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はじめて、"文章"に価値を与えてもらった日

開業する前まで、わたしは『青い朝(aoiasa)』というアカウントで自由にエッセを書いていました。(わたしの屋号、アオイアサ編集舎の源にもなっています。)

今は、じぶんが書いた文章にお金が発生する仕事をしています。だけど、はじめて「サポート」という形で文章に価値を与えてもらったのは、青い朝で書いていたエッセイでのこと。

わたしは今でも、やっぱり、エッセイが好きなんだと思います。青い朝で書いていた時のような、ことばあそびみたいな文章が好きです。でも、あれは仕事にするもんじゃないし、じぶんの中に「気持ち」が無いと、書けませんでした。その証拠に「書かなきゃ」と思って書いたエッセイは、いま読み返してもすぐわかります。本当につまらない。

そんな中、はじめてサポートをいただいたnoteは、気持ちを込めて、わたしの好きなことばをならべて、だいじにだいじに書いた文章。だからこそ「文章がきれいだ」という理由でサポートいただけたことがなにより、うれしかったのを覚えています。

いきいきいきるのだ


わたしがはじめてサポートをいただいた、大切なnoteです。
「活きる」と「生きる」をテーマに書いたエッセイ。

恋人に会いに行くために乗った華金の電車で書きました。7月も半ばのことなので、いま読むと季節感がうまく伝わってきませんが、、、湿気の多い夏でしたよね。

千字くらいのちょっとした日記。最初の、電車のなかでみたことの描写がお気に入りです。


投稿した日の深夜だったか、すぐにサポートの通知をみて、おどろきました。じぶんの好きに書いていたエッセイが、まさか。


そうやって、じぶんの好きな文章に価値を与えていただけたことを機に、改めて、「なんでわたしは文章を書いているのか」を考えました。

翌日もまた、noteを書きました。

救いや、安らぎになりたくて

高校生のころ、抑えきれない葛藤のなかで書き始めた文章のこと。
そこから、文章に対する気持ちの変化を書きました。

今のわたしにも通ずるので、読んでもらえたらうれしいです。

そう、等身大でいいんだよね。大きく見せたって、中身が空っぽじゃあ仕方がない。

形は違えど、文章を書くことはやめていません。
これからだって気持ちの昂りがあれば、わたしは文章を書くよ。

ただ、エッセイはしばらくおやすみです。

わたし、学びたいことがいっぱいあって。
いろんな知識と技術を身につけて、じぶんなりに組み立ててみて、価値のある、あったかいものをつくりつづけていきたい。今は、その基盤を固める時期なんです。"つくりつづける"というのが実は、いちばん難しかったりするから。

12月には京都に行き、まる1ヶ月、デザインの分野と向き合う期間を設けたくて、せっせと準備しています。polcaで、ちいさなクラファンもしようかな。


こんなふうに、わたしの文章はまだまだ歩き続けます。いつか、ライターという肩書きを捨てることがあっても、どこへだって連れて行ける。文章ってすてきだね〜


はじめて価値を与えてもらった日を忘れずに、また明日もがんばります。

ふつうの暮らしを愛しながら、 東京のすみっこで猫たちと生活してます。 おいしいごはんとお酒が好きで、映画をたくさん観る🎥 年内に登山と釣りがしたい。