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発達障害の視点を変えるという話。

発達障害ってさ。
もっとよくよく
考えなさいってこと
なんじゃないかな。

当事者が、じゃなく。
それを取り巻く大人が、ね。

自分の頭で
きちんと考えなさいってことよ。

こうだから。
そうなってるから。
って
それ、いつからですかー?

もう少し
考えて
答え出しちゃっていいんだよ。

いつまで人が出した答えを
当たり前に
自分のものだと
思い続けているのかな。

というか、
大人がそれをきちんとやらないと
子どもが潰れるんだよ。

子どもだった大人は
ほんとは潰れてたはずなのに
みんながみんな
そうだからって声で
なんとか流されたから
今があるわけよね。

でも。

もうそろそろ、
気づいてよねーって
教室で困ってる子どもたちが
困ってるって表現で
それを教えてくれてるんだよ。

なーんて思ったりするけども。

というかね。

美沙を突き詰めてみていると
ほんと、大変。

仕事ひとつにしても
これで回してるのか?

親としてふと心配に
そう思うことは
多々あるけど。

会社のシステム
社会のシステム

そんな中で
きちんと回せているのか?

でもそれ、
果たして誰目線なんだって話で。

当事者が困ってることと
それを取り巻く人が困ってること

それは必ずしも
=なんかじゃないねって
思うのよね。

こっちが困るから
それ、手がかかるから

そう言って流すことは
可能性の損失になるんだよ。

その証拠に
今の日本がしんどいとなるのは
そこなんじゃないかな、
とすら思うわけ。

たかだか2人の娘しか
育ててないけどね。

美沙のハンデを見ながら
自分自身の生きづらさを
みてきて思う。

あー私、
ほんとしんどかったーーーー
なんだよね。

昭和の教室で
右を見て
左を見て
みんながみんな
そっちが正解って言うから
疑いつつも
そっちに流されることで
行きたい方に行けてる・・・
生きたい方に生けてる・・・

信じて疑わなかったよね。

だってそのおかげで
今の今まで
それがあるって思っていたから。

そうやって育ってきたら
それが日常だったし
当たり前な話
日を見るより明らかな話

だから。
それがthe⭐︎常識だし。
そこから変えるのって
めんどくさい
いいじゃんみんな
そう言ってんだから
それ、わざわざそう言い換える
そんな必要なくないですかーって。

でも、その結果
今幸せですって
胸張って言える人
どれだけいるんだろうね。

私自身は本当、
娘たちの子育てを通じて
自分の己育てした気がして
そこでやっと
いろんなめんどくさいことから
解放されましたー
なんだよね。

周りがどうあろうと。

長女が出す答え
美沙が出す答えに
おいおいおいおい
何出しちゃってんだよ?
それ、違うよーって
躍起になればなるほど
苦しいもの感じてたけど笑

そこぶった斬ってくれたのよ。

見事なまでに愛を持ってね。

そして私もそんな子どもだったんだ。

見事な愛を持って
親と、大人と、
常に対峙していた、
そんな気がしてる。

だからこそ。
それをそろそろ
自分でやってご覧よって
言われてる気がするのよ。

発達障害という世界が
そんな大人の価値観を
一生懸命変えようと
してるとしたら。

それダメ。
それじゃ将来・・・ってさ。

何見てそれ言ってたんだろうなぁ。

って、結局過去の価値観で
心揺さぶられていたわけで。

でも、そこまでしないと
この数々の難問は
解けなかったよねって思ったりする。

そんなわけで、
私は今めっちゃ
幸せなお母さん、だったりするし
幸せな大橋美穂、だったりする。

誰かが出した
正解ありきで
それを見るのではなく
自分の正解ありきで
それをみる。

それだけで世界は変わるよ。

そんな答えしか
出せない自分って・・・

ってよりも、

そっか。
それもありだね。

そう思えるだけで
本当世界は変わるんだよ。

世の中には
いろんな価値観を持って
それを発信してる人がいるから
自分の答えを持ちながら
いろんな人の話を
聴いてみるだけで
また違うと思うよ。

自分があり得ないと思う世界に
ちゃんとそれをあり得るとして
生きてる世界があることを
どうか知ってほしいなって思う。

価値観なんて
そう簡単に変わらないかって言ったら
そんなこともないよ。

いいものはいい。
それがたとえ数秒前には
あり得ないと思っていたことでも
自分が持って生まれた
「いい」と思うセンサーは
そう簡単には変わらないから。

自分で知らず知らずに
止めていた「いい」センサー
動かしていこう。

今日もここまでお付き合いくださり
本当にありがとうございます。


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