見出し画像

記憶を辿る45

『 時速200kmの世界 』

祖父が他界しても、家業に関心は生まれなかった。
遊び呆けながらも、建築資材を運ぶ会社の先輩に可愛がられ、慰安旅行のロサンジェルスに続き、翌年はハワイ旅行という好景気を傍受。しかもハワイに至っては、ほぼ単独行動を取るような暴挙に出た。
呆れたものだが、これには訳がある。

小さい頃からジェットコースターなどの乗物が大好きだった私は、オプショナルツアーにあるスカイダイビングを初日に見つけ、”日立の樹”に向かう道中、先輩に同行を願うも拒否をされてしまっていた。
そんな事もあって単独行動をとるしかなかったのである。

一家の大黒柱である父親が、ハワイでスカイダイビング中に転落死とは余りに無責任だ。今の私だったら拒否をする(笑) そしてその気持ちに理解できるが、当時の私である。
社会性も少しは身につき、再起を誓う中で落ち着きを見せていたとはいえ、まだまだイケイケドンドン。分かる由もない。

車に揺られ、セスナに乗り込んでも意気揚々。
経験豊富なダイバーは、高所でも余裕の私をトップバッターに選んだ。

最後尾から飛び降りていくその瞬間まで、今から始まる最高のスリリング体験に胸を躍らせていたのだが、その心は脆くも一瞬にして砕け散る。

バディを背中に背負い込むように下を見た私は「 あかん 」と叫んだ。
足が着くであろう先は遥か彼方に小さく、それまで守ってくれるものがないのである。ジェットコースターのように鉄の箱に守られた状態とは違う。頼るはバディのパラシュートのみ。
その瞬間…私は激しく後悔した。

体は腰が引けるように開口部から遠ざかろうとするが、ついさっきまで楽しそうにしていた若者なのだ。現状を理解をしようと必死になる私に向かって、笑顔のバディは「 Good Luck 」と親指を立てると、澄み切った青空へと押し切るように飛び立った。

「 うぉああぁぁお$’!&”#!!! 」

体験した事のない恐怖、死と隣り合わせの空間。
言葉にならない唸り声のような雄叫び。

粋がっていても、実は臆病で小心者の私を写し出した写真には、極端に内を向いた股で叫び声を上げている姿が残っている。こういう時に化けの皮は剥がれるものだ。

地上4,000mから落ちるスピードは200kmを超えるという。
初めて体験するスピードと恐怖、身を任せるだけの焦り、脳内の理解力が噛み合わないまま息が出来ない。後ろのバディに向けるよう「 息できひん息できひん 」と叫んでも、日本語の分からないバディはまたも”Good Luck”のサインで応答する。
パニックに陥った。

このまま状況に争いながら息が出来ずに失神するか、今を受け入れ楽しむかの二択を迫られたんだと悟った私は、とことん落ちる方を選択した。正しく言えば”出来た”のである。


続きはこちらからご覧ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?