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きょうだい児について私が思うこと(2)

弟が人と違うという事は、母親は、かなり早い段階から気づいていました。

私も弟が物心ついた時から、宇宙人みたいだと感じていました。

ですが、弟が診断を受けたのは20歳を過ぎてからでした。
発達障害が、まだ世の中に認知されていない時代なので、仕方のないことですが、私は同級生にいた重度の自閉症の子が羨ましくて仕方が無かったです。

きちんと「障害」だと認められれば、弟は特別なサポートが受けられるのに。と。


支援の仕事に就こうと思ったのは、弟がきっかけではなく、この期に及んで、父からの愛情が欲しかったからです。国家資格になって間もない、まだ誰もあんまり知らない職業に就けば、父が褒めてくれると思ったのです。
親からの愛情を確かめたい衝動というのは、実に恐ろしいものです。

動機は不純でしたが、学生時代に読んだ本の内容から、弟が発達障害だと確信しました。
支援者を目指す同級生に意を決して話すも、そんな訳ない。悲劇ぶりたいのか?と言われ、専門家である先生に話しても、思い込みじゃないか?と言われました。
(同級生も先生も弟に会った事はありません)


その後、きょうだい会と出会い、ずいぶん救われました。
すでに療育手帳を取得している、弟と同年代の子が、療育手帳を取得したら良いよ。と弟に話してくれたおかげで、弟は検査を受ける決心をしました。


ここまでの私は、自分はよくやった。弟を守れた!役目を果たせた。ここまで皆んな死なずに、(そして父を殺さずに)生きていて良かった。と思っていました。

ある1点、とてもとても大切なことを忘れていたのです。
私は私を置き去りにしていました。私自身を1ミリも守っていなかったのです。
症状が出たのは、それから数年経ってから。

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