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【Sottoの穴】 第5回 ~私の比較対象は四足歩行のアイツだった~

「Sottoの穴」2019年1月26日に開催したシンポジウム「比較社会漂流記」に際して、Facebook上で連載した全5回のコラム集です。 Sottoのスタッフたちと、シンポジウムコーディネーターの野呂さんに「比較社会の苦しさ」をテーマとして執筆してもらいました。

執筆・・・(広報スタッフ・のび子さん)

 比較対象は何も「人間」 とは限らず、私の場合それは四足歩行のアイツ・・・あのモコモコの・・・そう、「犬」であった。一人っ子の影響もあってか、あまり人と比較されない子供時代を過ごした私の元に新しい家族として迎えられたのが愛犬「リリー」であった。

 この愛犬、自分を犬と思っていないふしがあり、人間以外にはほぼ興味を示さない生き物だった。ちなみに私は人間が苦手だが人間以外の生き物には積極的に関われるので、ある意味?愛犬とはどこか通じる部分があった。可愛らしい容姿に加え愛想がよい愛犬は、会う人会う人に好かれていた。私は逆に引っ込み思案だったので、愛想のいい愛犬を調子のいいヤツだっ! なんて思いながらも、どこか羨ましく思っていた。あんな風になれたら楽かも。。そう!私は自分と愛犬を比較して、何とも言えない気持ちを抱いていたのだ。

 稀かもしれないが、姿形の違う四足歩行の生き物に対してさえ芽生えるこの比較感情(今、勝手に言葉を作っちゃいました)、人間同士に芽生えるのは自然なことかと。。
そして思った、もし犬同士に比較感情があったら。。。服を着た犬の方が評価が高いのだろうか?警察犬はエリートだけど、シェパード以外は肩身が狭いとか?何だか哀しく滑稽な世界だが、人間の世界ってこんな感じかと。生きづらい世界ですね。。

 だけどね、比較のない世界があったとして、これはこれで実は不便な部分もあるかと。。比較によって嫌な部分が炙り出される一方で、良い部分が炙り出されることもあり、自分では嫌でひた隠しにしていた部分が、どうやら素敵な部分だったなんてことを知るきっかけになることもあったりして。。これは比較しないと出来ないんですよね。。
比較されるのは嫌だけど比較しないと、自分が見えなくなって不安になる。。これって、シンポジウムのサブタイトル「比べられたくない、でも比べないと不安」な感じじゃないですか!? 比較って厄介な存在ですね。。人間って面倒な生き物。。 四足歩行の生き物の方が、よほど賢いのではと比較してしまいます。まったく比較って何なんでしょうね? 答えが出ません! 皆さんシンポジウムで一緒に考えましょう。

~団体について~
私達はNPO法人京都自死・自殺相談センター Sottoです。
「死にたいくらいつらい思いをもつ方の心を居場所づくり」を活動理念に掲げて京都で活動しています。
電話やメールでの相談受付、死にたいほどのつらさを抱える方の居場所づくりや、年に一度のシンポジウム開催などを行っています。
団体としての思いを以下の記事に書いていますので、よろしければ併せてお読みください。

「あいさつ」

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