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世界が開けると、「正しさ」はどうでもよくなる

マレーシアに来て、住む場所と付き合う人が一気に変わり、視界が大きく変化しました。いままで自分が見てきた世界って、ほんの1パーセントくらいなんだろうな。いやもっと少ないかな。世界には、まだまだ知らないことだらけです。

日本にいたときには、物事が「正しいか」「正しくないか」がとても重要でした。だから、間違った人を見てるとなんとなく「許せない」って思っちゃってましたね。

何かにつけて、自分の狭い常識に当てはめては、「でも私のほうが正しい」と考えてました。正しくない人をみてはイライラし、「直してあげなければ」と無駄な正義感に燃えていました。今思うと、いつも戦闘状態だったわけです。

しかしですね。マレーシアでさまざまな人種と付き合ううちに、「正しさ」には大した意味はないと気がつきました。というより、正しさは、人種や地域、時代によって動く曖昧なものなのですよね。

マレーシア人の仕事ぶりがゆっくりだ、と怒る日本人がいます。そういうと、あるマレー人は「マレーシアに来てビジネスをしたいと頼んで来たのは、あなた達でしょ? ならば、マレーシアのペースに合わせたら?」と言っていました。それを聞いて私も、あれ、そういえばいつの間に私は「早いこと=正しい」と思い込んでいるんだっけ? とワケがわからなくなって来ました。

そこに気がつくと、レジの人がおしゃべりしながらゆっくり働いていても、イライラしなくなります。

たとえば、家族旅行に行くので、と運動会や授業に参加しない家族がいます。マレーシアでは家族の行事を何より優先させる人が多いのです。一方で、お母さんが、幼い子供を預けて、女友達と海外旅行するのも当たり前。

もちろん、何しろいろんな人がいますから、中には「学校を休むのはよくない」「子供を置いて行くのはけしからん」って思ってる人もいるんですよ。しかし、あえて「他人は他人」でほうっておく。「それはまちがっている」ってお互いに責めて無駄に議論したりしないんですよね。

仕事が「お祈り」で中断することがあります。お祈りの時間が優先されるのは、この国ではごく普通。特に断食期間中、イスラム教徒との仕事は進みにくくなります。それでも仕事は回るんですよ。断食期間は、インド人も華人もムスリムに配慮して、目の前でご飯を食べないようにしたりします。

ベジタリアンも多いです。子供にもいますよ。けれど、ベジタリアンが肉食の人を責めたり、肉食の人がベジタリアンに「栄養が偏るよ」と説教しているのを見ることはほとんどありません。お互いの選択を尊重する、それだけです。

イスラム教徒には奥さんが二人いる人がいます。「きょうび、本当に存在するの」って思う人もいるでしょうが、いるんですよ。ここで「二股はけしからん」って喧嘩売っても意味がないです。

知り合いのインド人女性の「常識」では「結婚相手は星占いと家柄で、親が勝手に決める」のだそうです。これを知ったとき、私も華人の友人もビックリしましたが、それが「常識」で生きている人がふつーにいるんですよね。

一方で、マレーシア人でも狭い同族だけで固まり、お互いに厳しく干渉しながら生きている人も、もちろんいます。

世界には自分の常識では計れない人たちがたくさん住んでいて、それぞれから教わることもあるなーと思うようになったら、ぐっと楽になり、ストレス減りました。

実は日本人同士でも常識って違います。インターネットを見ていると、お互いの常識を巡って争っていますよね。常識って、かなり曖昧で適当なものなんですよ。

だから、日本でもお互いの「常識」を尊重して、世界を増やせば、私たちも生きやすくなると思うんですよ。世界って狭くなればなるほど息ぐるしく、生きにくくなる。一方で、「閉鎖的な田舎」のように、「自分たちの常識を守りたい」人たちの自由もあるわけで、そういう人はコミュニティを守ってキッチリ生きていけば良いわけです。何も統一する必要はなくて、「あーそういう世界もあるのね。理解できないけど」くらいで良い。無理に関わって統一しようとするから喧嘩になるんですよ。

この同じ空間で「世界がいっぱい増える」感じが、多様性ってことなのかなーとぼんやり思っています。

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