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この気もちはなんだろう

「この気もちはなんだろう」

というフレーズから始まる歌を中高コーラス部時代によく歌っていた。「春に」という合唱曲で谷川俊太郎が作詞したものだ。合唱をしていた・している人は一度は歌ったことがある名曲である。

最初は静かなのにサビに向けてじわじわと情緒的になり、ここぞというときのソプラノ・メゾ・アルトのハモりは、花が空に向けてパーっと咲くような圧巻の旋律。ソプラノは気持ちよく高音を出せる部分があり、ソプラノだった私は歌って爽快な気持ちになるこの曲が大好きだった。

最近の私は「この気もちはなんだろう」状態だ。

自分でもよくわからない気持ちで過ごしている。いたって元気なのに無気力で、何もせずにぼーっとしていることが多い。エッセイを書く気にもなれずnoteを開く頻度も減った。ハマっていた塗り絵も全然したくないし、暇があったら眠りたい。今日もせっかくの祝日なのに、無性に眠くなって2時間ほど昼寝してしまった。

動かなきゃ! と思いつつ、動きたくない自分もいて、自分でも掴みどころのない気持ちでいる。

あんなに好きな曲だったのに、出だしのフレーズ以外は思い出せなかったのでググってみた。

すると、この言いようのない気持ちが見事に書かれていて驚いた。

枝の先のふくらんだ 新芽が
心を つつく

よろこびだ しかしかなしみでもある
いらだちだ しかもやすらぎある
あこがれだ そしていかりがかくれている
心のダムにせきとめられ
よどみ 渦まき せめぎあい
いま あふれようとする

合唱曲「春に」

よろこびとかなしみ。最近入り混じっていた。

新しい仕事が見つかり意気揚々としていた矢先、大好きだった飲食店のサヨナラ会が行われた。優しいダンディーな社長、お世話になった店長、元ホールの皆さんをはじめ、飲み友になりなんでも話せる仲になったものの地元に戻ってしまい数年会っていなかったカリスマシェフ、久しぶりに会った懐かしい人など沢山の方と会い、本当に楽しく幸せな時間だった。しかし、終わった翌日は物凄く寂しくて気持ちが上がらず、仕事をするのに苦労した。

いらだちとやすらぎ。

新しい仕事は決まったものの、もう少し案件を増やさないと自分が納得する収入に届かない。他にもないかと求人媒体を見る。焦りと苛立ちがあるものの、最近の”仕事に追われない”まったりした毎日のおかげで心身ともに穏やかである。私の中でいらだちとやすらぎが共存している。

いろんな想いが渦巻き、溢れそうになる。
しかし、それをどう対処していいのかがわからない。

地平線のかなたへと 歩きつづけたい
そのくせ この草の上で じっとしていたい
声にならない さけびとなって こみあげる
この気もちは なんだろう

合唱曲「春に」

この部分にも唸った。

前に進みたい、動きたいのに、このままじっとしていたい気持ちもある。けれど、どうにかしたいとも思うが、自分の中で現状の気持ちを整理しようとしてもまとまらず未消化のまま自分の内に残っている。

最近の自分はなんだかなぁと思っていたが、谷川俊太郎がこう書くくらいだ。こういう上手くまとまらない、言葉にならない状態になることは変ではないし、ましてや人間誰しもあるものなのかもしれないと思った。

人間は単純だけど複雑でもある。いや、自分で勝手に複雑にしているのかもしれない。この状態もそんなに難しいものではなく、ただこういう気分なだけなのかもしれないが、頭で理解するためにあれこれ考えているだけなのかもしれない。

しかし、自分の状態をうまく言語化して腑に落とす必要はないのかもと歌詞を見て思えた。自分の全ての気持ち、感情、状態を型にはめる必要はない。谷川俊太郎は私にそう教えてくれた。

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