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Notes on Overground / 2020.2.14

2020年1月私は一人でモロッコに旅行に出かけた。フェズの市場で誰にでもお茶を配る老人を見かけた。彼はお金を受け取らない。ただその場を通り過ぎる人にひとときのもてなしを無償で行っているのだ。もちろんそこにはイスラムの教えが深くあった上での行動である。私は特定の宗教の信者ではないが、そこに一つのユートピア的、人間関係のあり方を見たような気持ちになった。

ロンドンオーバーグラウンドで似たようなことができないかと考え、バレンタインデーの日にお菓子の包みを準備して、物乞いをする人全員に渡すことにした。このささやかなプレゼントに対する反応は私の期待と全く異なるものであった。誰もその茶色いお菓子の包みを拒否はしなかったが、彼らの表情には明らかな期待はずれの思いが現れていた。そのうちの一人は、もし小銭もあればとっても便利なんだが、と親切にほのめかしてくれた。

彼らの反応の一つにイギリスのバレンタインデーは主にロマンティックな愛の日という前提を私が履き違えていたこともあるだろう。私はなぜか、友情としてのささやかなプレゼントであったのに冷やかしのようにさえ受け取られかねない行動だったのだ。不自然さ、しっくりこない感覚は私の中にもあった。どんな人が来ても同じように行動するのは私にとってある種、気楽であった。私は彼がどんな様子であれ、同じことをすればよかったのだから。バレンタインデーという名目付きで気前よく与える女性になれた。その一方で、それは相手が誰であれ、私は、ある種機械的に同じことをやっただけに過ぎなかった。

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