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「厳しい上下関係」が嫌いな理由

最近になって、自分がかつていたサークルが、ブラック部活だったことに気がついた。それなりに楽しいこともあったので、全部が悪いとは言わないが、多額の金額を要求され、おかしいな?と思うことは多々あった。週刊誌の報道で20年も経ってからそのことに気づくなんて、本当に間抜けだ。

最初に入った会社も同様で、おかしいな?と思うことは山ほどあった。最初の数ヶ月は違和感しかなかった。強制されるサービス残業、労働基準法に違反してるので、隠れて残業するように言われたこともある。女子社員が部長とチークダンスを強要されたりして、気持ち悪かった。

この二つの組織に共通するのは、上下関係が異常に厳しかったことだ。
上下関係が厳しいと、おかしいな? と思うことに対して声をあげることができなくなる。
新人は奴隷のようなもので、そもそも発言権がないのだ。
発言したら、「先輩」から指導される。

ある日、私もサービス残業について「先輩」に聞いたことがある。
「これ、労働基準法違反じゃないんですか」と。
先輩の答えは、「そんなこと言い出したら、上の人や会社に迷惑がかかっちゃうでしょう?」だった。私は課長に言おうと思っていた言葉を飲み込んだ。
「それが伝統だから」と言うのもあった。

しかし一度これをスルーしてしまうとどうなるか。
数年経って後輩に同じことを聞かれたときに、同じように答える羽目になる。
何もわからない新人にコトの全貌がわかるのは、入って数年してからだ。
「おかしいな」と内心では思いつつも、組織側に取り込まれていく。

だから、オウムに入った人たちを私は笑えない。

批判的思考を教えない学校

これ、実は根深い問題だ。

日本の小学校では批判的思考を教えない。
小学校の頃から権威にただ従う教育が繰り返されているのだ。
「おかしいな」と思うことは山ほどあるけれど、その度に「決まりだから」などと発言を封じられる。
「運動会はつまらなかった」と作文に書くと、「一生懸命準備した先生や頑張ったみんなに悪いと思わないの」と叱られたりする。その一方で「嘘はダメです」と言われたりする。どうすればいいんだろう?

上下関係が厳しい中では、発言の内容よりも、「誰が言っているか」が重要だ。
発言が間違っていようが、先生や先輩の言うことは絶対なのだ。
「伝統が」「歴史が」と言うところほど、内情はやばいことになってたりする。

これは家庭でも行われていて、子供はときに、親の無茶苦茶な要求を飲まざるを得なくなる。

こうやって訓練されてきたら、上の言うことに疑問を挟まない人間が出来上がる。それはそれで利用価値が高いというわけだ。
厳しすぎる上下関係では、部下は都合の良いように利用でき、組織が腐りやすい。

一方で、先日行ったマレーシアのインターでは、「質問する力」を中心に置いた教育をしていると話していた。
「私たちも、生徒の質問から学ぶのです」とある教師は言った。
批判的思考を教えるためには、教師は生徒の聞き役にならねばならない。
ときには、生徒の意見に折れることもある。

しかし、これは上下関係がまったくないかといえば違うと思う。
子供たちを見ていると、実に理性的に自分の意見を言う。建設的な意見はむしろ歓迎される。
批判的思考を持ったとしても、お互いの間には尊敬があり、先生と生徒の役割が入れ替わることはない。上司と部下にしても同じだ。

我が家もかつての私はある意味強権的な親だったと思う。マレーシアにきて、子供が批判的思考を身につけたら、劇的に関係がよくなった。親もまた、子供から学ぶことで、子供の学びも深くなるのだ。

子供にカモになってほしくないと思う親は、批判的思考を身につけさせることを考えたほうが良いだろう。


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