン区間急行南栗橋行きに若者の集団とともに乗る。

 越谷、せんげん台と続く越谷市内の駅で若者が降りると、その次の春日部で再び成人式帰りの若者の集団がガヤガヤと乗ってきた。ところてんのようである。
 東武動物公園、杉戸高野台で若者の集団が一人、二人と降りて行く。
 着飾った女の子が「これから先、良い人生を!」と降りて行く仲間と手をタッチする。
 幸手で若者の集団が全員降りて、車内は静かになり、次の南栗橋で乗り換え。
 向かい側ホームに停まっている東武日光線の普通東武宇都宮行きの普通に乗る。少し前ならば、この駅から6050型に乗ることができた。普通電車とはいえ、ボックス席で肘を窓枠に置いて、外をぼんやりみながらの乗り鉄旅の醍醐味であった。しかし、いまや旧地下鉄日比谷線直通の通勤電車そのものの車両に置き換わってしまい、旅情はない。六時ちょうど発。
 東京から出る始発ののぞみも六時ちょうど発なんだよなと、ふと思う。

 暖房があまり効いておらず、底冷えがする。暗闇の中を利根川を渡り、群馬県をかすめて、栃木県に入れば、少しずつ東の空が赤くなってきた。田畑の向こうに徐々に筑波山のシルエットも浮かび上がってきた。のぞみに乗っていたら、今頃見える山は丹沢を過ぎて箱根の山なのかなと、ふと思う。
 栃木着六時三十六分。
 階段を駆け下り、トイレへ行く。
 朝食どころが水も一滴も飲まずにここまできた。ほとんど寝ていないため、腹も減ってきた。
 次に乗り換える普通東武日光行きの列車を見て、驚愕した。先ほどまで乗ってきた同じ車両だが、外はいちごのラッピングがされ、いちごだらけのファンシーな内装。その名も「ベリーハッピートレイン」。
 同じ車両に乗っているのは私と、そして新越谷からずっと乗り合わせている山に向かうだろう格好をする中年の男だけである。六時四十三分にベリーハッピートレインは出発する。この電車も暖房が効いておらず、底冷え。

 中学、高校の同級生のベリー北山(由来はveryという副詞ではなく、ストロベリー好きという角刈りメガネ男子)を思い出す私を乗せたベリーハッピートレインは、駅に停まるごとに出勤する人、部活に行く学生を数人集め、新鹿沼でそれらを吐き出し、再び出勤する人と部活へ行く学生を集め、古風なディーゼル機関車と青い客車が停まる下今市には七時三十二分着。
 重い雲からはパラリと白い粉が降っていた。ホームの自動販売機でほっとゆずを買ってまずは手を温め、対面のホームに停まる東部鬼怒川線の普通新藤原行きに乗る。
 次の電車はベリーハッピートレインではなく、再びのシルバーの車体に紺と黄色の帯を巻いた元地下鉄日比谷線のノーマルな通勤電車である。七時三十七分に出発する。接続はいい。

 東部鬼怒川線の小さな駅をこまめに停まる。大桑駅で乗ってきたロングシートの対面に座った中年の男女の話す言葉のイントネーションに、それなりに遠くに来ていると思った。
 鬼怒川の渓谷を渡るころにはまったく雪は積もっていなかったものの、二駅先の鬼怒川温泉が近づいてくると地面はうっすらと白くなっていた。数少ない乗客のほとんどは鬼怒川温泉で下車した。対面の中年の男女も下車していく。
 鬼怒川温泉の廃墟ホテルが車窓を流れ、鬼怒川公園、そして終点の新藤原に到着したのは八時九分。数キロ程度の距離を進んだだけなのに、大粒の雪が舞っていて、完全なる雪国になった。
 雪の積もるホームの対面には、無骨な顔をした6050型が二両編成のこじんまりとした車体を震わせながら停まっていた。

 もしクレジットカード決済が通っていたら、ちょうど暖房の効いた新幹線が京都に着く時間である。通らなかったばかりに、底冷えのする通勤電車でほとんどの道中を各駅停車で同じ時間を移動してきた。少し恨めしい。とはいえ、銀世界を見て、旅気分が湧いてきた。
 新藤原から先の野岩鉄道はSuicaを使えないため、一度駅舎の改札を出て、窓口で野岩鉄道一日フリー切符を購入する。二千百円。途中下車はしないが終点の会津高原尾瀬口までの往復の普通料金は二千百八十円なので、八十円お得。駅員は端末を操作して吐き出したレシートの簡素な切符を私に渡す。
 積もった雪で滑らないように気をつけながらホームに戻り、6050型の車内に入る。
 懐かしい、昔ながらの赤いボックス席が整然と並んでいる。そして、ようやく暖房がよく効いている車内にたどり着いた。

 八時十七分発普通会津高原尾瀬口行き。この次の普通は十五時十四分発で、6050型に乗るためには、実質的にはこの電車しかない。
 列車は出発すると、すぐに長いトンネルに入る。トンネルが一本、しかも長さ四十メートルという関東平野の象徴たる東武線の旅が終わったのだ。ここからは栃木県と福島県境の山の中に入って行くのだ。
 川治温泉、湯西川温泉と名湯の最寄駅が続く。一九八六年に開業した高規格路線のため、長いトンネルを突き抜け、谷を直線に進む。JR東日本のボックス席とは違う、フカフカのボックス席の車窓は雪で埋もれている。次の中三依温泉で行き違いでやってきた列車は会津若松からの快速AIZUマウントエクスプレスのディーゼルカー。
 その前面は雪がこびりついていて、この先は思った以上に雪が深いようだった。ここまでの雪国へ向かう覚悟はできておらず、電車やバスが止まったらどうしようと少し怖くなる。
 上三依塩原温泉口を出ると、一切の人家は消える。田畑もなくなる。人の手が入っている人工林か、原生林かを区別できるほど、山に詳しくない。シカやクマ、猿がいつで出てきたもおかしくない山中である。
 この車窓を肴に日本酒は至高であるが、ここまで酒を用意できていないし、まだ朝だ。
 普通電車なので、東京から一番近い秘境駅といわれる標高七百五十九メートルにある男鹿高原にも丁寧に停まり停まり、県境の山王トンネルを抜けて東北地方に入ると、少しばかり坂を下り、会津高原尾瀬口駅に到着した。八時五十三分定刻。電車から降りたのは、私の他に、初老の地元ぽい人の二人だけだった。

 構内踏切を渡り、入った雪を被った古い駅舎の中は、石油ストーブがよく効いていた。初めて降りる駅だ。
 すぐに駅へ出て、一人歩く渡り通路は冷え切っていた。階段を降りる。併設されている観光物産店の前にバス停を確認する。除雪車が雪をかく。会津高原尾瀬口駅のある南会津町は特別豪雪地帯に指定されていると知ったのは、後のことである。
 檜枝岐村行きのバスは九時四十分発。先ほど乗ってきた普通電車の後を走る浅草からの特急リバティ会津の到着に合わせての発車だ。
 しばらく時間がある。何もすることはない。あの頃のようにモデル体型となり黄色い声を取り戻すための十六時間ダイエット中ゆえに普段は朝食を取らないが、一時間睡眠で早朝から活動しているので、恐ろしく腹は空いていた。
 ストーブの前の椅子に座るためには朝食を取るしかない。あの頃の体型と黄色い声という改ざんされた過去は傍に置き、山菜そばを啜る。そばを啜りながら、店内を見渡せば、会津のお土産がたくさん売られており、日本酒も充実している。帰りの電車での至福を確認した。

 私以外客のいなかった店内に三人組の中年女性のグループが店内に入ってきて、にわかに賑やかになった。特急も到着したようだった。
 トイレで用をたし、屋外のバス停へ。大きなバッグを抱えた若い女性がすでに並んでおり、少しするとバスがやってきた。若い女性の後に続いてバスに乗るのと、初老の男が二名、これまた大きな荷物を持ってバスに乗車した。そして三人組の女性を乗せず、バスは発車した。このバスを乗らずして、どこへ行くのか。皆目分からないが、どうでもいい。

 会津高原尾瀬口駅を出発したバスは早速峠越えに入る。雪はどんどん深くなる。バスの車内は暖房がよくきいており、ようやく寝不足を解消するため、うつらうつらする。
 気づいたのはバスが停車した時だった。会津たかつえスキー場のバス停である。私より前の席に座った若い女性と初老の男性が降りていき、私の後ろにいた初老の男性も降りんとして、私に話し掛ける。
「降りないんですか?」
「いいえ、このまま」
 この先、運転手は大きなバスを私一人のために動かすことになる。檜枝岐まで行く一日二本のバス。その一本のバスで檜枝岐まで行く乗客は私一人。雪はさらに深くなっていく。三十分ほど走り、只見方面へ抜ける国道との交差点でバスは停まった。接続のバスがあるらしい。運転手がドアを開け、接続のバスと大きな声で話している。
「この先、大丈夫か?」
「分からんねえ」
 そんな会話だけをして、バスは誰も乗せずに出発する。この先は山の中の行き止まり。雪がさらに強くなり、帰りのバスが無くなるのではと不安になるも、もう引き返せない。もしバスが止まったとしても、休みには鷹揚な上司のもとで働いているので、万が一は適当に民宿に泊まることもできよう。ギリギリ一万円ほどの現金は持っていた。
 伊南川沿いの渓谷をバスは十分ほど遅れて進み、まとまった人家が国道を挟むようになったあたりで檜枝岐村に着いた。村内にいくつかバス停はあるものの、とりあえず檜枝岐中央というバス停で降りる。十一時二十分。
 帰りのバスがちゃんと動くか不安な私は、運転手に聞く。
「折り返しのバスは十三時五分発ですかね。」
「そうよー。出発が十三時五分で適当に村の中を停まるから待っていてねー。」

 六時間半掛けてここまで来た。滞在時間は一時間四十五分。少しばかしの散策と温泉、そして名物の裁ちそばで時間を潰す予定。
 観光客は皆スキーをすべっているのか、私以外の呑気な観光客がいる気配はない。
 全てが深い雪に埋もれている集落。集落を貫く細い国道沿い広い間隔で並んでいる家や民宿の隙間から、看板の矢印の方向に従って、細い路地に分け入る。檜枝岐歌舞伎の舞台を見に行く。さっそく滑る。雨の沁みづらいスニーカーを履いてきたものの、靴底は雪仕様ではない。
 舞台は歌舞伎が開催されていない時だからそうなのか、雪の深い冬季はそうしているのか、閉ざされていた。しかし、こんな山中で歌舞伎は風情あるよな、と山の傾斜を利用した観客席を見て、想像する。
 ゆっくりと感慨に耽る場合ではなかった。暖かいバスから降りた瞬間に膀胱が一気に冷えたのか、突如の尿意が襲う。
 確か舞台の方向を指示する看板にはトイレマークがあった。そしてトイレと思われる小屋も見えた。しかし、そこに辿り着くには、除雪されていない一メートル弱の新雪を進まなければならない。


 温泉へ急ごう。
 アホの大学生のように「はーしもとせいこが見たーい!見たい!」と口ずさみながらスピードスケーターのごとく踏み固められた路地を滑り、国道に這い出ると、雪道を力強く、そして俊敏に噛み締めて歩く。一キロほど先である。
 それにしても人のいない村である。民宿に併設された裁ちそばの看板がある食堂は開いていない。Googleマップで休業となっていたので、冬季休業なのかもしれない。
 ダウンのフードを被って進むものだから、背後から来る車の音に気づかず、轢かれそうになる。
 途中に公衆トイレを見つけるが、鍵が掛かっていた。
 温泉は川の対岸にある。川を渡る橋の手前にある食堂があり、トイレと裁ちそばだ。Googleマップでも営業中となっていた。
 しかし、食堂はとても営業中とは思えない佇まいであった。強引に押し入るほどに、私は初志貫徹する男ではない。しかし、食堂で小用ができないと分かれば、いよいよ尿意は限界に近づいてきた。
 橋を渡り、温泉へ急ぐ。やたらと早歩きで走る門外漢の姿に、地元のおじさんが雪かきの手を止めて、訝しげにこちらを見る。坂を上がるや、看板があった。
「燧の湯 臨時休業」
 あゝ無情。
 昼食を食べる食堂も、温泉もすべて閉まっている。トイレへ行くことすらできない。私はなんという秘境へ来てしまったのだろうか。

 気を静めん。
 立ち止まり、深く深呼吸すると、冷気が肺いっぱいに満ちる。さらに尿意が刺激される。
 真っ白な雪を黄色に染める立小便というアナーキー。小田原城を見下ろす山上にいる豊臣秀吉であれば、立ち小便は天下取りはのメタファーとなる。天下人でない私が立ち小便をすれば、メタファーの影は微塵もなく、単なる軽犯罪。人はほとんど歩いていないとはいえ、雪かきをしている人の目がある。建物がないところには墓がある。それに何もないところが実は集落にとっては聖なる地であり、そこに小便をかけてしまったが故に、どんな厄災が降り掛かってくるやもしれぬ。そもそも雪が深くて、立小便ができるような物陰に辿り着くことはできない。
 ほぼ走りながら、来た道を戻る。バスを降りた停留所よりもさらに道を戻れば、村役場とJAのスーパーがあり、そして立ち寄り湯もある集落の中心。そこへ行けばなんとかなるに違いない。
 強い風が吹くと、細かい雪をパッと舞いあげ、一面真っ白で視界がゼロとなる。これがホワイトアウトか。もしこのタイミングで車が来れば、確実に轢かれ、そして私は血の赤と、最後の小便の黄色とで雪を染めるのだろうか。
 一・五キロほど戻った。
 村で唯一だろう信号機が見える。あそこが中心だ。信号で道を外れるとJAと立ち寄り湯「駒の湯」があった。駒の湯は開いていた。急いで券売機で入浴券を購入し、トイレへ駆け込む。アナーキーへの衝動はようやく鎮まった。

 先客は誰もいない。広めの内風呂が一つだけしかないが、広い風呂を独り占めするというのは至極の贅沢といえる。誰もいないからといって、広い湯船を使って鈴木大地のバサロスタートというようなアナーキーなことをせず、大人しく慎ましく湯船に入る。熱い。しかし、じわじわ肩まで浸かると冷え切った身体があっという間に弛緩する。

 湯船から時計を見ると十一時五十分だった。あと一時間以上、この村で何をしようか。温泉からさらに道を戻れば道の駅があり、そこでは何か食べられそうな気もするが、歩いたら二十分くらい掛かりそう。風呂から出て歩いて行ったら、バスの時間までに昼食を食べるのは難しそう。昼食を食べてしまったら、今日中に家に帰る手段が無くなる。もちろん道の駅まで行くバスもタクシーもない。とにかく、この温泉に長居するしかない。といっても、湯船は一つ。露天風呂もない。サウナもない。風呂から上がっても休憩できる場所もない。ひたすらこの湯に浸かるしか、この村ですることはない。
 二十分が限界だった。
 真っ赤になった身体を拭き、伸びた髪から全ての水分を飛ばすべく、じっくりとドライヤーを掛けて、十一時二十五分に駒の湯を出た。
 駒の湯の向かいのJAのスーパーを覗く。
 当たり前かもしれないが、地元向けのスーパーである。お土産は求めていないので、それもいい。しかし、弁当もおにぎりも売っていなかった。檜枝岐村民は自炊派しかいないのか。カップラーメンに触手が伸びそうになるが、それはあまりにも虚しいので、我慢することにした。
 降りたバス停から二つ先のバス停が始発なので、雪道を歩いた。雪こそ降り止んだが、強い風が吹くと、ばっと細かい雪が舞い上がり、ホワイトアウトとなる。二十分くらい歩いて、始発のバス停に着く頃にはせっかく温泉で温めた体も冷え切る。
 まだ十三時五分の出発まで時間があるが、バスから出てきた運転手に招かれてバスに入る。あったかい。
 帰りのバスは始発から乗ったのは私だけであったが、道の駅のバス停で数人の観光客風情の男女が乗ってきた。観光客は私だけではなかったのか。とりあえず、一時間四十五分の桧枝岐村での滞在を終えて安心したのか、うつらうつらする。
 バスはいつの間にかたかつえスキー場に到着した。窓の外には久しぶりの人の塊。十数人の乗客を増やし、この人たちがいるから、このバスは廃止にならずに済んでいるのだと思いつつ、再びうつらうつらする。
 峠を下りて、十四時三十分くらいに会津高原尾瀬口駅に着いたら、除雪が終わったのか、ロータリーの地面は灰色のアスファルトが露出していた。
 帰りの特急リバティ会津の出発は十五時十七分。再び観光物産店に入り、かき揚げ蕎麦を啜る。ロシア人ぽい家族の先客もいる。あとからたかつえスキー場より一緒のバスに乗ってきた集団も入ってくる。駅前にマイクロバスが到着すると、小学生の軍団も入ってくる。おそらくボーイスカウトのスキー教室終わりという佇まいだった。みるみるうちに人は増えていき、列に並んで会津の地酒と缶ビールを買う。

 特急リバティ会津の下今市までの特急券は満席で購入できなかったものの、鬼怒川温泉までは特急券不要で空いている座席があれば座って移動できる特例がある。
 小さなホームに何十人いるのだろうか。もしかしたら百人くらいいるのかもしれない。人の集団を見たのは早朝の成人式帰りの徹夜明けの新成人集団だけだったのに、会津の山の中で集団の単位が一桁変わる。
 3両編成で会津田島よりやってきた特急は、この駅でほぼ全ての席が埋まった。かろうじて席を確保できたと思いきや、「あの、ここ私の席なんですけど」と指定席特急券を持った女性が現れて、追い出される。うるさいだろうから避けたかった小学生軍団のいる車両へ移動したら、ようやく窓際の空席を見つけ座る。指定席特急券を持った人が現れないように、八百万の神、仏、キリスト、アッラー、あとはゾロアスターの神にも祈る。いつでも席を立てるようにダウンは着たままで、リュックも足元に置くのは気遣いである。気持ちは落ち着かない。しかし電車が走り出せば、車窓は雪景色。ようやくの缶ビール。冷えたビールが食堂を通れば、ほろ酔いとなり、美しい車窓に顔面をへばりつける。

 私の前席の小学生の子供を連れた親子連れも、指定席特急券を持っていないのか、おどおどしている。話に聞き耳を立てると、会津を乗り鉄旅してきたらしい。私が息子と乗り鉄旅をしたのはいつの日か。今は小六の長男が一年生だった時の秩父鉄道のSLだったか。今の息子は乗り鉄旅を誘っても、まるで興味を示さない。彼らが親子関係が少し羨ましい。

 野岩鉄道の終わる新藤原駅で一旦電車を降りる。最後の積雪を足で楽しみつつ駅舎へ行き、一日乗車券を駅員に渡して、Suicaの入場タッチをして、再び同じ電車の同じ座席に座る。車掌がしきりに「鬼怒川温泉からは特急券がないお客様はご乗車できません。本日の特急券は満席です」と車内アナウンスする。二駅先の鬼怒川温泉で途中下車。

 鬼怒川温泉から下今市までの普通電車は十一分後の十六時十八分発。夕食用の駅弁と、追加のワインを買い、ホームに戻ると、昨年デビューしたての特急スペーシアXが停まっていた。
 ラウンジ席もある豪華な真っ白い特急の隣のホームにやってくる意気で散々乗り尽くした元日比谷線直通の車両を使った通勤車両が私の乗る電車である。
 駅弁の袋を抱えて二十二分、下今市駅着。

 乗り換え客でごった返す下今市駅の上りホーム。混雑したホーム上の売店で、日光の和菓子のお土産を買う。
 私を直接浦和まで誘ってくれる特急スペーシア日光は十六時四十七分発。
 乗り込むや、スペーシアの豪華な座席に身を沈め、足をフットレストに投げ出す。駅弁を開け、日本酒とワインを開ける。浦和着十八時十一分までの、呑み鉄旅。
 スマホの位置情報にて家族の居場所を見れば、まだまだディズニーランドを謳歌しているようだった。私はもう帰路。

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