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ミッテラン最後の年にパリに来ました…

 7月某日、用事で二子玉川に行ったついでに、ランチは一人でbillsで食べた。オーダーを取ったりお皿を運んでくれる店員さんが皆んなイケメンで(男女共に)、スタバのバイトのようにビジュアル審査があるのでは?と勘繰ってしまった。
 それはさておき、6月いっぱいで今期の通訳トレーニングが終了したのだが、ここしばらく授業のテーマが医療であったためか、難し過ぎて最後の数ヶ月はかなりキツくなり疲れてしまった。夏はまるまる3ヶ月お休みにして、夏休み明けの秋以降復帰する旨を先生方や事務の方にも伝え「Bonnes Vacances!」 と、ご挨拶をして帰ってきた。
 ところがbillsでランチをしていると、事務の方からメールがあり、「次のコース(3ヶ月)のテーマが『フランス文化政策の対外発信など』に決まりました。池村さん参加されたら盛り上がると思うのですが」と声かけてくださった。
 思えば去年の春から、ウクライナ・ロシア問題、経済問題、エネルギー問題、環境問題、食品ロス問題、そしてフランスの医療体制改革、救急、癌の様々な治療法、再生医療…と、全く専門外のことを「石の上にも3年」と言い聞かせて頑張ってきた(笑)。少しお休みしようと決めたら、ようやく自分の専門分野に掠るテーマになるとは!もちろん、速攻で申し込んだ。こういうチャンスは逃してはならない。そんなわけで7月、8月と、外国行ったり国内で旅行しながら時にはZoom参加になるが、毎週土曜日の通訳トレーニングを続ける運びとなった。

 先週から早速、「文化」をテーマとした授業が始まり、授業で取り上げたのは”フランソワ・ミッテラン元大統領の文化政策”であった。少し古い時代の話題だけれど、私にとっては懐かしい。というのも、ちょうど私がパリに移住した年は、14年の任期を務めあげた社会党(parti socialiste PS)ミッテランから共和国連合(Rassemblement Pour la Republique,RPR )シラクへと政権交代があった年だった。それで、「Kyokoはいつから(何年から)フランスに住んでいるの?」という質問には
「95年。ミッテランからシラクになった年です」
と、答えるようにしていて、そう言うとフランス人は「あー、あの年ね…あの頃は大規模ストライキがあったよね」などと、すぐにピンときて反応してくれた。パリのコンセルヴァトワールが、かつての所在地であるサン・ラザールのローマ通りからヴィレットへと移転したのもミッテランのプロジェクトの一環であったし、ルーヴルのピラミッド、新凱旋門、オペラ・バスティーユの建設など、文化予算を倍に増やして様々なプロジェクトを実現させた、文化を大切にする大統領であった。コンセルヴァトワールは建物自体が近未来的な建築になってしまい、せっかくのフランスならではの伝統や歴史の重さを感じられない無機質な建物には少しがっかりしていたが、21世紀の現代ではあの建物に何の違和感もない。近くにパリ管の拠点であるフィルハーモニーホールも建ち、すっかり近代的な音楽都市に収まっている。
 ミッテラン大統領は大物政治家であっただけでなく、葬儀の日に愛人と、愛人の子供が家族と同様に参列して話題になっても、世間的には許容されてしまう不思議な魔力のある人だった。などと、昔を思い出しながらミッテランについての動画を見始めたら、実は大統領就任直後に前立腺癌と骨への転移が発覚し、ホルモン療法を受けながら主治医が24時間ぴったりついた状態で職務を果たしていたことなどを知り、一瞬、ミッテラン沼にハマってしまった。ミッテランの死後、主治医によって暴露本が出たらしいのだが、当時の私のフランス語力ではその辺りの騒動はニュースで全く追えていなかったのだと思う。暴露した医師が出演していた病気に関しての番組は、つい最近の通訳トレーニングで必死に覚えたばかりの単語のオンパレードで、「こんなにわかって良いんですか?」と思うほどだった。語学を勉強することで、確実に自分の領域が広がる。だから面白くてやめられない。

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