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福田翁随想録(3)

 勇者は死を懼れない

「姨捨山(うばすてやま)伝説」は、農耕社会では欠かせない長寿者尊重の産物であったが、今私は八十歳の坂を登りつめて、これまで積んできた経験の厚みや権威を自負しようなどとはいささかも考えていない。
 放送業界を引退して二十年になるが、通信衛星が実用化されるにつれ、現在のアナログ放送にかわってデジタル放送、高画質・多チャンネルとなった。来世紀には、放送業態は予測がつかない変貌を遂げることになるだろう。われわれが日本で初めて民間に商業放送用の電波が解放されたのに応じて会社設立した当時も手探り状態だったが、これからはそれどころではない難しい対応に経営者は苦労することになるであろう。
 われわれの時代に体験したことは、これからの新しい世界には役に立たないポンコツになってしまった。
 それでは今までのことは全く無駄だったのかというと、必ずしもそうだとは私は思っていない。

 愛読していた本を再び読み直してみると、それまで読み流して気に留めなかった文言が急に生き生きと蘇ってくるのを覚えることがある。
 たとえば『論語』でもこんなことがあった。
 知者は惑わず
 仁者は憂えず
 勇者は懼(おそ)れず (子罕篇)
 今まで、知者、仁者、勇者は、日常の身の処し方としてこうした態度で臨み、堂々としているのだ、といった具合に理解していた。ところが、改めてこの文言を前にした時、「孔子は死に対しての認識を示しているのではないか」と電撃的に頭をかすめた。
 平素の暮らしのなかで二者択一を迫られる時に、惑ったり、憂えたり、懼れたりしないという解釈が一般的なようだが、生死という人生におけるもっとも重大な命題に対してこのような処し方をすると読んだら、全体がスッキリと納得できた。
 これは私がいろいろ難病や奇病にとりつかれ、潜り抜けてきた経験、感懐があったればこそ、再読した時にわが身に深く刺さり、振り返らせたのかもしれない。
 知者と目されるほどの人、仁者と尊敬されるほどの人、勇者と崇められるほどの人は、生死に対して悟っているのだ、そうであるからこそ惑わないし、憂えないし、懼れない。
 このように感得したら、
 朝(あした)に道を聞かば
 夕べに死すとも可なり (里仁篇)
 についても分かるような気がした。
 この「道」については、「真理」とする説とか「社会の秩序が回復したならば」という説があるようだが、これらの解釈では鋭さが感じられない。この程度で孔子が死を受容するとは考えにくい。
 この道は「天道」であり、この究極にあるのが「生死」と考える解釈の方が納まりが良いように思うし、そう私は考えたい。
 また、
 未(いま)だ生を知らず
 いずくんぞ死を知らん (先進篇)
 と、弟子の季路に答えている。
 聖人と言われるほどの人でも、こと生死については明快に答えることができないというのが本音ではなかったのではあるまいか。
 孔子は弟子にこう答えたとはいえ、生死について日夜考え続けていたはずである。
 孔子の時代は初期農耕牧畜の世であった。人びとは素直に生命を日が昇ってやがて沈むように、春があって冬がきて再びまた春を迎えるように、永久の循環と捉えていたかもしれない。孔子はそれを「天道」と考えていたのではないか。
 そうなると知者は死に対して惑うことはなくなる。

 孔子の唱える「仁」は「忠恕(ちゅうじょ)」を中核としているようである。
「恕(じょ)」は本心そのもので、普通「ゆるす」と解されているが、この「ゆるす」は「怒り」に対して許すといった次元の低いものではない。「怒」は文字通り下賤な者の喜怒哀楽の線上の感情で、「恕」は生死という人生の一大事を前にしての受容で、大海原のような自然体と解すべきではないだろうか。したがって仁者には憂えがないのである。
 
 勇者はなにが犬死か知っている。
 新戸部稲造は、『武士道』のなかで、徳川光圀の言として次のように述べている。
「生きるべき時に生き、死ぬべき時に死ぬことこそ真の勇者なのである」
 と。恐るべきものと恐るべからざるものとを識別しうる者が勇者だとしている。
 勇者は大義―天道―永遠の生命を確認しておればこそ、またそこに安住を悟っておればこそ、死を懼れないということになる。

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