学びまとめ・振り返り<居場所の未来 最後まで自分らしく生きるにはー記者が見た終末期ー>

「居場所の未来」
最後まで自分らしく生きるにはー記者が見た終末期ー

「死」は近くにあると思っているし、深く考えてきたと自負する。宗教について考えるときにも「死」は避けては通れないものである。
ただ、私が馴染んでいるのは凄く抽象的な「死」であったと気づかされる講義であった。大学生の頃に祖母の死を経験したものの、身近な存在とは言い難い関係性であった事も相まって、具体的な広がりには欠いていたと思う。
私には具合的な死についての知見がかなり乏しいと思う。それは幸福な事であるのだが、まだ身近な死を経験できていない。
抽象的にどれほど死について思索を巡らそうとも、それはあまりにも軽薄なものではないだろうか。反省の思いが浮かんできた。

□森岡正博さんの生命倫理の本
□西の魔女が死んだ
□夏の庭
□青空の向こう

□悲しみにある者
”それまで、本に救われるという経験はなかったし、これからも、そうしたことはないだろうと思っていた。本は親密な友にはなり得るが、保護者や救済者とは違う。仲睦まじい日々が過ぎれば、新たな出逢い、異なる刺激を、心は求めて移ろっていく。 夫を亡くしたあの頃、あらゆる本がよそよそしかった。

物語がわからない。彼らの人生に心が動かない。あの頃、通勤電車で私は何をしていたのだろう。鞄の中に、本の姿はなかった。 J・ディディオンの『悲しみにある者』を手にとった理由は憶えていない。ちょうどその年に刊行された本のあとがきを偶さか読み、氷結していた心が、不意に融けたのだった。

ひと月ほど、私の鞄にはその本があった。往復の電車で読み、深夜の台所で読んだ。私を救ったのは、〈悲しみにある者〉の放心した気配だった。そうした人のかすれた声だった。 J・ディディオンは長く私にとってタフな作家だった。しかし、彼女は震える手を持つ、小さな声で囁く人でもあったのだった。

その本に、私は救われたのだと思う。私の鞄に本が戻った。読書会に参加するようになった。追憶に生きることを止めることができた。 しかし鈍痛はやってくる。その度に作家の本を開き、彼女に感謝をしてきた。 社会的に大きな仕事を為した人だったが、私という小さな個人に対しても、そうだった。”


お気に入りの一日を生き切るように生きていたいと望む私。
それなら自分の終末についてももっともっと身近に考えて今日のことのように決断をしなければならないと気づく。
日々の選択に自覚的になり、丁寧に、美しく重ねていきたいと考える。終末の選択も同様に考えなくてはならない。
選択肢が多いから、
難しい選択だから、
きっともっと先の岐路だろうから、
そうやって先延ばしにしてしまいがちだと思う。
そして日々も流されるまま、宙ぶらりんのままなんとなく生きていると、そんな大きな選択を下せるわけがないのだ。
日々の何気ない些細な選択もその訓練と考えて向き合っていけたら。


・過剰な医療は不要なものなのかもしれないけれど、人によってその過剰になりえる限度が異なるという難しさがあると感じた。その為にもその人の持つ価値観を周囲の人へ共有する必要があるのだと思う。生死観というととても重く感じるかもしれない、生死観と言わずとも、些細なテーマであっても共に思考を巡らせその人について考える時間を大切にできたらいいな。
1人の人を知り切ることなんて不可能なことであって、それを強いることもそれを望むことも必要ないことであり、秘めたる部分もあった方がいいと思うけれど、少しでも重なる事が出来たらいいな。

・医療はどんどん発展していくだろう。
でもそれは終末に置いての苦悩が増幅していくことも意味しているのかもしれない。
選択、しかも生死に関わる選択が増えるということ。それはあまりにも苦しいと思う。
それでも科学の発展をとめることはできないのだ。苦しい社会だ。

「延命治療を中止するという選択は医療従事者へ大きな負担になる。医療従事者にしてみると、只々続けていた方が容易なのだ」
という言葉は印象的だった。
「病状と共に気持ちも揺らいでしまうもの」終末を迎えた時に、最後の最後まで自分を貫く事ができるように、今のうちから信念を貫く訓練をしていかないといけないのだ。いつかではない、それは次の瞬間に訪れても何も不思議でないのだから。

・ACP アドバンスケアプランニング(患者の意思決定支援計画)(=人生会議/)

・年を重ねてからのものと思ってしまいがちだが、25歳の自分でも終末のノートを購入して書き記していこう。






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