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きょうだい児について私が思うこと(3)終

子どもを産むという事は、自分が思ってもみなかった自分が炙り出される事だと気付きました。

不安から、赤ちゃんである我が子を、このマンションのベランダから落としたら死ぬよね。と考え、実際、ベランダに連れて行ったり。
(私自身が赤ちゃんを落とさない事を確かめるため)

子どもが少し大きくなってくると、子どもに暴言、暴力を振るう様になり、その事実に対して、自分を責め、発狂し、また暴言を吐くを繰り返していました。

転換期は、1人目が5歳の時。
幼稚園に連れて行かないといけないのに、突然朝、起きれなくなりました。
身体が動かず、涙が止まらなくなりました。
くそー!何で動かない!このポンコツ!と、こんな状況でも、きっちり自分を責める私。

でももう身体は動きませんでした。
仕方なく主人が急遽、半休を取り、子どもを幼稚園に送ってくれ、その日は、私が動ける様になるまで、ママ友が子どもを預かってくれました。(晩ご飯まで食べさせてくれて)

夜帰ってきたら、また涙が溢れてきて、私は子どもに抱きつき、「お母さんにもっと甘えたかったー!お母さん!お母さん!おかあ〜さ〜ん!」と叫んでいました。

子どもは、「何があったの?お母さんって、ばあばの事?」と尋ねてくれたおかげで、幼少期の事を、子どもに全部話しました。

子どもは「そんな事があったの?お母さんかわいそう」と、一緒に泣いてくれました。


5歳の子どもが。私も父と同じ様に、この子に暴言を吐いているのに。
どうしようもなく、2人で泣き続け、(2番目の子は、赤ちゃんでよく寝てくれていました)
落ち着いた頃、大人2人の晩ご飯を持って、主人が帰ってきました。


この出来事があって、私はすっかり生まれ変わりました!とは、問屋が卸さず。

ここから何年もかけて、自分と向き合う事になるのです。
5人の子どもを産むたびに、どんどん心が軽くなっていき、5歳だった一番上の子は、すっかり大きくなり、自分らしい人生を楽しんでいます。

きょうだい児として、弟や家族を守り続けた日々。
自分の事を守ってくれる、新しい家族と出会えたこと。
いつも、程よい距離感で見守ってくれる友人達。

時間はかかりましたが、私も、弟も、母も、今は自分らしい人生を楽しめています。


きょうだい児や障害をもつきょうだいは、特別な存在ではないですか、1人1人が大切な命です。

きょうだい児だから。障害を持っているから。その事で、自分ではどうしようもない壁にぶち当たり、もがき、苦しむ事もあるかもしれません。
でも、どうか自分自身を責めず、境遇を卑下せず、自分の人生を自分らしく、一歩一歩進んでほしいなと思います。

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