「自分と向き合う年末年始」のススメ
15秒で分かる今日のポイント
●「自分と向き合う」ことなしには子育てはできない
●1人合宿で行った「原体験ワーク」の話:準備とやり方
●今の価値観が自分のどんな「原体験」によって作られたかを知る経験をすると、「固定観念」に気付くことができるようになる
●子供によって「固定観念を揺さぶられた」ら、それをさらに自分で揺さぶってみよう
本日40数回目の誕生日を迎えました!!お誕生日おめでとう、私!
このブログが公開される頃は、家族で旅先にいるはずです。
夫婦の誕生日には、互いにサプライズ企画旅行をプレゼントすることに(暗黙の了解で)なっていまして。結婚して9年、ずっと続いている習慣です。
なので、私はこのブログを書いている今、行先を知りません。
今年はどこに行くんだろう?おそらくコロナで遠出は無理なので、近場の温泉地で家事から解放されてのんびりしているのだろうと思います。
■子供は生まれた直後から「人生観」という栄養を親から日々吸収している
誕生日に際してこれまでを振り返ると…
私は両親や妹たち、結婚してからは夫や子供にばかり気持ちが向き、誰かのためをいつも意識して生きてきた人生だったように思います。
「誰かのために」というのは聞こえはいいですが、実は「自分と向き合うことを避ける」ための口実だったりします。
自分の心に従った結果、誰かを傷つけてしまったり、誰かに嫌われてしまったりしたら、それはすべて「自分のせい」になります。
でも誰かのためにしたことで何かあっても「仕方ない。あの人のためにしたことだから」「あの人の意向を汲んだ結果だから」という「言い訳」ができます。
私は子育てを機にこれって問題あるな、と気づきました。
子育てって、自分と向き合うことなしにはできない
この事実に気づいたときに、「ヤバい!」「これまでそこに蓋をしてきたつけが回ってきた!」とすら思いました。
もし、「別に自分と向き合わなくても子育てなんてできるよ」と思っている人がいたら、それこそヤバいです。
子供は大人のうそを見抜く天才です。自分自身と向き合っていない親のこと、ちゃんと気づきます。
そして、子供は「言われたこと」より「見たこと」を吸収し、育っていきます。そう、つまり、文字通り「親の背中を見て育つ」んですよねー。
子供が挨拶できないのは親がしていないから。
子供がグローバルな思考を持てないのは親が持っていないから。
子供が本を読まないのは親が読んでないから。
子供が働くことをネガティブにとらえてるなら親が働きことを楽しんでいないから。
子供が結婚したくないのは、親がいい結婚の形を示せていないから。
子供が大人になりたくないのは親が人生を楽しんでいないから。
子供の主要情報源はやはり親であり、お腹から出てきた後も親から「情報(人生観)」という栄養を吸収しています。
それを否応なしに、ビンビン感じさせられる日々…とても刺激的です(いろんな意味で)!
だから、なぜ今の自分が「自分」なのか、どこかで向き合わなければと、ここ数年その必要性を感じてきました。
■「1人合宿」で自分の「原体験」と向き合う
そんな私が先日したこと。
それは、一人合宿!
これまでの自分の棚卸しをするために、3駅向こうのホテルに2泊3日で泊まって、じっくり自分と向き合いました
ホテルからの風景です↓
もちろんそんなことしなくてもできる人はできるのでしょうが、
家事や育児の忙しさに逃げてしまいそうな弱い自分自身に対しては、物理的に環境を作るのが最も効果的なのを知っているので、今回はこの形に。
自分と向き合うにはそれなりの手法も必要でして、今回は友人が紹介してくれた「原体験ドリブン」を使って、今の自分を形作った「原体験」を掘るというワークを友人と行いました。
<準備>
●心を許せる友達を「原体験ワーク」をしようよ!と誘い、半日~1日付き合ってもらう約束を取り付ける
●以下の5つの質問に答えておく
①今していることは何か
②時間を忘れて没頭できることは何か
③好きな言葉や座右の銘
④やりたくないことは何か
⑤将来したいことは何か
<原体験掘り堀りワーク当日>
●上記の5つの質問の中で、自分にとってより重要な質問や強い思いのある質問を選ぶ
●それについて「なぜ?」「いつから?」「誰と?」など、過去にどんどんさかのぼりながらそのように考えるようになるきっかけになった「原体験」を探るべく、友達に質問してもらう(1セッションにつき15-20分程度)
●質問をする友達は、それを書き留めていく(途中で主観を述べたりアドバイスしたりしない)
これがなかなか面白い経験で、友達に質問されながら話していくと、不思議と思い出されることがあり、自分がとても些細なことがきっかけで今の価値観や固定観念を持っていることに気付いたりするのです。
また、自分が「恐れていたこと」から今の固定観念が出来上がっていたりするのですが、その「恐れていたこと」はとっくに克服していたり。
例えば...
掃除が好き・時間を忘れて没頭できる大事な行動の1つ(今の価値観)
↓
反対に部屋が汚いと無力感を感じる。自分が自己コントロールが効かないダメな人間に感じる
↓
実家の両親が貧乏暇なし生活で、いつも自宅がごちゃごちゃして汚れていたのが不快だった。でも、子供なので何を片付けていいのか処分していいのか分からず、自己決定権がないことがいつもむなしかった
↓
貧乏で忙しいから部屋が汚れるんだ、と感じていたので、部屋が汚れていると貧乏になった気持ちになる
↓
貧乏になると自己決定権がなくなり、自己コントロールができなくなるから、お金を稼げない自分になるのが怖い
今、私は「掃除が好き」でとてもハッピーに掃除しているのですが、掃除ができなくなると一変してすごく自分を責めるところがありました。
なんでこんなに掃除できないと嫌な気持ちになるんだろう?とは思っていましたが、自己決定権を失う恐怖心に繋がっていることや、お金の価値観にもつながっているとは思っていませんでした。
それで、今ちゃんと「自己決定権を持っている」自分や「ちゃんと働いてそれなりに稼げている」自分に気付いたとき、掃除できないくらいで自分を責める必要はないではないか、なんて思ったりしたのです。
■価値観や固定観念を揺さぶられたら、「守り」に入らず「自分でも揺さぶって」みる、を当たり前に
子供と日々接してみると、固定観念を揺さぶられることって多くないですか?
例えば、
忘れ物は絶対しちゃだめ!
忘れものをしたら大変だ!
って私たちは小さいころから結構しっかり教育されてきて、私も小学生になった娘が忘れ物をしないためにどうしたらいいか?!と色々考えていました。
そんな娘とのある日のできごと。
娘の筆箱に消しゴミがないことに気付きました。
私「消しゴムどこに置いてきたの?」
娘「時々学童に忘れてきちゃうんだよね」
私「えー!じゃあなかったのは今日だけじゃなかったのね。困ったでしょ」
娘「大丈夫!Aちゃんがいつも2個持ってるって知ってるから借りるんだー!Bちゃんも消しゴム2つに割っちゃったから1つあげるって言ってくれたし」
忘れ物だらけでいいとは言いませんが、今回のケースは…
忘れ物によって社会性を学んでいる。
娘はちゃーんと貸してくれる人を見つけて、優しい友達に甘えることができている。
それもいいんじゃないかと。
忘れ物をする中で、本当に忘れてはいけないものと、そうでもないものをそのうち学ぶだろうし、人にお願いするということを学ぶのも1つの社会勉強かもしれないな、と。
私の本来の価値観なら、「人に迷惑かけちゃダメでしょ!」なんて言ってしまいそうなところ、
「そうかそうか、お友達に助けてもらえてありがたいね。あなたもお友達が困ってたら助けてあげようね」と話しました。
原体験ワークをしてよかったことの1つは、自分の持っている思い込みや固定観念について、気づけるようになったこと、
自分の価値観が子供によって揺さぶられたら、これも私の何らかの経験から来た思い込みかもしれないな、なんて一度考えてみるようになれたこと、
かもしれません。
人は自分の固定観念に挑戦されると、「守り」に入りたくなりますよね。
そんなことない!これが常識だろ!!
みたいな。
特に会社の年配の人と話していると日々そんなことを感じます。世代が違うので、「この人の時代の常識はそうなんだろうな」と思ったり。
子供に対しても当然世代が違うので、同じようなことが起こったりするわけで。
ましてや子供はまだ自分のことも十分にできなかったりするので、なおのこと「常識を教えてやらねば」という意識になったりしますよね。
でもそうではなくて、
「それもありなのかな?」と一度自分の固定観念を自分でも揺さぶってみることが当然になれたら、
明らかに「New Generation(新しい世代)」である子供ともやりとりがもっと楽しくなる
そんな気がしています。
2020年も読んでくださった皆様、ありがとうございました!
今年最後のブログになります。年始は11日からを予定しています。
では、良いお年を!
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