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【エッセイ】心に残った言葉がない 草間小鳥子

 エッセイコンテストや作文のお題でよくある「あなたの心に残った言葉は何ですか?」というのがものすごく苦手。だって心に残った言葉などひとつも思い浮かばないというか好きな詩の一節や短歌ならいくつもあるがこのお題から期待されているであろう挫折を乗り越えたといった実生活のエピソードトークを展開できる自信がない。
 おそらく、言葉を相手に対して物事を伝え行動変容を促すための伝達手段というふうに考えていないからだろう。

 就職活動中に筆記試験でこのお題が出され、何も書けないまま破れかぶれで「アグレッシブ」とかなんとか書き殴って提出したら次の面接で「字が下手すぎて人に何かを伝えようという意思が感じられない」と言われ当然ながら落ちた(ちなみに字もものすごく下手で作文に向いていないし手書きで詩を書こうものなら全て駄作に見える)

 「心に残った」も何も言葉そのものに救われた経験などないのではないかとさえ思う。
 言葉は心にたちまち作用する魔法の薬ではない。ざりざりにすり減った心(というのも曖昧な表現で常々わたしは心などなくあるのは脳と神経回路だと思っているのだが)を癒やしてくれたのはいつだって単なる時間の経過と物言わぬ草や木や石だった。
 物言わぬとは書いたが、鳥には鳥の言語があるように、草には草の、木には木の、石には石の言語があるはずで、テキストとして可視化されやすいヒトの言葉などというものを超越したものに救われていたのではないかと感じる。

 わたしにとって詩はそういった触れられぬ言語を詩的現象として彫刻すること。インスタレーションにも近い(けれどわたしは手先が本当に不器用で蝶々結びさえうまくいかないので有機物を操るのは無理。夏休みの工作は姉にやってもらったし裁縫は全てボンドで貼って提出した)
 例えばただ石が時を経て砕かれ砂になり川床に堆積しているというひそやかなでも震えるような感動をいかにそのまま文字にすることができるか。
 ヒトの言葉で思考するうちは不可能なのではと思う日もあるが、ぼんやりと目の前の風景を眺めるまま無為に過ごしてしまったと悔やむその時間こそ不可視の言語との対話であったと思いたい。それからいかに書くかというところで技量と膂力が問われる。どちらも今のわたしには足りないものなので練習を繰り返す。
 いわば、ヒトの心に残らないからこそ言葉は水を得て自在に呼吸をはじめる。そのとりこぼされた言葉の行方を追いかけていたいと願う。

 冒頭で好きな短歌ならいくつもあると述べたので、それをひとつ紹介して終わる。折りに触れ思い起こすが、この短歌をきっかけに挫折にめげず成功を手にしたとか行動変容があったというような感動的なエピソードは特にない。
 でも、日々のあらゆる側面で呟いてみてはふっと笑い、また日常へ戻っていくことのできるささやかな呪文だ。

 「もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい」(岡野大嗣)

※草間小鳥子さんが詩「地下水脈」「借景」を寄稿した詩誌La Vague vol.0はこちらからお買い求めできます。


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