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少女舞闘綺伝 ジュウトハチ 小説版 第一話

 秋の日の昼下がり、所は東京、瀬田谷(せたがや)区の閑静な住宅街、絵に描いたような平穏な日常。

 裏通りの一角、人目につきづらい袋小路となった場所で、そんな平穏をちょっとだけ乱す光景が繰り広げられていた。

 派手な原色の特攻服、いわゆるヤンキーとか族とか呼ばれる少年少女が身に着けるアレ、今どきはほとんど見かける事も少なくなったアレ、それぞれに異なる色の、そのアレに身を包んだ三人の少女が一人の少年を取り囲んでいる。

「だぁからよー、手荒なマネわぁ、しねーつってんだろ!」

 と、深紫の特攻服を着た少女が言う。

「素直によぉ、名前と学校をぉ、言やぁいーんだよ」

 と、翠緑の特攻服を着た少女が続ける。

 二人の少し後ろでは、群青の特攻服を着たもう一人の少女がスマートフォンで誰かに連絡している。

「あ、ハイ、見つけました、多分コイツです」

 三人の少女にぐいぐいと詰められているのが本編の主人公、姓は真田、名は大輔、どこかの高校の制服と思しきブレザーを身に着け、高校生としてはまあそんなもんかなという体格で、容姿は可もなく不可もなく、といったところだ。カバンを体の前に両手で抱え込んでいるあたり、ちょっと見にはビビっているようにも見える。しかし多少なりとも観察眼のあるものが見れば、困惑した表情を浮かべる顔の、その目の奥には、この状況を面白がっているような光が浮かんでいるのを見て取るはずだ。

 大輔が口を開き、何かを言いかけたその時、背にした袋小路の行き止まりの壁の、その上の方から声がかかる。

「お困りのようですね」

 凛とした涼やかな声に振り向く大輔。

 行き止まりの塀の上には、すっくと立つ、どこかの高校の制服を着た少女がいた。手には90センチほどの棒状の何かを入れた袋を持っている。

 少女の名前は犬塚 信(いぬづか しのぶ)

 信は塀から飛び降り、特攻服の三人と大輔の間に軽やかに降り立つ。

 つややかな黒髪、前髪は少し古風な形で切りそろえられ、長い後髪は少し高めの位置でポニーテールにまとめられている。塀の上にいた時でもそれとわかったが、こうして眼の前に立たれると、見とれてしまう程の美少女と言って良かった。

 信は大輔に向かって笑顔を向ける。

「お助け、いたします」

 異常な現れ方をした制服の少女に気圧され、後退っていた特攻服の三人だったが、気を取り直したのか口々に脅し文句を口にしながら向かってくる。

「んだオメーはコラ!」

 先頭にいた紫の特攻服の少女が掴みかかろうとしたその瞬間、信は袋に入ったままの棒状の何かで、相手の顎をかすめるような一撃を入れた。

 それほど強い打撃とも見えなかったが、紫の特攻服の少女はその場にストンと尻もちをつき、気を失う。

 何が起きたのかもよく理解できないままに、後に続いていた残りの特攻服2人に、信は流れるような足運びで近づくとわずかな間も置かずにそれぞれへ一撃を入れ、気を失わせる。

「さあ」

 呆気に取られていた大輔に向き直った信は、笑顔で手を差し伸べた。

 それでも動こうとしない大輔に、今度は少し厳しい表情で声をかける。

「死にたくなければ私と一緒に来て!すぐに!」

 大輔は信に手を引かれ、袋小路から通りへ出た。

 そこへ遠くから口々に何事かを叫びつつ、新たな特攻服の少女の集団が怒涛の勢いで駆けてくる。

「まてやゴルァ!」

「逃げんなオルァ!」

「殺すぞコラ!」

「殺すとか言うなバカ!」

 信が大輔に声をかける。

「走って!」

 そう言うやいなや、追ってくる集団と反対の方向へと駆け出す。大輔もまた、必死の形相で後について駆け出した。


 大輔と信が逃げ去ってから少し時をおいて、ここは再び同じ袋小路。

 意識を取り戻した三人の特攻服の少女達が、近くの壁にもたれかかるように座らされている。その前にはしゃがみ込み、事情を聞いている大柄な少女がいた。こちらは真紅の特攻服を着ている。

 真紅の少女の名は三好 伊三美(みよし いさみ)、歳の頃は17歳ぐらい、身長は180センチ程と、その年代の女子としてはかなり大柄だ。髪は金髪に染めている。整った顔立ちではあったが、キツめのヤンキーメイクがそれをいささか念な感じにしている。

「……なるほどね」

「すいません、ホントにあっという間で」

 と、最初に気絶させられた深紫の特攻服の少女が詫びる。

「気にすんな、すぐに医者に送ってやっから、それまでは動くんじゃねーぞ」

 伊三美は、立ち上がると張りのある声で連絡係のメンバーに告げる。

「おい!!全員に伝えろ!見つけても絶対に手は出すな!すぐにアタシを呼べってな!!」

 チームの副リーダー各と思しき黒髪の少女が伊三美に問いかける。

「やられた者は全員軽傷です、慎重すぎるのでは?」

 間を置かずに伊三美が答える。

「だからやべーんだよ」

 納得が行っていないという表情の副リーダーに、伊三美は続ける。

「あの三人、確か街田(まちだ)の朱花烈徒(スカーレット)だっけ?そん中でもけっこうやる方だろ?」

「だと、聞いています」

「お前らん中に、あの三人クラスを相手に一人で挑んで、何の怪我もさせずに、しかも一瞬で相手を動けなくできるヤツ、いるか?」

 副リーダー各の少女は、はっとして深くうなずく。

「まあ軽いっつても脳震盪だ、あの三人、来るって言っても絶対に連れて来んな、引きずっても病院に連れてけよ」

「はい」

 伊三美は不敵な表情を浮かべ、一人つぶやく。

「ちょろい仕事かと思いきや、そういうワケでもなさそうだな……面白くなってきやがった」


 先ほどの袋小路から少し離れた場所に大きな公園があった。夕暮れも迫り、人気のないその一角に大輔と信はいた。

 座り込んで肩で息をしている大輔の傍らに信が立ち、油断なく周囲に目を配っている。

「どうやら、うまく撒けたようですね」

「初めて、です、こんなに、必死で、走ったのは」

 大輔は荒い呼吸の合間にようやく言葉を紡ぎ出す。「でも、良かったのですか?」

 信の言葉に、何が?と問いかけるような表情を大輔は返す。

 信は真田の前にしゃがみ込み、いたずらっぽく笑いかけながら、

「見ず知らずの小娘の言う事を、簡単に信じて」

「ああ、それは」

 大輔は深く一呼吸して、

「わかるんです、昔から、なんとなく、悪い人かどうか」

「では私も?」

 大輔は、うなずき返しながら、

「根拠はないけど、不思議とよく当たるんです」

 大輔は一呼吸置くと来た方を振り返りつつ、

「ついでに言えばさっきの人たちも、めっちゃ圧が強くて多少ビビりましたけど、命の危険を感じるほどの悪い人たちとは」

「ですよね」

 とすかさず信が答える。

「え、だって、『死にたくなければ』って」

 信は無邪気な笑顔を浮かべると言った。

「いちど言ってみたかったんです、映画で見たセリフ」

 信はそこでふと真顔になり、

「とはいえ、あなたの身に何らかの危険が迫っている事は間違いないです、真田大輔さん」

 と告げた。

「何で僕の名を……」

 信は懐から、俗に桜の代紋と呼ばれるバッジの付いた身分証を取り出す。余談だが、現在でも過去の慣習から警察手帳と呼ばれる事もあるそれは、手帳としての機能は備えていない。

 これまでの年相応の喋り方とはうってかわった硬い声で信は名乗った。

「警視庁八犬士、犬塚信警視正です」

 身分証をしまい込むと信は続けた。 

「あなたを保護し、八犬士本部までお連れするよう命令を受け、参上しました」

「八犬士!?」

「ご存知、ありませんか?」

 半ば狐につままれた、とでもいった表情を見せる大輔に、喋り方を戻した信が問いかける。

「ええと、一応は日本史で習いました、あと、現代でも密かに活動してるって言う話も……でも、都市伝説みたいなもんかと、っていうかその若さで……」

 信が片手をあげ、大輔の話を途中で遮る、立ち上がると、遠くを見詰めるように目を細める。

「その危険が、近づいて来たみたいです」

 信は手を引いて大輔を立たせると、土埃の付いたズボンを手早く払い、乱れた服装を整えてやる。

「私がおびき寄せて、ここから少し離れた場所で片付けます、その間、あなたはあそこへ」

 信が指差すその先には、公園の公衆トイレがあった。


公園から少し離れた人気のない路上、疾風の如く欠けて来た信は突然立ち止まり、つぶやく。

「さて、この辺にしましょうか」

 信は、振り向き、微笑むと声をかけた。

「そろそろ出ていらしてはどうですか?」

 女が1人、曲がり角から姿を現す。歳の頃は20代、体型はやや小柄だが、鍛えた人間に特有の空気をまとっていた。

「少し目標から離れれば、姿を現すかと思いましたが、ずっとこちらをつけてくるとは」

「つきまとっている面倒そうなヤツを先に片付けちまおうかと思ってね、『達射人先射馬 擒賊先擒王(人を射んとすれば先ず馬を射よ、敵を擒えんとすれば先ず王を擒えよ)』ってわけさ」

 と、女は答えた。

「三十六計で説くところの第十八計、擒賊擒王(きんぞくきんおう)ですね、ところで弓はお持ちでないようですが」

 と、信が応じる。

「虎が馬を食うのに、弓はいらないよ」

「時には馬に蹴り殺される間抜けな虎も居ると聞きますが」

 涼し気な顔で煽る信の言葉を受け、女の表情が険しくなる。

「言うね、お嬢さん、あたしは陳(チェン)。得物を出しなよ、その袋に入れてるやつをさ」

「それでは、お言葉に甘えて」

 信は手にしていた袋から中身を取り出した。おそらくは赤樫らしき木で作られた、90センチ程の長さで、断面は円形の棒である。袋を丁寧にたたむと制服のポケットに収めた。

 陳は、いささか拍子抜けした表情を浮かべる。

「なんだいそれ、麺棒かい」

「棒ですが、麺棒ではありません、『半棒』と呼ばれる物です」

「馬鹿にしてるのかい」

「いえ、まったく」

一般的には、我が国の棒術では六尺(180センチ)前後の物を“棒”と呼び、その半分、三尺(90センチ)程度の物を“半棒”と呼ぶ事が多い、犬塚信が手にした棒、それは赤樫製の半棒であった。

「そうかい、なら加減はしないよ」

 陳は懐から何かを取り出し、両手に装着する。

 陳が両手に装着した武器はバグ・ナク、ヒンディー語で『虎の爪』を意味する鋼鉄製の爪である。

 その鋭利な爪による攻撃は、ひとたび体に当たれば並行して走る4本の傷を作り出し、治療を困難なものにする。

 数メートルの間合いを置いて、両者は対峙した。両手を顔の高さに上げ、軽く前に重心をかける構えを取る陳に対し、信はほぼ無構えに近い、右手に半棒を軽く握り、両手は下げたまま、軽く体を斜に構えただけだ。


 一方で公園の公衆トイレの中、男子用の手洗い場で大輔が顔を洗っていた。冷たい水で顔を冷やし、ハンカチでひとしきり顔を拭き終えると気分もだいぶ落ち着いてきた。

 と、見つめた鏡には自分の背後に迫る見知らぬ女の姿があった。

 驚いて振り向く間もなく、そのまま抱きすくめられる。

「見ぃつけた」

 と、女の声だ。

 洗面所の鏡を通して女の姿が目に入った。黒い髪、切れ長の目、体のラインにぴったり合った黒い革のジャンプスーツを着ている。

「真田……大輔ね、私は楊(ヤン)」

 大輔は逃れようとするが、きつく抱きしめられ身動きできない、その耳元へ女がささやく。

「騒がないで、このまま私と来て、大人しくすれば何も危害は加えない、でも抵抗するなら……」

 女は真田の耳に口をよせ、耳たぶを甘噛みする。

「……痛くするよ」

 大輔は恐怖を覚える一方で、背中に当たる柔らかい感触に健康な肉体の男子高校生としてはまあありがちな反応が起こりつつあることを自覚し、自分で自分が可笑しくなる。

 と、大輔のその目が鏡に映った自分と楊の姿のその向こうに、もう一つ新たな人影を見て取った。

 意を決し、言葉を発する。

「あー、唔該、先生、而家幾點呀?(ムコイ、シンサン、イーカァゲイディムア)」

 楊は思わず吹き出した。

「今何時か知ってどうするの、それに女に向かって『先生』はないわ」

 大輔の表情から怯えが消えていた、いや、それどころか、慎重に観察すればその目の奥には狡猾とも言える光が宿っていることを見て取れたはずだ。

「時間を知りたかった訳ではなくて、今の質問の目的は2つ……」

 二人の背後では真紅の特攻服の少女・三好伊三美が鋭い眼光で大きく拳を振りかぶっている、そしてそのまま全力で楊の頭部めがけて拳を振り下ろす。が、大輔を拘束していた楊は間一髪でそれに気づき、紙一重で避けた。

 勢い余った伊三美の拳は陶器製の洗面台に命中し、洗面台は粉々に砕け散る。

 楊が避けた拍子に解放された大輔は、少し残念そうな表情つぶやく。

「……1つは失敗みたいです」

 伊三美が真田に声をかける。

「他愛ない質問で気をそらす、悪くねえな、ただ、相手が引っかかる前にネタばらしはいただけねえけどな。

 楊は、体制を整えながら呆れ顔で伊三美に言う。

「公共の場で知らない人に全力で殴りかかる、非常識にも程があるね」

「男子トイレで少年を拐かそうとしてたオメーに言われたくねえわ!」

伊三美は爽やかな表情で大輔に語りかける。

「アタシは三好伊三美!アンタの名前は?」

 場にそぐわない爽やかな問いかけに、大輔は思わず答えてしまう。

「あ、真田、大輔、です」

 伊三美がにっこり笑う。

「どうやら間に合ったみてーだな」

 伊三美は楊の方を向き、右手の指二本を立てて、手の甲側を相手に向けて突き出す。英国式に見れば侮辱のサインだ。

「さてと、そこの痴女!オメーに2つ、選択肢をやる!」

 伊三美は突き出した手の中指を曲げ、人差し指だけを立てる。

「1つめは、おとなしくここを立ち去る、そうすりゃこっちもこれ以上の手出しはしねー」

 伊三美はさらに人差し指を曲げ、中指だけを立てた。英国人でなくとも通じる、明確に相手を侮辱するサインだ。

「2つめ、アタシに表が裏かもわからね―ぐらいにボコボコにされて、泣きながら命乞いをする、だ」

 楊の表情が険悪になる。

「3つ目が足りないね、自分が強いと勘違いしてるアバズレ女を返り討ちにして、その坊やを連れて悠然と引き上げる、ね」

「面白え、いくぜ!」

 伊三美は拳で、楊は貫手で、両者は同時に攻撃を繰り出した。互いに相手の攻撃を紙一重でかわし、そのまま猛スピードでの打撃の応酬が始まる。

 伊三美と楊は、互いに激しい打撃を交わしながら、外へと飛び出してゆく。


 信と陳が対峙する路上、秋の夕暮れは早く、既に薄暗くなり始めた裏道には通りがかる者もいない。

 二人は互いに構えて、3メートル程の間合いを保ったまま対峙している。

 信は棒を右手に持ち両の腕は下げたまま、いわゆる自然体に近い、構えているとも見えない構えだ。心持ち体の右側を前に出し斜に構えている。

 陳は両手を前に出し、やや前傾姿勢に構えている

「行くよ」

 陳はそう言うとゆらりと上体から前にでる、二三歩踏み込むと瞬時に大きく跳躍し、信の脇をすり抜け、さらに先に着地する。

 陳のすれ違いざまの、鉤爪での切りつけを受け、信の半棒には四筋の傷が付いている。

 走り幅跳びの世界記録は8メートル95センチ、ただしこれは十分な助走距離をとったうえでの事である、陳は無助走に近い状態で一瞬のうちに数メートルを跳躍していた。

 着地し、振り向いた陳は、トントンとその場で軽く飛び跳ねて体制を整えながら言った。

「人並み外れた跳躍、これがあたしの特技だ、だから人からは『跳澗虎(ちょうかんこ)』って呼ばれてる、谷を飛び越える虎って意味さ」

「すごい跳躍です、でも」

「でも、なんだい?」

「速さはそれほどでも、ないですね」

 信の言葉に、陳の表情が険しさを増す。

「……そうかい」

 陳は再び襲撃の姿勢に移る。

「シャッ!!」

 再度跳躍しながら鋭い気合とともに切りつける陳、最初は片手だけだったのが、今度は左右の手で斬りつけている。

 陳の攻撃を防いだ信の棒には、さらに四筋の傷が二か所、増えている。

「ああ、棒が……」

 信の一言に苛立つ表情を見せる陳。

「棒の心配より!」

 叫びながら陳はまたも飛びかかる。

「自分の心配だろうが!!」

 二人が交差する刹那、硬質の衝撃音が響く。信が身を沈めつつ繰り出した突きが、宙にある陳の眉間を的確にの捉えていた。

 そのまま白目になり、落下する陳。

「彩霞流(さいかりゅう)棒術、中伝、朝露(ちょうろ)の突きです、本当はもっと色々と技をお見せしたかったのですが……」

 棒を見てため息をつく信。

「棒が傷だらけになってしまったので」

 信は取り出した簡易手錠、ナイロン製の結束バンドのようなもので陳の手足を素早く拘束する。

 拘束を終えた信はスマートフォンを取り出し、八犬士の本部へと連絡する。

「こちらは犬塚です、被疑者一名を拘束しました、至急回収をお願いします、場所は――」

 通話を終えた信はスマートフォンを操作し、画面を確認する。画面には付近の地図が表示され、中央には赤い点が一つあった。赤い点は公園の中から移動していない。先程の公園で大輔の服装を整える時、素早く発信機を付けたのだ。

 (発信機は動いていない、ですね)

 スマートフォンをしまった信は、公園へ向かって脱兎の如く駆け出した。


 公園の中では伊三と楊、互いの激しい技の応酬が続いていた。

 立て続けに鋭い貫手を繰り出す楊、それをギリギリの所でかわす伊三。手技、貫手を主とする楊の攻撃は俗に蛇拳と呼ばれる中国拳法のそれだった。

 遅れて大輔がトイレの外へと出てくる。と、そこへ信が駆けつけてきた。

「何かあったのですか?」

「あの黒い人に拐われそうになったところに、あの大きい人が助けてくれて……」

 激しい攻防の中、相手の攻撃を捌く伊三美の内心には一つの疑念が生じていた。

(確かに速えことは速えけど、かわせねえ速さじゃねえ、それに突きの威力も足りねえ、長引けば不利なのは知ってるはず、なのに急所もろくに狙って来ないのは何故だ?)

 毒を使ってくる可能性も考えたが、鋭敏な伊三美の鼻は毒を思わせる匂いを嗅ぎ取ってはいない。

(しょうがねえ、こっちから誘ってみるか)

 伊三美はあえて大ぶりのロングフックを繰り出す。

 その一瞬を捉えた楊の眼光が鋭さを増す。

「もらった!」

 楊は一段階速さを増した動きでフックをかいくぐり、伊三美の背後へ回り込む。さながら巨大な蛇を思わせる動きで絡みつき、両腕で伊三美の首へ裸絞、またはチョークスリーパーと呼ばれる技を決める。両足は胴へと絡めている。

 仁王立ちの状態で締め上げられる伊三美の耳元に楊がささやく。

「狙ってたのはこれさ、人からは白花蛇(はっかだ)と呼ばれるアタシの極め技、味はどうだい?」

 伊三美はこめかみに血管を浮き立たせつつ、両腕を使って楊の手を引き剥がそうとするが外れない。

 かろうじてまだ立ってはいるものの、伊三美の両腕がだらりと垂れ下がる。

 絡み合う2人の所に思わず駆け寄ろうとする大輔の肩を、信が片手で掴み、制止する。

「大丈夫、まだ決着はついていないようです」

 だらりと下げられていた伊三の両腕に再び力が宿る。

 伊三美は、右手で締め上げている楊の腕をがっちりと握り、左手は胴を締めている楊の足を強く押さえつける。

(まだ動けるのか……!)

 締め付けを強める楊。

「離……すんじゃ……ねえぞ……」

 食いしばった歯の間から言葉を絞り出しつつ、伊三美は、一歩、また一歩と前へ歩き出す。

 伊三美の歩みは徐々に速さを増し、ついには走りへと変わった。

(まずい!)

 危険を察した楊は慌てて離れようとするが、手も足も恐ろしく強い力で押さえつけられ振りほどけない。

「うおおおおお!」

 叫びとともに、伊三美は手も使わずに脚力のみで公園の遊具を一気に駆け上がる、最も高い所でさらに跳躍し、背中から地面へとダイブした。

 伊三美と楊、二人はそのまま地面へと叩きつけられる。人気のない公園に鈍い音が響いた。

 地面に倒れている二人、やがて伊三美がむくりと起き上がった。

 伊三美は首を鳴らしながら言う。

「普通の相手なら決まってたかもしれねえが」

 伊三美はそこで大きく笑みを浮かべる。

「相手が悪かったな」

 体の埃を払いながら立ち上がる伊三美のもとへ、大輔と信が駆け寄る。

「さてと、真田大輔くん」

 伊三美が大輔へ言った。

「ちゃんとした自己紹介がまだだったな、あたしは真田十勇士の一人、三好伊三美、君を保護するよう命を受けてここに来た」

 大輔と信は声を合わせて驚く。

「「十勇士!?」」

 大輔と信は顔を見合わせる。伊三美へ向き直ると大輔は言った。

「ええと、少々込み入った話になりそうなんで……うちへ、来ませんか、お二人とも」


十勇士と八犬士、その関係の始まりは戦国時代の頃までさかのぼる。

 戦国時代も末の頃、関ヶ原の戦いで勝利を収め、政治支配の実権を掌握した徳川家康は1614年、豊臣氏を完全この世から消滅させるべく大阪城攻略へと乗り出した。

 しかし二十万とも伝えられる圧倒的な軍勢持って攻め寄せ、冬と夏二度の攻略戦を経ても大阪城は落とせず、豊臣家は幕末に至るまで強大な大大名(だいだいみょう)として存続する事になる、その陰には真田幸村と彼に率いられた真田十勇士の活躍があった

 更には大阪城夏の陣において、真田幸村と十勇士は家康本陣を急襲、家康は一時は死を覚悟するまでに追い詰められるが、その危機を救ったのが里見八犬士であった。

 これにより幕府側・徳川方となった八犬士と、反幕府側・豊臣方となった十勇士は、幾重にも世代を重ねつつ、その力を受け継ぐ者たちによって、徳川幕府が終焉を迎えるまでの間、暗闘を繰り広げる事になる。

その後明治維新によって新政府が誕生すると、新政府に対して八犬士は警視庁の一部として公的な立場から、十勇士は表向き政府に所属しない私的な組織として、それぞれ陰に日向に国家を支えていく事になる。


 ここは真田家のダイニング・ルーム、テーブルの片側には信と伊三美が並んで座っている。

 その反対側には真田大輔とその母が並んで座っていた。

 釈然としない表情を浮かべ、腕組みをする伊三美の隣で、信は涼しい顔で出された茶を飲んでいる。

 会話の口火を切ったのは大輔だった。

「……で、三好さんいわく、僕には真田十勇士の指導者である真田幸村の星が宿っていると」

「うん」

 と、伊三美が応じる。

「そして犬塚さんいわく、僕には八犬士の指導者である丶大法師(ちゅだいほうし)の魂が宿っていると」

「はい」

 と、信が答える。

「いやだっておかしいでしょ、我が国の人口が約一億二千万としてその中からただ一人選ばれる確率は一億二千万分の一、そいつを一億二千万人の中に戻してガラガラ混ぜて、もう一回引いたら同じ人でした、なんていったいどういう確率なんですか!」

 と、まくしたてる大輔に、伊三美が言った。

「いやーおっかねえな、少子化ニッポン」

「……茶化さないでください」

 伊三美に言い返した大輔は、さらに続ける。

「それにうちなんて、血筋で言えば庶流も庶流、何代前に分家したかもよくわからないような家ですよ、まあこれは父に聞いた話ですけど」

「嫡流だろうが庶流だろうが、血の濃さなんて皆同じ、一代下れば半分、二代下れば四分の一、三代下れば八分の一だ、それに過去の“真田幸村”が全て本家筋から出てるわけじゃねえ、ま、その点は十勇士も一緒だけどな、それより」

 と、そこまで言うと伊三美は信を横目で見つつ、続ける。

「こっちがいまいち信用ならねえのは隣のお嬢さんの言い分だ」

 伊三美は一口茶をすすると続けた。

「なんせ十勇士と八犬士、初めて相対した大阪では敵味方、幕末でも敵味方、明治以降はまあ、場合によって敵になったり味方になったり色々だ、今回もなんかの嫌がらせを……」

 手にした茶碗をテーブルにおいた信は、笑顔で真田の母の方を向きながら問いかける。

「お母様、不躾(ぶしつけ)ではありますが、旧姓をお伺いしてもよろしいでしょうか」

 真田の母が答える。

「金碗(かなまり)ですが」

 伊三美は驚きの声を発した。

「マジか!?」

「え」

 大輔に伊三美が言う。

「金碗大輔孝徳(かなまりだいすけたかのり)、初代の丶大法師の俗名だ、しかし真田氏の一族と金碗氏の一族の婚姻なんて、よくどっからも横槍が入らなかったな」

 真田の母は笑いながら答える。

「まあうちも庶流でしたから」

 伊三美は、改めて腕を組みつつ言った。

「……となるとすぐには結論は出ねえかもな、まあ状況は上の方に投げといたから、今頃は事実関係の確認と政治的なやり取りの準備で大わらわだろうな」

 伊三美が信へ問いかける。

「そっちもだろ?」

「はい、八犬士の筆頭は一応、私ですが、政治的なお話が得意なかたは、他にいますので」

 伊三美は小さくため息をつくと姿勢を正し、真田の母の方に向き直り、言った。

「っつーことで、引き続き二十四時間体制で護衛の任務に当たる事になりますので、お母さん、ご協力のほどをよろしくお願いします」

 続いて信が真田の母へ深々と頭を下げる。

「同じく、私も身辺警護にあたらせていただきます、よろしくお願いいたします。」

「あらあら、お客様用のお布団、用意しなくちゃ」

 真田の母が席を立つ。その様子を横目で見つつ、大輔はつぶやいた。

「受け入れるの、早すぎるでしょ……」

 伊三美が話題を切り替えた。

「さて、となると問題は襲ってきた連中だな……」

 大輔は小さく手を挙げ、言った。

「あの、多分ですが、1人は香港の人かと」

 信と伊三美は少し驚いた顔で真田を見る。

「なぜですか?」

「なんでだい?」

「僕を直接襲った方の人、ヤンって言ってたし、あと日本語は流暢だったんですが、ほんの少しアクセントに違和感があったので、聞いてみたんです、“今何時”って」

 と、一息入れると大輔は続けた。

「最初は広東語で、反応がなければ北京とか客家とか、もっと色々続けるつもりだったんてすが」

 伊三美は感心した風に答える。

「なるほどな、あの質問、単に気をそらすためかと思ったが、思い出してみたらその通りだ、広東語に笑って答えてやがった」

 笑顔で信が言う。

「襲われながらも冷静な判断、お見事ですね」

「あ、いや、そんな大したものじゃないです、逆らわなければ手荒な事はされない、ってのはわかってましたし」

「いやいや大したもんだ、パッと見は頼りなさそうにも思えたが、なかなか見せてくれるじゃねーか、うちらの主(あるじ)の片鱗ってやつをさ」

 伊三美の発言に信が釘を刺す。

「私たちの、です」

 伊三美が信の方を見つつ、言う。

「まあどっちにしても、そっちのルートで各国の警察組織に照会中なんだろ?」

「はい、過去に犯罪歴があるか、そういった組織の構成員であれは、遅くとも明日には」

 そこで大輔が気になっていた事を口にした。

「そういえば、襲ってきた二人はどこへ……」

「お二人とも病院です、いちおう監視は付けているはずですが……」

 伊三美が信の言葉ににかぶせて言う。

「まああの状態じゃ、悪さをするどころか脱走もできねえだろうな、しばらくの間は」


 真田家での話し合いが行われていた同日の同時刻、香港。とある高層ビルの最上階に九龍会と呼ばれる組織のオフィスがあった。

 窓の外には「十万ドルの夜景」と称された香港の夜景が広がっている。

 豪奢だが落ち着いた調度の置かれた部屋では、大きな執務机にチャイナドレスの女、史竜媚が座っていた。

 右腕に一匹、左腕にも一匹、史の両腕には見事な龍の入れ墨が彫られていた。

 机の傍らに立つ女、組織の副主領各である朱(ジュ)からの報告を受けている。

「貴女にあの二人を抑える事ができないとはね……」

 朱は深々と頭を下げる。

「申し訳ございません」

「……まあ良いわ、二人とも、生きているのなら何も問題はない、奪還はいつでもできる」

 ふと窓の外へ目をやると史は続けた。

「それに逸る気持ちもよくわかる……でも、少しの間は様子を見る事にしましょう、あの二人にはゆっくり休んで傷を癒せと伝えて」

 朱はふたたび深々と頭を下げる

「はい」


その翌日、昼下がり、真田家の最寄り駅である阻止賀谷大蔵(そしがやおおくら)駅のホームに、一人の女が降り立った。

 整った顔立ちに、ふくよかな胸元、丸眼鏡をかけ、伝統的な英国式のメイド服を着てキャスター付の!スーツケースを転がしている。

 だが何よりもその女を周囲の人間に強烈に印象付けたのは、おおよそ二メートルに届こうかというその身長だった。

 メイド服の女は顔を上げ言った。

 「さて」


 第一話 終

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