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沈黙は金なのか?

こんにちは!レタススタッフの三宅です。
7/23、「Relearnする読書会」を開催しました。
ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました!

今回読んだ本は、古田徹也 著『はじめてのウィトゲンシュタイン』

この本には、ウィトゲンシュタインがどのように生きてきたのか、背景も書かれてあり、なぜこのような考えに至ったのか想像しやすくなっています。ただ、哲学書は難解で、解釈は合っているのだろうかと思ってしまいますが、間違った読書をしていてもみんなと確認しながら読み直せるのが読書会の良いところでもあります。

「アスペクトの閃き」に因んで、「最近発見した新たな見方は何ですか?」という質問を交えてチェックインをした後、感想を共有しました。

◆最近発見した新たな見方
・AIの話。発話と理解は別の経路で、自分で考えていることと言語化することは別のことだというのが面白かった
・どんなに腹が立っても、相手の中で論理が通っていると思って話を聞きなさいと、養老孟司先生に言われた
・哲学カフェを何のためにやるのかを考えていた時に、自分たちの現実を無視して話をしてはいけないなと、今回の本を読みながら再認識した
◆感想
・前期は言葉の限界からスタートし、哲学的な問題を無意味なものにしていく。後期では、より身近なものへの考察がされていて、考え方が変わってきている過程が面白いと思った。
・後期ウィトゲンシュタインの考え方は、自分の体験してきたこととも通じると思った。
・ずっと辛かったんだろうなと思った。哲学することによって救いを求めていた?
・わかった気になるのは良くない、限界を認めることも大事だと思う。
・書かれていることより書かれていないことの方が大事、それは倫理
・具体例がないと説得力がないし、多くの哲学者が議論する時に陥りがちな抽象的な議論の問題点を教えてくれると思う。
・医学の領域でも、後期ウィトゲンシュタインの考え方が使われている。
・子どもの発達は言語ゲームに近いものだと感じる。それを見ていく中で、状況をどのように捉えているのだろうと思った。
・前期ウィトゲンシュタインは諦めがあった?後期になると、現実的な限界にも向き合おうとしているように思えた。

本には書かれていませんが、ウィトゲンシュタインの言葉で「考えるな、見よ」「ざらざらした大地に戻れ」という言葉もあると、教えていただきました。考え方以外の情報も知ると、また印象が変わってきます。

今回の対話では、以下3つの問いについて話しました。

Q.「語りえないことについて沈黙する」ことで、どんなことが起こるだろう?
Q.自分の「精神的痙攣」を解くために、どんなことができるだろう?
Q.哲学を学ぶことは、何の役に立つのだろう?

特に印象に残ったのは、沈黙が多義的に捉えられること、沈黙する方が思考が拡がることです。
検査の所見を書く時、処遇を考える時に、それっぽいストーリーを書くことは欺瞞ではないか。説明することでわかったつもりになる、言葉と思考が結びついたと錯覚して安心する、という意見がありました。

自分の意見を主張することが良しとされ、自分の考え以外には目を向けづらくなっていること、当の本人と関係ない周囲がそれっぽく問題点を語っていること、そんな現状と繋がっているのかなと感じました。
今までの哲学の姿勢や語り方のままでいるなら沈黙しなければならないし、語り方をもし変えるのなら、沈黙も有効と言えそうだなと思いました。

私の中では上記のような「アスペクトの閃き」がありましたが、「わかった!!」という瞬間的な体験で終わらせず、明日からどう実践するのか、それぞれが実践を繰り返すことを促す読書会づくりをしていきたいと改めて思いました。

次回のお知らせ

日時:2023年8月27日(日)10:00~12:00@オンライン
本 :成田悠輔 『22世紀の民主主義』
➤詳細・お申し込みはこちら

2023年のスケジュール

※変更箇所は赤字で示しています


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