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音速を超える感覚

 
 ――音速を超えるとどうなるのだろう。どういう感覚なんだろう。
 今朝目覚めと同時に、ふっとこんな疑問が浮かんできた。
 空を飛んでいる夢でも見ていたのだろうか。それとも昨夜遅くまで観ていたトム・クルーズ主演の映画のせいなのだろうか。
 なぜだか分からないが、なんの前触れもなく音速を超える瞬間の感覚が知りたいと心底思った。
 実は、これが初めてのことではなかった。

 バリバリという耳を劈くようなジェットエンジンの轟音が音速を超えた瞬間、ふっと消え、シンとした静寂の世界に突入する……そんなイメージが湧く。
 ロケットが激しい振動と轟音、そして重力から解き放たれた瞬間、無重力空間の静寂世界に侵入するような感じか。
 実際はどうなんだろう? なんの手がかりもなくては想像力だけではいかんともしがたい。イメージならある、先ほどのような。
 かつて長く航空自衛隊にいらした方に取材する機会があって、その方に音速を超える瞬間のことを訊ねたことがあった。ずいぶん昔の話だ。この時の会話の中でなんかのきっかけでその問いが頭に浮かんだのだ。
 ところが、その方は座学で苦労したとか、転属が多くてそのたびの家族ごとの引っ越しが大変だったとか、スクランブル発進の頻度が多かったこと、その原因のトップが中国の対領空侵犯措置だったとかいう話などではぐらかされ、知りたい音速についての話はしてくれなかった。
 しつこいくらいに食い下がってヒントくらいでも聞き出しておけばよかったと思う。音速についてだけならばなんの情報防衛守秘義務違反にも引っかからないだろうに、なぜか話してもらえなかった。
 事件記者という職業柄、はぐらかされるのが一番嫌いだった。あの時のその方との一問一答はいまでも苦々しくはっきり記憶している。
 いま思い返してもとても不可解なことで、音速のことよりなぜはぐらかされなければならなかったのか、そっちの理由を知りたい気持ちがむくむくと頭をもたげてくる。質問の仕方が強引で無遠慮すぎたせいだろうか。
 だけどその未知なる感覚への興味はその時限りで、いつの間にか消滅していた。消えてしまったことすら憶えていなかった。リアルな事件を追うことに忙殺されていたせいかもしれない。
 本当にどうしてあの時はぐらかされなければならなかったのだろう。その理由が分からない。見当もつかない。今更なんともできない、解決できない話だけれど。

 そんなことはどうでもいい。いまはこの音速を超える瞬間の感覚だけに意識を集中させよう。
 バリバリという轟音が音速を超えた瞬間、ふっと消え、シンとした無音の静寂世界に突入する……そんな感覚イメージが湧くが、実際はどうなんだろうか? ウェブ検索で解決できるかもしれない。
 さすがネットの世界は素晴らしい。気温と温度条件により変わるが、一般的に時速780マイル(約1225キロ)以上の速度で飛行する時に音速の壁を超えるという。ちょっと検索しただけで、未知の情報が得られる。
 たちどころに目を見張るような興味深い動画と出会えた。ジェット戦闘機のデモンストレーション飛行動画だ。
 目の前を超音速戦闘機が低空で一瞬にして飛び去る。その戦闘機の後を追うように白い円錐状の白い雲とけたたましい爆音が起こる。……
 機前方と後方の空気圧差によって生じるベイパーコーン現象と衝撃波が地表に到達して発生するソニックブーム現象だという。
 地上で受ける感覚は分かる。経験から想像がつく。知りたいのはコックピット内での音速を超えた瞬間の感覚だ。
 さらに手当たり次第にネットサーフィンしていると、あるベテランパイロットの方が書いておられる記事に出くわした。やっと解決されると胸が躍った。音速を超える瞬間の感覚について触れていた。
 私は記事の一行一行に吸い込まれるように読み進めた。イメージしていたものに近い感想が語られていた。
「音速を超えた瞬間、ふっと静かさに包まれたように思いました」
 ――やっぱり、そうなんだ。
 私の興奮は一気にマックスへと駆け上がった。
 ――バリバリという轟音がふっと消え、シンとした無音の静寂世界に突入……そうなんだろ、そういう感覚なんだろ?  
 逸る気持ちを抑えつつさらに読み進めた……。
 ところが、である。いきなりはしごを外され、期待は落胆に変わった。 
 記事の最後の方にこう綴られていたのだ。
「ただこれは、私の個人的感想ですが」
 ――えっ? なんだよ、なんだよ。こっちの気持ちを高ぶらせておいて、「個人的感想」というのはなんだよ。最後の最後にこれはないじゃないか。
 思わず声に出して独りごちていた。
 ――みんながみんな同じように感じる共通感覚なんじゃないのかよ。
 私がイメージしているような体感、感覚ならば、それは誰もが皆等しく熱っぽく口にせざるを得ない衝撃的なことのはずである。「個人的にはこんな感じ」という軽い、曖昧なレベルで済まされる話ではないはずだ。
 ――そうであってほしかった。……ということは、どういうことだ?
 音速を超えた瞬間の体感、感覚としては特に顕著なものはないということなのか。そういうことになるのか。そう朧気ながら察しがついてくると、この記事を発見した時の興奮が冷めてきて、思わず知らず自らを労わり、慰めていた。
 ――一個人であっても感覚、感想を知ることが出来たじゃないか。ちょっとはそのリアルな感覚に迫れたじゃないか。徒労じゃないよ。全くなにも知る由もなかった時よりはましじゃないか。
 そういえば、かつてコンコルドという超音速旅客機があった。あの時の情報でも…… 
 このエールフランスの超音速旅客機(1969~2003)の名前だけは聞き覚えがあったが、詳細は今回検索してみて初めて知った。
 多数の犠牲者をだす大事故があり、それを機に廃止となり、今はもう飛んでいない。最高速度マッハ2・04(2450キロ)だったという。音速はマッハ1・0である。まさに正真正銘の超音速旅客機だった。民間人が音速を体験できたのはその時が初めてだった。
 ――衝撃的な搭乗体験であったならば、その一般乗客の感想が報道され大きく取り上げられていたはずだ。なのになにもなかった。揺れが激しかったという程度の感想しか漏れ伝わってこなかった。
 心を落ち着かせるために、騒めきを鎮めるためにコーヒーを淹れに席を離れた。そして我知らず効能がありそうな調べを求めていた。浮かんできた楽曲はモーツァルトの「クラリネット協奏曲イ長調K.622 第2楽章」。
 神々しい調べに身と心を委ねていると、集中どころか意識は放散しまくり惚けてしまう。
 気を取り直して机に戻り、モニター画面の文章を読み返した。
 ――音速を超える前と後の感覚に差はないのだ。音速を超えても特別な感覚は生まれないのだ。
 そう確信すると、音速への興味が一挙に冷めるのがはっきり分かった。潮が徐々に引いていくというのではなく、いきなりただただ白い、のっぺりした砂浜にひとり放り出されたような感覚だった。
 あの日、音速を超える瞬間のことを訊ねた時、航空自衛隊の方が話をはぐらかした理由が、はぐらかそうとしているように思えた理由が分かったように思えた。
「特段とりたててお話しするような変わった感覚などではありませんよ」
 ――そういうことだったんじゃないだろうか。
 腕を組み、ただただ虚空を見据えてため息を吐いていた。


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