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感情のラベリング

さて、今日は感情についてのお話をしたいと思います。感情って、自分ではコントロールできず、次々といろいろなものが湧いて出てきますよね。嬉しいとか幸せ、ワクワクというものからイライラ、怒り、悲しみというものまで、さまざまな感情があり、私たちの感情は常に揺れ動いています。そう、常に揺れ動いているものなんです。これが動かずに、どこかの感情で固定してしまうと心や体に支障をきたします。例えば、「怒り」の感情で満たされているとき。「怒り」のことで頭も一杯になり思考が停止します。「怒り」の感情が湧いているときの体の反応はどうでしょう。硬く緊張していますね。一時的に「怒り」など、さまざまな感情が湧くことは正常なこと。ただ一つの感情に固着してしまい、それが長く続くことで心身を蝕んでしまいます。では、そうならないようにするには、どうしたらいいのでしょうか。また、どうして一つの感情に固着してしまうことがあるのでしょうか。

感情は私たちに今この瞬間に何をどう感じているのかということを教えてくれています。アントロポゾフィー医学では人間の目に見えない部分(内面)を3つに分けて考えます。

思考・感情・意志


この3つが協調して働いているとき、バランスが取れていて健康的な状態といえます。一方、感情に固着があると、そこには思考や意志との結びつきがなく、もはや感情をコントロールすることができなくなり、感情だけが暴走し、ひいては先日の事件のように人を殺すというようなことにまで至ってしまうのです。ですから、私たちの思考生活、感情生活、意志生活のそれぞれが健全でお互いに調和を持っているかということがとても大切です。

子どもというのは、感情を全身で感じています。嬉しいときは全身で喜びを感じ、
怒っているときは全身で怒りを表現します。欲しいと思ったときには、すでにそのものに手が伸びているなんていうことは、小さい子どもにはよくみられますよね。それが成長の過程で、感情で感じたことをそのまま行動に移すのではなく、少し立ち止まって考えることができるようになります。つまり、感情を思考でコントロールすることができるようになるということです。このようなことができるようになってくるのは大体7歳以降です。

これができていないと、その人は自分の欲求や衝動に呑み込まれてしまい、理性がその行動は良くないことと思いとどまらせようと思っても、体が衝動に従ってしまう大人になってしまいます。

また自分の感じた感情を言語化するということも非常に重要です。これは、感情を一旦思考に預けることになりますから、自分の感情を暴走させることなく、理性を働かせ、冷静に客観的に自分を見つめる力にもつながります。特に感情が育つ、7歳以降、8歳から14歳の時期に感情を言語化することを学ぶことは非常に大切だと言われています。

『才能と障がいー子どもがもたらす運命の問いかけ』ミヒャエラ・グレックラー著にこんなことが書かれていました。

自分の感情をとっさにすぐ言葉に置き換えることを学ばなかった人は、心理的な抑制や感情のこわばりやひっかかりを持ちながら、人生を歩むことになります。
言葉に困ったり詰まったりしとき、攻撃的になる傾向が高くなることも、よく知られています。

『才能と障がいー子どもがもたらす運命の問いかけ』


これを読んだとき、私たち日本人の大半は「感情を言語化する」という能力を身につける体験をせずに大人になっているなと思いました。特にネガティヴといわれるような感情に対して。みなさんは、どう思われますか?

私は現在アメリカ在住で、娘たちが現地の学校に通っているのですが、「感情のラベリング」ということを幼稚園のうちから学校で教わっています。「感情のラベリング」とはまさに「感情の言語化」で、今自分が感じている感情、それが言葉でうまく表現できなくても、何かモヤモヤするものがあるということを自覚し、それを言葉を使って表現する、というものです。
授業参観日でのこと。親たちがゾロゾロと教室の中に入っていくと、先生が子どもたちに「今、どう感じている?嬉しい?怒りを感じる?不安になる?なんだかよくわからないけど、胸の辺りがザワザワする?」と問いかけていました。そして、「どんな感情を感じてもOKですよ。それは自然な反応だから」と説明していました。
こんなふうに小さいうちから、自分の内面から生じたなんだかわからないものを、大人が言葉を使ってラベリングすることで、それが「〇〇という感情なんだ」と言語化・意識化され、大人になったときに、怒りに任せて相手に怒鳴りつけるようなことをせずに、感情をコントロールし、適切な形で相手に気持ちを伝えられるような大人になりますね。
アメリカ人の夫も、自分が子どもの頃にはそのようなことを教わらなかったというから、ここ最近のことなのかもしれませんが、とてもいいことだなと思いました。

私たち日本人は、このような感情の言語化を学ばずにきたから、さまざまな感情が抑圧され、鬱積し、それがニュースになるような事件となって表面にでてくるのではないかと、いろいろな事件が起こるたびに私は感じます。そのような事件が起こったとき、それは単に事件を起こした加害者だけの問題ではなく、日本社会全体のこととして捉え、一人ひとりが健康な社会になるにはどうしたらいいかと考えていくことが大事なんじゃないかと思わずにはいられません。

私自身、感情の言語化、特に怒りなどのネガティヴな感情を言葉で表現し相手に伝えることはとても苦手です。大人になってからでも遅くはないと思っていますので、自分の感情に気づいたら、それを言語化する、ということをやっています。

バターカップという名のお花



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