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お母さんってなんて愛おしい生き物なんだろうかという話。

とおにしまい込んでいた古傷が
何かの拍子にふと開いた。

美沙が小5から6にかけて。
本当にいろいろあって。

最終的には卒業間際に
行くところまで行った。

学校も謝罪したいとのことで
もう卒業だしね。
と、待てど暮らせど
その場は持たれることもなく。

そうこうするうちに卒業式となり。

式は何事もなく
あ、ここでもいろいろあったけど笑
進み。

謝恩会も終わったその時に
事は起こった。

子どもたちが花道を作って
先生方が退場していくのを
見ていた時のこと。

それまでずっと対応して
いただいていた教頭先生が
子どもと子どもの間から
ふと私の方を見ながら
「どうもすみませんでした」
と、ありもしない口パクという仕草で
ありゃどう見ても
「どうもすみませんでした」と
私に向けて言っていたよね。

ちーーーーーん。

終わった。
あの何時間もかけて
対応していた結果がこれか。

正確には2年間の総決算。

ショックだった。
でもそれ以上に、
え?今何が起こってるんだ?
と、頭の中を冷静にすることで
精一杯な私。

ま、今だったらそっこーあと追いかけて
今の何?
って声を荒げて詰め寄っていたかもね。

でもね。
ああ、そうか。
そりゃしょうがないね。

って、しばらくそれをネタに
いろんな人に話しまくっていたものの。

もう終わったことだし。
大人げないし。
もうそれでいいじゃん。

そう閉めた話だった。

それから
いろいろ経験する中で
そんなこともあったけど、
私の方でも、
学校のことがわかっていなかったし、
なんせ学校だって
きちんと対応していただいていた・・・
とすら思って
さらに閉じ込めた話だった。

モンペとすら思われていたことも、
モンペみたいなことができたことも
やり切ったことも
全ては感謝だと思ったこと。

それは今、改めて心より
感謝できる話だと
私の中では昇華できたことだった。

が、しかし。

あるインタビューを受けて
そこもさらっと流しつつ。

こんな記事になるよって
ちょっと内容確認してねって
送ってもらった記事を読みながら
思い出しちゃったんだ。

子どもが学校で起こったことを
母に伝える。
ああ、そうなんだろうなってほどに
悲しい気持ちと、
リアルにそうあったんだろうなと思える
そんな数々の出来事があって。

それを私はどんな思いで
受け止めていただろうか。

えへへ。
分かりますよ。
学校お忙しいですもんね。
先生も大変ですよねぇ。
だからうるさいことは言いません。
子どもの言ってることだから・・・

なーんて収められなかったのは、
私一生懸命
命がけで子育てしていたからなんだ。

美沙が伝えることを
全身で受け止めて
それを信じていたから。

子どもの葛藤を
ガシッと受け止めながら、
親としての葛藤も、
ガシッと感じながら。

だから、
そんな気持ちを一つ一つ
ないがしろにされたら
ふざけんじゃねーーーって
私は1つ1つ潰しに
かかっていたんだ。

ふざけんなよ。
自分を生きる葛藤を
そんな簡単に
扱うんじゃねーーーーって。

って、それすらも忘れていたけど。

そのリアルな感覚を
ふと思い返しちゃったのです。

ゆるゆると
そんなパンドラの箱が
開いちゃったわけで。

ある会に
登壇する、そんな直前に。

同じ思いで戦ったお母さんと
必死に自分を生きることを
語る子がいて。

リンクしちゃったのよねぇ。
困っちゃうくらいに。

やば。
今日ダメかもなぁ。

隣で記録の動画
撮ってるにも関わらず。
鼻がぐずぐず。

で、泣きながら登壇する。

ほんと、登壇者として
こんな私はどうなんだ。
申し訳ないなと思いつつ。

でも、私めっちゃ
あの親として葛藤していた、
全くうまく行っていなかった
まだまだ美沙が子どもの頃の
そんな過去を
実は豊かで濃い時間として
一生懸命生きてたんだなぁって
リアルにそれを
感じでいたのです。

→とFacebookには書いたけど。

あはは。
きれいにまとめちゃったけど、
それはほんとでありながら、
嘘でもある。

命がけで育てていることを
ないがしろにされた痛みを
ひしひしと思いだしていたのだ。

美沙がまだまだ子どもでありながら、
自分を生きるために
葛藤していたあの日々を
ひしひしと思いだしていたのだ。

すでに何年も経過しているし
なんなら終わった話だと
思っていたにもかかわらず、
ジューシーな涙が
じわじわ出てくるわけ。

ふふふ。
それだけ思いっきりフタしていたこと、
だったからね。

物分りいいはずないのに
めっちゃわかるいい人って体で
すました顔していたからね。

・・・でも。

もし、当時の私に
こんな未来があるよと
言ったなら、
「はぁ?何言ってんの?
 んなことあるわけないじゃん!」
って
逆ギレするって
ずーっと思っていたけど。

今ならね。

あはは。
だよねぇ?
それ、知ってるけど
黙っとくねーって
葛藤して苦しいって、
なんでわかって
くれないんだろって
泣いてる私の
さらに上にいる
ペロリと舌を出した私が
ニッコニコしながら
もう少しここで頑張るよーって
言ってるだろうな。

歳なんて関係なく
大人だから、
子どもだから、
そんなことにも関係なく、

人は今という瞬間を
一生懸命
いろんなもの見ながら
生きてんだよ。

いろんな環境の中で
いろんな彩りで
力強く生きてんだよ。

強いとか弱いとか
そんな目に見えるものじゃないところで
ちゃんと生まれ持ったこの自分を
どう生きるのかって
闘いながら
生きてんだよ。

あちこち世界を切り開く、
そんな小さな勇者たちが
どうしたら
幸せになれるのかな。

その前に
大人がそんな勇者だったこと
思い出すことから
なのかもね。

あなたも私も、
みんなみんな
小さな勇者だったんだ。

深い傷は
いつの日か
必ず自分を
力強く突き進ませるよ。

大きな原動力となって
翼を動かす力になるよ。

そして今日の涙は
あの日のペロッと
舌を出していた
もう1人の私の歓喜の涙、
なんだろうな。

って、その後のFacebookに
こう書いてみたけど、
これはほんと。

ってくらいに、
あの日々はやっぱり
私にとっては濃くて豊かな日々だったんだ。

そしてちゃんと
自分で自分の背中を押していたんだな。

今にして思うと、
そこまで深く心を動かせたこと
そこまで深く体感できたこと。

それは幸せだったんだ。

そのあの日々のすべての記憶が
ちゃんと自分をお母さんとして
私を前進させる
原動力になっていたなぁと。

そんな自分がやっているお母さんって
すごいなぁと思うからこそ、
お母さんはみんなすごいんだよーって
伝えられる、
すべてはそんなタネだった。

だから、どうか
迷ってもいいし
泣いてもいいし、
怒ってもいいし、
モンペと言われてもいいから、
あなたの思う今を
突き進んでみてほしい。

ちゃんとそこに伴走している
さらに高いところから見ている自分が
ちゃんといるからね。

子どもを育てるって
そういうことを言うんだよ。
私にとってはね。

だから大丈夫なんだよ。

整理したかったら
いつでもお聞きしますよ。

今日もここまでお付き合いくださり、
本当にありがとうございました。



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