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専門家向け 親の思想信条に悩む子世代(“宗教二世”等)への支援(2)“宗教二世”と“カルト二世”

当事者における“宗教二世”と“カルト二世”

(1)において、当事者は“カルト二世”よりも“宗教二世”の呼称を好む傾向があると記しました。自分が関わった組織をカルト視するのは忍びないと考えたり、カルトだけではなく宗教全般が二世を苦しめるとの考えによったりするようです。

客観的にはカルト性の高い組織は存在しますし、二世当事者がそれを自覚していないわけでもありません。しかし、仮に彼らがどんなに自分を苦しめた組織を憎もうが、第三者からカルト視されるのには抵抗があったり、カルトを自認することで自分自身が傷付いたりもします。なかに残っている人への気遣いからカルト視を控えることもあります。この、自分がいた環境を当事者自身がどう受け止め、消化していくかは大変大きな心理的葛藤に繋がります。それはいわゆる世代間連鎖の問題で苦しむ人が親への複雑な思いを抱え続けるのと同様です。組織は自分のルーツとどうにもならないほど繋がっていて、それを破壊することは自分を傷付けることにもなりかねず、とてもデリケートな課題となるのです。

また、宗教の形を取る組織に悩まされる場合、宗教自体が悪だと見做されることもあります。これはいささか極論なのですが、人間、羹に懲りて膾を吹くことはありますし、視野を狭められて育ったため、自分の経験が全ての宗教に通ずると認識する人もいます。それで、宗教に苦しめられてきた子世代という意味で宗教二世と呼ぶ人もいます。この宗教観は客観的には適切ではないかもしれませんが、当事者の主観に寄り添うことから支援を始めるのは我々支援者の基本ですから、支援対象となる方の認識をよく聴き取ることから始めるとよいと思います。

また、当事者には利他性の高い人たちも多く、自分たちだけじゃない、ほかの宗教に苦しまされてきた人、一般的にカルトとみなされない宗教に苦しんできた人たちにも光を当てようと呼びかける人もいます。その場合にも“宗教二世”という呼称が好まれます。

以上は当事者理解のための呼称なのですが、我々専門家としてはどのような捉え方をしたらよいでしょうか。以下、現時点での著者の見解を示します。

専門家に必要な観点

二世理解にはカルト問題、カルト現象への理解が必要

二世当事者にはあまり認識されないことですが、支援者はカルトとは何かを理解しておく必要があります。子世代を苦しめる親世代の精神構造、心理状態を理解することで、通常の養育環境と何が違うのかを浮き彫りに出来るからです。極端に排外的で絶対的な二元論はさすがに一般的な養育環境で見出だせるものではありません。カルトメンバーを親にもつと、子世代は特殊な信念の下に置かれて育つのです。

宗教リテラシーを培う

宗教二世問題が報じられると、批判された組織側から「日本社会が宗教に対する理解を欠いているから一方的な批判をするのだ」と反論されることはよくあります。これは合っていて間違っています。

合っているのは、確かに日本で宗教に対する基礎知識やリテラシーを培う機会は大変少ないという点です。自覚的に自分の信仰・信心を問う機会は多くの場合、あまりないでしょう。しかし、宗教という形を取ろうが取るまいが、人は信じることなしに生きられませんし、信じることがいかに人生に影響するかを理解する必要もあります。そして、害の少ない信じ方とそうでない信じ方の差異を把握出来れば、後者がいかに人を傷つけるかが見えやすくなります。宗教であれば何を要求してもよいという組織の言い分は間違っています。二世の多くは人格形成期までに宗教の影響を受けていますから、その苦しみも宗教的信念から来ることが多いのです。

組織のカルト化・権威、権力による腐敗

カルト問題、カルト現象への理解に通ずる話ですが、宗教のカルト化という表現が特に2000年台以降、取り上げられるようになりました。いわゆる新宗教とも限らず、社会からカルト視される団体でなくても、宗教組織は権力をもつ立場を孕みますし、所詮、人間のダイナミズムが作るものですから、それが腐敗し、病理化することがあるわけです。牧師がミニ教祖になり果てたり、それを支える参謀が現れたりと教会・教団単位で病む例もありますし、宗教のみならず治療者、施術者が教祖化し、標準的な医療から剥奪され、子が亡くなる(もちろん大人も犠牲になる)痛ましい事件も起きています。つまり、カルト化する組織に繋がる子世代が常に存在するという前提はもっておいたほうがよいのです。近年になってようやく告発されるようになった伝統宗教下での性虐待なども、権威の下に起こる病理という点で、これに並ぶものかもしれません。

脆弱な親世代が宗教と関わる

親世代にいわゆる世代間連鎖等に代表されるような脆弱性がある場合、宗教の力がよい方向に向くこともあれば、より病理的な方向に向いてしまうこともあります。そして、宗教は良くも悪くも周囲からの修正が聞きにくい信念ですから、閉鎖的な家庭環境で弱い立場の子供は逃げ場を奪われることもありえます。宗教自体には大して問題はないが、親の宗教信念に苦しめられてきたというケースはありえます。


支援は主観的な苦しみに対して行われるものですから、その観点からは宗教二世を広めに捉えた方が現実的だと思います。ただ、そのなかでも組織性の高い問題が取り上げられる場合はカルト化が起こっていることがほとんどなので、カルトに関する知識は携えるに越したことはないでしょう。

追記

ここまでは統計で言うところの‘’危険率‘’に近い例を挙げて来ましたが、そこまでは行かない宗教を背景とした子世代の悩みも‘’宗教二世‘’に含まれることがあります。多くの子世代は成長するにつれて、親世代の信仰・信心を継承するか、葛藤する時期が来ます。このこと自体は健康的な発達ですし、葛藤の結果、健康的な信仰・信心の継承をする人ももちろんいます。

また、宗教によっては考え方が保守的、前時代的で社会潮流とミスマッチなため、子世代が継承をためらうこともあります。信じる内容自体には否定的でなくても運営方針によって金銭的負担、労働的負担が重く、敬遠される場合もあります。親世代が組織運営に携わる場合、その地位によって子世代が負担を感じることもあります。特に世襲が慣習化されている場合は顕著かもしれません。牧師家庭ゆえの問題もありますし、世襲を要求される寺社関係者ゆえの悩みもあります。このように‘’宗教二世‘’周辺を取り巻く事象は多様な拡がりをもちますので、全体像を描きつつ、個々のアセスメントを図ることを心がけて下さい。

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