「格差についてⅠ」下流社会/三浦展 新型格差社会/山田昌弘 

・近代社会が始まって以来、人々は生活の豊かさを目標に発展してきた。しかし、目標だった豊かな生活が可能になればなるほど、物理的豊かさへの懐疑の念が繰り返し問われ続ける歴史がある。社会が停滞してくると「モノより心」という言説が主流になってくる。
 
今の時代を生きてて、実際に身を置いていると「これは自分独自の主張である」と誇り高く思っていたとしても、それが時代の主流である可能性は大いにあり得る。だからと言って口を紡ぐ必要はないと思うし、解釈を深め細分化し、その中から自分独自のものを見い出すが必要だと思う。また、「時代は繰り返す」ということを理解し、時代の流れを俯瞰する目も備えておくことで自分の思考の傾きもある程度であれば調整できるかもしれないと感じる。
 
生活の豊かさ やはりどこまで行っても見栄なのではないかと思ってしまう。必要最低限で生きてゆくことはできる。格差社会の中で、高価でハイテクな「上」ものものも増え充実していくだろうが、なくても生きていける。大切なのは「選べる」状況なのだと思う。何と己を商品として差し出した対価を交換していくか。交換しているという自覚を持つ必要があると思う。稼ぎがどれくらいであれ、「自分」というものは変わらないのだからお金の価値だって変わらないのだ。
 
他人から必要とされ評価される状況を自分の手で作り出すのが、資本主義社会の特徴。(昔は生涯属するコミュニティがほとんど決まっており、普通に生きているだけで必要とされる状況だった。)
消費社会において幸福を生み出すと期待される商品・サービスを買うことが近代社会の幸福の基本となった。(個々の自由とされていそうな「幸福」もその筋書きや物語は実は資本家にコントロールされているということ。昭和の時代の共通認識であった「豊かな家庭生活を作ることが幸福」という物語もそうなのかもしれない。それへの志向が消費を拡大させた。いま当たり前に思っていることも刷り込まれた幸福・豊かさの形なのかもしれない。(EX コーヒーを家庭でも飲む・外食をする・マイホームを持つ)ものを持つこと・みんなと同じこと・流行にのることは幻想の幸福であることを忘れない。)
 
身一つになったときに残るものを磨く、投資することが必要なのだと思う。メディア・広告に動じない消費を心がける。
 
長い物語を終えた豊かな高齢者、物語をそもそも続けられない独身者は個人消費(ブランド品)を始める。個人消費は消費の多様化を可視化した。
個人消費は家族消費に比べて幸福の持続時間がかなり短い。
社会が不安定で貧しくなると消極的幸福を優先するようになる。(そもそも消費をしなくんっていく)
 
家族消費が減る一方でブランド消費を代表とする個人消費が限界に達している。ここに「アイデンティティ消費」という新しい消費が登場する。
幸福は自分の人生を他人から肯定されるところに生まれます。家族消費というのは、家族生活を豊かにする商品を買うことが幸福であり、ブランド消費というのは高い社会的地位を認めてもらうことが幸福だった。新しい幸福とは自分の人生を肯定するものに直接お金を使うというあり方。他者から必要とされ、大切にされ、評価される自分を個人で作り出す。家族やブランドなどのまどろっこしい回路を通さずに直接己の承認や評価を得ることになっていく。全て自由というのは迷いを生み、苦しさも伴うが、価値が一律ではなくなったのは生きやすさがあると思う。しっかり恩恵を受け、己の価値をつきつめていきたいと思う。とんがらせていきたい。
 
階層格差が広がっている。所得格差が広がり、そのため学力格差が広がり、結果階層格差が固定化し、流動性を失っている。希望格差も広がっている。一番の格差は「意欲」。社会全体の流れが上昇気流であればいいが、社会が上昇をやめてしまったら、上昇する意欲と能力を持つものだけが上昇し、それがないものは下降していく。やはり上を目指す事は必要であると思う。
 
格差社会と言うが、そもそも価値観の多様化の時代であり、所得が高いことが=幸福という価値観が崩れた(崩さざる終えない状況?)とも捉えることができる気がする。所得が低くとも、高額な上品を揃えることができなくとも満ち足りた幸福を携えることができた親の元に生まれた子供は幸福なのかもしれないと考えてしまう。ただチャンスが奪われること、チャンスを得る機会に格差があるというのはあまりよくないのかもしてれない。価値が多様化している時代。子はどうしようもなくまずは親の価値観が全てとして育つ。己さえよければという発想の生き方の上で子育てをしていくと考えるとそれは子の人生の広がりを遮りかねないとも考えられる。
理想は子どもはハイレベルな教育を提供できるくらいの所得を自分の価値観に沿った仕事で得られることのように思う。そして自分らしい消費活動も適えることができたらそれに勝ものはないのではなかろうか。
 

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