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Tokyo Love Story - リカの気持ち

最終話まで観終わった後、私にはリカの気持ちが痛い程分かった気がした。自分の顔を鏡で見ると、苦くて甘い飲まなきゃいけない薬を自分で頑張って飲んだあとのような顔をしていた。

カンチはリカに振り回される。
リカは自分の思うように生きるし、他人がどうこう言おうと自分のことは自分で決める。自分がワクワクするものに対するまっすぐでブレない気持ちが、他人にとっては魅力的に写るのだろう。
カンチは最初、リカのそういうところに触れて興味深く惹きこまれ、どんどん好きになっていく。相手の中へ入っていく。
自分とは異なる考え方や価値観だと思いながらも、だからこそそれが新鮮で手放したくない。価値観が違うからこそ受け容れて、相手が羽ばたく姿を見守っていきたいと思っている。
でもちょっとずつちょっとずつ、自分が本当に見守っていきたいのかどうか、わからなくなってくる。この自由とエネルギーの塊を持て余すようになる。自分の持分のそれと比較し、様々な言い訳をつくるようになる。
そして会わない時間が続くとリカへの興味を失ってしまい、右手右足、左手左足と、リカの中から出て行ってしまう。


リカは、最初は気持ちいい気分だ。
自分の溌剌とした生き様を、恐る恐るながらも興味を持って中に入ってきてくれる存在は大切で愛おしい。
でも、相手から「自分とは別世界の人間だ」と思われていると感じる度に、嬉しくて悲しい気持ちになる。
思うように生きたいという自分の生き様を認めてくれることが嬉しいと同時に、その異なる価値観を心底受け容れ切ってくれていない相手の態度を見るたびに、チクチクとした悲しみが胸を刺すのだ。

だって、リカが何か強く主張するたびにカンチが発する言葉は、いつだって「わかった」の一言だけだ。
そこにカンチから滲み出る思いはない。リカの発する思いを受け止めるだけだ。
思いを受け止めるとは、すごくエネルギーのいることだ。だから、それを嫌味なくやってのけるカンチはすごい。
ただ、リカが知りたいのは、カンチ自身から湧き出る純度の高い思考や思いなのだ。でも結局、カンチは最後まで言ってくれなかった。

そして結局、リカが愛すれば愛するほど、受け止めることしかできないカンチはリカへの興味を失ってしまい、右手右足、左手左足と、リカの中から出て行ってしまう。

本当はリカは、カンチを振り回したいんじゃない。振り回っていないと壊れてしまう自分に寄り添いながら、お互いに支え合って生きたいだけなのだ。
そして、「”小説の主人公”のように生きないと私じゃない」という謎の呪縛から、自分を解き放ってほしいと思っているのだ。

でも結局カンチはそんなことに一ミリも気づかなかった。

ラストシーンでリカが「わたあめ買ってくるね」と言った際、カンチは「いいよ、俺が行くよ」と言った。
それに対しリカは「いいの、私が自分で買いたいの」と言って一人で買いに行った。
なぜここで、「二人で買いに行く」という選択肢がないのか。
きっとリカは、「じゃあ一緒に行く」とカンチの意思で言ってほしかったのではないか。
今まで「わかった」しか言わなかった男が、自分から言葉を滲み出して「俺が〇〇したいから〇〇してくれない?」と言ってくれることを切に待っていたのではないか。

思うように生きたいから、生きる。
でも、もっともっと自由になりたいし、お互いに大切にしながら自由で在り続けられるような存在を、心底欲しがっている。
それがきっと、赤名リカという人間なのです。






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