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Clubhouseとコミュティのジレンマから思ったこと

僕はAndoridユーザーなので、実際に利用してもいない立場から批評するのは気が憚られるけど、Clubhouseについてはこの記事に書かれているような感想を抱きました。(音声だと、無責任な情報発信が増えるという話など)

文字か会話かについては、好き嫌いによるところが大きいので、意見を押し付けるようなことではないのですが、今回はもう少し広い視野に立って考えてみたいと思います。

まずもって確認しておきたいのは、コミュニケーションの手段が音声であろうが、文字であろうが、誰でも気軽に参加できる場所ができると、質の悪い情報やサービスに遭遇する可能性が上がるということです。過去に様々なメディアやサービスが登場するたびに、これを人類は経験してきたわけで、今回のClubhouse騒動もそのひとつに過ぎません。

ちなみに、これに近い事例として記憶に新しいのが、観光業界における民泊ビジネスの登場です。誰でも気軽に宿泊業に参入できるようになったことで、Airbnbに代表されるプラットフォームが形成されるなどブームが訪れました。いままでに無かった魅力的なシチュエーションでの滞在が可能となったり、遊休資産を有効活用できるようになったりしたことは、間違いなくイノベーションであった反面、悪質な事業者や素行の悪い宿泊客が野放しとなったことで、様々な問題も引き起こされてしまったことは、みなさんご存じのことかと思います。

そして案の定、Clubhouseでも詐欺利用の事例が見つかっているらしいです。もちろん、大多数のユーザーは真っ当な目的で利用していると思いますし、他のSNSでも同じことではあるので、このことでClubhouseを批判するつもりは毛頭ありません。

Clubhouseの普及によって、誰でもラジオのパーソナリティになることができるようになったということで、しばらくはYoutube黎明期と同じように玉石混交が続き、そのうちGoogle等が買収して放送(ラジオ)産業のシェアを削り取っていくことになるんだと思います。そして、Youtuberと同じような職業の人が登場してくるんでしょう。

テレビからYoutubeへ、ラジオからClubhouseへ、放送業から通信業へという、既得権に対する下克上が起こっており、情報を受け取る立場にある我々にとっては、またひとつ選択肢が増えたことになります。

こういうときに思い出すのが「コミュニティのジレンマ」という現象です。これは、面白い人たちの周りに、面白くない人が群がり始め、やがて面白くない人だけが残り、最後は誰もいなくなるという一連の法則を指しており、インターネット掲示板やSNSの発達にともない、コミュニティの形成と衰退のサイクルが高速化したことで揶揄されるようになった概念です。もちろん、Clubhouseもこのジレンマから逃れることはできません。

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限られた人生を、なるべく楽しく過ごすということが命題となっている我々にとって、このジレンマをなるべく回避することは極めて重要な課題だと思います。選択できるメディア≒コミュニティの数が増えるということは、それだけこの課題への対処が複雑になるということでもあります。

そう思うと冒頭の話に戻りますが、データ化された文字情報をベースとした情報のほうが、Google等の検索エンジンのおかげで、欲しい情報に瞬時にたどり着くことができるため、このあたりの見極めが比較的容易ということで、優位な状況が続くんじゃないかと思います。それに、長い文章を書くほうが、そこに至るまでの思考が丁寧になるはずなので、信頼できます。また、AIによる認識処理もしやすいので、文字情報をもとに、多様な意見から自動的に合理的な結論を導き出すようなことが当たり前になる時代も、近いうちにやってくると思うと、文字ベースのコミュニケーションのほうが信頼できます。

いずれは、その技術が音声情報にも転用されるようになり、立場が逆転するかもしれませんが、それよりも先に攻殻機動隊の世界みたいに、文字や音声を介さずに情報をやり取りできる時代が来てしまうかもしれません。

あまり先の話をしてもしょうがないのでこれくらいにしておきますが、今回のClubhouseブームを見ていて思ったことの結論は、「ちゃんと文章書ける人は信頼できる」ということです。

自分がそう思う以上、そういう人間になれるよう、頑張って文章書く練習を続けたいと思います。読んでいただきありがとうございました。

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