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突然の急ブレーキ⁉️王道家に何が起きているのか 前編

こんばんナマステ💛Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️

今年一番読まれた記事って旅行業界の話でも、インド関連の話でもなく、これらしい。やっぱり家系ラーメンって注目されるのかな。

ということもあり、今日は自分が大好きで、この年末関東にあるグループ店の年内制覇に向けて急ピッチで食べ歩いてきた家系ラーメン店王道家について書きたいと思う。

というのは今年に入って、明らかに王道家の勢いに急ブレーキがかかっており、先行きにサステイナビリティを感じないから。

今年できた新店舗が軒並みおかしなことになっており、飛ぶ鳥落とす勢いは完全に消え失せてしまっている。

それは一体どーゆーことなのか。

今回、王道家関連企業の履歴事項全部証明書をいくつか取得してきたので、ネットで調べたらわかる情報だけではなく謄本も参照しながら書いていきたいと思う。

まず、王道家は有限会社清水商事(法人番号040002096436)が運営する横浜家系ラーメンの店で、

現在王道家の商号で千葉県柏市と茨城県取手市に店舗を構えるほか、清水商事が運営する店舗が千葉県野田市(神道家)と東京都千代田区(IEKEI TOKYO)にあり、それ以外にも弟子の店やプロデュース店など関連店は関東地方を中心に多数ある。

このあたりは明日の後編で整理していきたい。

有限会社清水商事の代表(謄本では唯一の役員である「取締役」)となっているのが清水裕正氏で、一般的には王道家の社長または店主と呼ばれる。「清水社長」という呼ばれ方が一番多いかな。

清水氏は1973年11月21日生まれで、

出生は兵庫県尼崎市だけど、

幼い頃に千葉県我孫子市に移り、茨城県取手市にもいた様子。

我孫子と取手は利根川を挟んで県は分かれているけれど同じ相馬藩領で結びつきが強い双子都市のような存在なので、両市間で家を移り住んでいく家族も珍しくなさそう。

野球少年で、当時野球が強かった千葉県立我孫子高等学校へ進学。

同級生の投手に荒井修光氏がいて、彼は甲子園で2勝を挙げるも、早稲田大学に進学して捕手に転身。捕手として日本ハムファイターズに入り、一軍で通算16安打しか残さなかったものの現在も同球団の職員をしている。

当時の野球部は、その父親である荒井致徳氏が監督を務め息子の時を含めて我孫子高校を甲子園へ2度導いている。その後移った高校で女子生徒へのセクハラを起こして懲戒免職、晩節を汚してしまったけれども、名将であることは間違いない。

荒井監督が対戦相手の球児たちにも惜しみなく技術指導していたのが、後年清水氏が自身の弟子のみならず毛色の違う輝道家や箕輪家などに惜しみなく技術を教えるようになった原体験らしい。

さて、そんな清水氏は甲子園に行けたのかというと怪我で野球を断念し、目標を失ってグレてしまったらしい。

その後工場で働きつつ、ラーメン屋になることを決意する。

横浜家系ラーメンの総本山である吉村家と永福町大勝軒で迷ったというけど、ラーメン自体を好きになったのは高校生の頃に食べたラーメンショップがきっかけらしい。

今年清水氏がラーショをオープンさせたのは家系ラーメンの原点だと説明しているけれど、実は自身の原体験でもあったのだ。

ここかなぁ❓その当時からあったかは知らんけど。

ひとまず清水氏は2002年、吉村家の門を叩き、最初はイケメンであることを理由に断られるも(根性ないと思われた❓)何度も嘆願して、無給での修行に入る。

厳しい修行を耐え、免許皆伝を受けて2003年1月に土地勘のあった千葉県柏市に王道家(旭町にあった旧店舗)をオープンさせる。この時点ではまだ清水商事は設立されておらず、個人事業だったと思われる。

今のように誰もが家系ラーメンを知っているわけでもなく、最初の3年程度はまったくガラガラだったらしいけれども、徐々に味と顧客を確立して人気店になっていく。

吉村家の妹弟子まつり家の開店ドキュメンタリィに若き日の清水氏が出てきて確かにイケメンなのだけど、

「基本を忠実に。吉村社長を信じてついていくこと」

という清水氏からのアドヴァイス、実は自身に言い聞かせていることがわかる。2人の開店時期は9ヶ月しか離れておらず、他人に何か忠告できる余裕なんかなかったはず。

2000年代前半は産みの苦しみを味わうも、後半には経営が軌道に乗り始める。

2005年5月27日に清水商事を設立しており、開業およそ2年半の段階で一定の事業化の目途がつき、また雇用や税務などの問題からも法人化が必要になってきたタイミングだったのだろう。

謄本における現在の清水商事の住所は「千葉県柏市旭町一丁目14番3-904号」となっており清水氏の自宅に所在するけれど、2009年2月11日までは「茨城県取手市戸頭四丁目12番1号」にあったらしい。

恐らくは清水氏の旧居(実家の可能性もある)で、それまでの間取手から柏まで通っていたのだろう。現在の自宅は柏の最初の店舗にも今の店舗にも歩いて行けるところにある。

ちなみにサーパスシティ柏というマンションのようだ。恐らく穴吹工務店のマンションだよね。

しかし、2011年には吉村家を破門され、袂を分つことになる。

その理由として、清水氏側は吉村家から紹介してもらった酒井製麺を棄て自家製麺を始めることと、孫弟子を認めない吉村家の方針を脱して弟子を育てて世に送り出すこと、また吉村家のワークライフバランス意識の欠如を挙げているのに対して、

吉村氏側は王道家は金に目が眩んだため破門にしたと主張している。

群盲の象じゃないけれど、どちらが正しいのか、ではなく同じ事象をお互いがどう感じているかだよね。

そもそも清水氏は吉村氏に弟子入りを断られ続け、「お金が欲しいです」と言って弟子入りを許された経緯がある。

それで孫弟子を育てたい、自分で麺をつくりたい、と言われたら、てめぇ今よりもっと金が欲しいのかよ、って思うのも無理はない。

「金は追っちゃダメ、追われねぇと。僕は金儲けやらない、教えてもロイヤリティは一切とらない。お金は今日3000円くらいの夜飯が食えればいい。そんなもんでいい」

毎晩3,000円の夜飯って随分ゼータクだよね😅

ちなみに吉村氏の王道家をめぐる発言には大きな矛盾がある。

「10年間、K市で1位だったけど最近は名前も出ない。あそこもね、移転するまで僕が行ってたんだけどね。」

王道家が柏から取手に移転したのは2017年7月のことで破門から約6年が経っている。

この6年の間、破門した店に様子を見にきていたわけ❓

1位って何の1位❓他に自分とこの店なんてない柏市の食べログとかチェキしてんの❓

ちなみに現在の食べログ柏市1位は王道家🤣

というか縁を切った人が移転したことよく知ってるね。自分は過去に縁を切った人が今何してるかなんて知らないよ🤣

何だかんだ見守ってるんだろうね。

この動画の中盤では、吉村氏が破門後の清水氏に電話を架けていることが明かされている。

ただし、清水氏の電話番号を未だに保存している確証はない。なぜなら王道家のホームページに清水氏の電話番号載ってるから。

従業員・修行生募集のためだけど、技術を習得したかったり、取材するために清水氏に直電するラーメン店主やYouTuberなどはいるみたいだから、自分だって電話架けようと思えば今すぐ架けられる。

何はともあれ、吉村家を離れて営業を続け、弟子を育てながら、酒井製麺を上回る自家製麺を開発するのは第二の創業といえる苦しみはあったようだ。

麺もそうだけど、吉村家謹製の刻みしょうがが手に入らないのが大変で、開発に相当苦労した様子。

現在では直系店でなくても刻みしょうがが手に入るっぽいけれど。

実のことをいうと、破門前の2007年の時点で京都の紫蔵という弟子の店が開店している。

蔵前家という六角家系の店(その名の通り東京蔵前にあったけど浜松へ移転)で修行し、王道家で学んだ後も六角家の味でやっている。

時系列からすると、紫蔵の扱いを巡って清水氏と吉村氏の間で関係が悪化したのではないかと考えられる。

であったとするなら、孫弟子を認めるか否かのみではなく、六角家もまた家系の本物であると考える清水氏と、六角家なんか死んでも認めず、後年末廣家をぶつけて潰しにかかった吉村氏の対立軸も見えてくる。

だとしたら、吉村家を破門されて真っ先にやったことは紫蔵をグループに加えたことであろう。

紫蔵はこのような創業経緯から酒井製麺を使う。これが蔵前家の紹介なのか王道家の紹介なのかはわからない。

弟子に王道家の麺を使うことを強制しないのは、そもそもが王道家・紫蔵の2店体制でグループを形成したからなんじゃないかな。

何にせよこの店にはまだ行けてない。来年の課題店だけど、平野神社のとこ結構行きづらいな😅

何にせよ吉村家の呪縛から解き放たれると、看板の無さや製麺などに苦労もしながら、水を得た魚のように動きを活発にしていき、

翌2012年8月、千葉県野田市に初めての支店、つまり清水商事が運営する店として王道をオーペン、2020年3月には神道家にリニューアルした。

2014年1月には一番弟子の熊田家が茨城県つくばみらい市にオーペンするとともに、

吉村家の弟弟子が横浜市神奈川区の六角橋でとらきち家をオーペンさせる。ほぼ同時期に吉村家で修行したものの、いち早く独立開業したかったため兄弟子を頼り吉村家を飛び出したのだという。

ここは並びに吉村家、本牧家と並ぶ御三家の一角六角家があり、2013年7月には吉村家の直系店末廣家もすぐ近くにできた超激戦区。とらきち家・六角家から道を挟んで無水チキンカレーのサリサリカリーの先に末廣家がある。

吉村家と王道家の骨肉の争いの狭間で六角家の存在感が低下してとうとう2017年10月に閉店してしまう。(支店だった戸塚店が事実上本店になる)

そして翌2015年、大きなエポックメイキングが起きる。

8月にはかつて清水氏とともに家系四天王の1人と呼ばれた吉村家の兄弟子が長年やってきた横浜市港南区の環2家が閉店、11月にその兄弟子が従業員を引き連れて同市磯子区に王道家グループの横浜王道をオーペン。なお、吉村氏は環2家を川崎市を中心につけ麺店を営む株式会社玉に売却して9月に再オーペンしている。

環2家の破門について吉村氏は従業員へのいじめが酷かったためとし、清水氏は従業員へのワークライフバランス改善を吉村家に訴えていたのが認められなかったためだという。

それはさておき、王道家は破門したら完全に清水氏(清水商事)の経営になった。吉村家の庇護が無くなった代わりに束縛もない。吉村家直系時代から完全に独立経営。

それに対して、師からの破門と同時に環2家は閉店を余儀なくされた挙句、師が玉への売却と再オープンを主導した。

それが何故かといえば、環2家は吉村家が本牧家に対する刺客として送り込んだ店であり、経営形態はわからないけれど吉村家が経営権を握っている。

このほか先述の六角家に対する刺客である末廣家、吉村家の創業地向かいを護らせている杉田家、吉村氏の次男がやっており従業員募集を共同で吉村家とやっている厚木家については、完全な独立経営ではなく吉村家とある程度連動した経営が行われていると見られる。

雇われ店長に近い状態だった環2家にとって梯子を外された以上、元々考えが近く独立経営に成功していた弟弟子を頼るのは自然なことだったのかもしれない。

兄弟子を加えて家系四天王が2人となった王道家グループはかなり大きな勢力となり、その後も立て続けに弟子を出していく。

なかには弟子とは認められず独自にやっているお店もあるけれど。

また、環2家騒動のあった頃の2015年9月には柏公設市場内に家系ではないラーメンを出すらーめん流星をプロデュース、

2019年11月には2015年から柏駅東口にあった宗八という家系の店のプロデュースも請け負うことになり、

グループというわけではないけれども勢力はさらに拡大した。

ところで謄本において、2019年8月23日に法人の目的の「飲食店フランチャイズ経営に関する助言、指導に関する業務」を「調理、飲食店経営及びフランチャイズ経営に関する助言、指導及びコンサルティング」「調理、飲食店経営及びフランチャイズ経営に関する塾及びセミナーの企画及び運営」に変更する登記をわざわざ行っている。

時系列的には宗八のプロデュースと関連していそう。

2019年には清水氏が「食の道場」の講師をしていることがわかるし、

また、この年の春頃に前年オーペンした輝道家に請われてチャーシューなどの技術を伝授しに行っている。このような手段での家系勢力拡大も考えての登記変更だろうね。

昨年以降はとの丸家、MEN-EIJI EAK、我道家、青森野呂家と技術を伝承した店もたくさんできている。

結構前からYouTubeの動画はやっていたのだけど、昨年1月に本格的にYouTubeの発信を開始して、他店をディスる姿勢に反感が出るもラーメン店のYouTubeとしては驚異的な登録者数・視聴者数となり家系ラーメンそのもののブームすら生んだ。これもコンサルティングやセミナーの一環と見ることもできるだろう。

さて、先程も述べたように2017年7月に王道家は柏から取手に移転する。

これはあくまで切れ目なく営業を続けるための暫定措置であり、その時から柏シオニズムを掲げていて2019年10年に柏市明原の現店舗に戻ってくる。

しかしこの時、取手の暫定店舗❓を閉店しようとはせず、名目上は今でも取手が本店で、柏は支店ということになっている。

わずか2年であっても取手には取手の顧客がついたこともあり、柏や野田、それからつくばみらい市にいる弟子の熊田家まで食べに来てね、とは言えなかった。

そこで清水氏は取手の経営権を譲渡しつつ技術と看板を継がせる、売却兼フランチャイズのようなやり方で取手を手放そうとした。

なぜかといえば会社といっても個人商店に近い清水商事には直営店舗が増え過ぎることは負担が大きかったからだろう。

「今までは、多店舗経営をする方向で進んで来ましたが、柏に戻ることができたので自分が直営するのは柏と野田のみに絞り、多店舗経営から人材育成に集中する形へ経営方針を修正します。」

柏・野田・取手だけで済めばいいけれども、清水氏には東京進出とラーショ店舗の立ち上げという野望があったため、これ以上清水商事による直営店舗を増やしたくなかったのだ。

一般的に飲食店の創業社長があれもこれもやってそれこそ単式簿記で帳簿書いて、専門的なところは弁護士や税理士などに任せる、という個人商店的なやり方が通用するのは3店舗程度といわれていて、それが感覚的にわかるから3店舗以上に増やさないという飲食店がよくある。

それ以上拡大しようと思う場合、会計・庶務をはじめとした管理部門の従業員が必要になるし、現場にしても創業社長プラス各店長という体制ではなく各店を束ねるマネージャーのような人が必要になる。

したがって下手に5店舗、7店舗程度にするのなら3店舗で本部を置かない方が儲かるとすら言われる。

だから清水氏も直営店舗はこれ以上は増やさない、という旨の発言をしている。吉村氏の背中を見ていたり、自身が王道家を経営するなかで直感的にそれがわかっていたんだ。

ところがほぼ投げ売りのような価格まで落としても、取手の店舗に買い手はつかなかった。

仕方なく取手を直営店舗として抱えながら、東京進出やラーショ店舗のプロジェクトを推し進めていくことになる。

東京進出の手段として考えたのは、吉村家が杉田家や環2家にしたように自らの意向で出店しつつも弟子にその運営を任せるというやり方だった。

そこでIEKEI TOKYOは清水商事の直営店舗なのに弟子の店と同じく「王道家直系」の看板がつく。

しかしながら昨年7月の開店直前になって、やっぱり今まで巣立っていった弟子と同じように自分で物件決めて自分の店を独自でやりたい、と懇願されてしまう。

今までの弟子にずっとそうしてきた以上、清水氏はそれを拒めなかった。今更吉村氏のような強権は発動できなかったのだ。

弟子は懇願に応えてくれた清水氏の御恩に報いるべく、彼らの店環家の開店準備と並行しながら王道家のプロデュース店であるとの丸家のスタートアップに携わり、柏ラーショの開店日もバックで下支えした。

これで清水商事の直営は4店舗になってしまった。このあたりから清水氏当人が予測したようにいろいろ無理が生じてくるようになる。

全てのボタンの掛け違えはここから始まってると思うし、これ以上手を広げたいならちゃんと管理部門を整備しなきゃダメ。

これが今日明日の結論なんだけど、明日は今年何かと問題が噴出した清水家、柏ラーショ、との丸家について書いていきたい。

それじゃあバイバイナマステ💛暑寒煮切でしたっ✨




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