拝啓、僕の星を閉じ込めた僕の星の神さまへ —2小節目—
やがて全て
そこに還る
時が来るのでしょうか
行ってしまったあなたさえも
—樫尾キリヱ『終焉の光』より
神さま。
逃げないで聴いて下さいね。
だって、乳児をおっぱいにぶら下げて、逃げられる時間は1日にトータル1時間くらい。
それは、乳児がまとめて寝る時間がすこしずつ増えるのと同時に増えていくけど、毎日のお散歩を始める生後2ヶ月くらいまではほとんど家も出なかったです。
逃げられる時間が1日1時間というのも、母乳生産不足で頻回長時間授乳だったという私の状況であって、誰しもがそうじゃないんですけれど。
経産婦が、そうでない人に、「育児は大変よお」と言うけれど、「大変」って2文字にしちゃうのって、大きな齟齬を生じさせる罪なんじゃないかと思うんです。
「へえ、大変なんだ」って。
私だってそうやって聴いて、自分の中の「大変」に当てはめて納得していた。仕方ないよね。
「赤ちゃんは可愛いよ」も、そう。
可愛いって言うレベルじゃない。
可愛いも大変も、その幸せも、立体的な情報量が多すぎる。
しかも人間って、表現が高度で上手なようだけど、大変さや苦労を表現して伝えることにばかり長けていて、反対に幸福の表現に疎いし下手くそ。当たり前ですよね。生き物だから。
死なないように、まず危険を共有することを進化させたから。
絶大な幸福を共有することは難しいことです。
だからどうしても、育児の苦労についてばかり饒舌になってしまう。
最近も、SNSで漫画や文で出産前育児の大変さを上手に伝える人が増えましたよね。
それが悪いことじゃない。
バランスが凄く悪いって思います。
私も、そういう大変さの表現を見てたから。
「じゃ、作んなきゃいいじゃん」
だから若かった私は、積極的に受胎する人の気持ちが全然わからなかった。
身近に赤ちゃんも殆ど居なかった。
ではどうしてそれでも2人3人と産むの?という逆算や、友人にできた赤ちゃんとの数少ない触れ合いや、悔しいけれどFacebookで、ああこれは凄い幸せなのかなと感づく。
その前だって、10代の頃から凄い好きな旦那との子ができたら、やばい幸福なのではないかとは思っていたけど、だからこそ、身近な危険、世界の危険、そんなものから守れるのか?という恐怖のほうが先にありました。
こんな風に夜なべして核実験の動画を漁る人間ですから。
悲劇の可能性が、存在の幸福を超えていたんですね。
「生まれなきゃ良かった」「生まれたくなかった」と、私自身が思っていたんだから。
産むなら、守って幸せに暮らすなら、最低限ビルゲイツくらいの財力がないとなって思っていましたよ。本当にね。
でも、20代が終わりに近付きビルゲイツが難しくなって、色々触れて、「存在の幸福」が色々なことを凌駕し始めた。
特に、旦那のお父さんお母さんの優しさと愛情に触れて、「悲劇の可能性」より、「旦那両親に孫を見せられない悲劇」が凌駕したのは大きいですね。
それまで正直なところ、酷い事故で小さな子を亡くした両親が、ニュースで「まさか」とか「なんで」とか言う姿を見て、胸が締め付けられながらも、「でも産んだのでしょう?」と、冷めた自分が居ました。
私を「心配しすぎ」「気にしすぎ」と嗤うような、多くの人間の一人だからこそ産んだのではないですか、と。
亡くなる0歳児は、1000人に1.9人。
(https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei17/index.html)
そんな私は、子供を作ることを解禁するならば、覚悟を決めなければいけなかった。
到底できることのない、覚悟を。
「生を産むことは、死を産むことだ。特に死にやすい乳幼児期を潜り抜けなければいけないということだ。それでも」
3月、毎月狂ったように睨めっこしていた検査薬が、幻ではなく、日に日にくっきりと色付いていった。
受精卵が内膜に小さな根を張らなければ出せない成分が、濃くなって行く。
口角が上がる。
存在を感じる。下腹部が確かに熱い。
熱い。私のものじゃない熱さだ。
夢に、実家で飼っていた歴代の犬と猫の家族達が来て、私のお腹を暖めてくれた。
ああ、ありがとう!皆んなで来てくれたんだね。
ああ、でも
「あ、居ない」
ふと、そう感じてしまった。そしてすぐに取り消した。
大丈夫。
それから数時間後、太ももが冷え、尻が冷え、そしてまるで月経のような、来てはいけない、痛みが始まった。
痛みでトイレに行く。
血だ…。でもまだ薄いから大丈夫。少しだから大丈夫。
ちょっとした出血は、妊娠初期にはよくあること。
痛みは、おさまらなかった。
血も、おさまらなかった。
旦那が帰ってきた。
土曜の夜。かかりつけの不妊クリニックは、やっていない。救急相談#7119へかけた。
「まだエコーで胎児が確認できていない場合は妊娠とみなされない。妊婦でもない」事前知識はあった。自宅待機になると思った。
だけど電話口で、救急にかけた方が良いと言ってくれた。
そして、救急車。
血圧を測り、病院に電話する隊員。
痛みは、重く重くなっている。
駅をいくつか離れた古い大学病院。
裏口から運ばれる。
看護師さんが寝台から降ろしてベッドへ寝かせてくれる。
「初めての子なんですよ。不妊治療をしていて」
看護師さんの言葉の中に「ママ」という単語が出た。こんな状況の中でも、嬉しくて笑顔になった。
同年齢の男性医師が来た。初対面の医師は、いかにも眠りから起こされたように私に質問をする。
「胎嚢は確認していましたか」
「まだ、5週なので、確認に行っていませんせした」
前の生理開始から数えて5週、6週だと、受精しても胎嚢が見えないので、出直しになることはわかっていた。
「検査薬はうっすら?」
「くっきりです。くっきりと出ていました」
夜中の診察室で、冷えた診察台に登る。
クッキングペーパーと良く似たシートに、大量の経血が溢れた。
医師の手は冷たく、痛かった。
慣れている不妊クリニックの医師なら、そんな風に感じないのだけど。
医師によって、内診の感触は全く違う。
「…胎嚢は見えませんね…」
「クッキリだったんですけどね」
経験した数々の内診の中で一番、冷たく、痛く、そして優しい内診だった。
そしてもう私は、「生による悲劇の恐怖」よりも、「存在しない恐怖」のほうが上回ったんです。
大変さも凄いけど(あ、大変って言っちゃった)、色んな恐怖や、リスクを、凌駕する幸福そのものであるっていうこと。
不幸も幸福も、子供を中心にすることで尺度がまるで違う。
子供が生じさせる悲劇や不安や不幸。
だけど、尺度100mが1.4kmに変わったような幸福が、打ち消されるわけではないんだ。
打ち消すほどおかしくなる危機もあるけれど。
それって本当に、伝えるのが難しいですね。
あの時はそれどころではなかったけれど、漫画コウノトリ的対応を抱えているあの男性医師の貴重な睡眠を奪ってしまった。
「これだから、胎嚢も見えていない検査薬の陽性だけで、妊娠って判断させちゃいけないんだよ」
そんなことは言われていないけど、そういう事例を作ってしまった罪悪感。
来てくれた受精卵に、必死に根を下ろした受精卵に、妊娠じゃないって、他人が否定するの?怒り。
医療現場の事情と、生命の絶対性が私の中で喧嘩を始めるのは、もう少し後のこと。
その「今」は、空っぽだった。
非常灯の待合室。受付。会計。タクシー。
旦那と話した、言葉ではなく口元にたゆたう空気の温度だけ覚えてる。
雪混じりの3月にあの子が来てくれたことを幸福に思っていますよ。
だって、来てくれたんだ。
(つづく)
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