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共済から始める社会主義

 日本の共済制度の元祖と言われるのは島根県石見銀山の「友子制度」と言われています。銀山の鉱夫たちは有力大名や幕府から徒党を組むことは禁止されていましたが、親方層を中心に同業者組合を結成し、労働力育成や人材異動や派遣、供給の調整などを行なっていました。怪我で働けなくなった鉱夫にも米や味噌が支給され、その子どもにも養育米が与えられました。戦国時代や江戸時代のお話で、封建体制の時代の方が産業革命下の日本より相互扶助の関係ができていたというのも何だか皮肉な話です。そうした運動が資本主義が発展したと同時に退化したという事ですから。こうした制度は全国の鉱山や炭鉱にも広がっていました。
 実を言うと農協や信用金庫の原型も江戸時代に始まったものが多いです。当時の幕藩体制は農民一揆の兆しを尽く排除していた歴史の中でこうした取り組みは権力側の大きな弾圧もありましたが、明治維新後は経済封建体制を終わらせるためこのような協同組合も活用されました。さてこうした協同組合主義は明治時代に政府介入が濃い法律が制定されますが、徳富蘆花・新渡戸稲造、片山潜・幸徳秋水など知識人も賛同しました。「今日の競争制度を廃して社会を共力主義の上に再建せんとする」「日用品を廉価に売渡し、生活上の便益をはかる」「労働者自身が少数の資本を出して共同して営業を為す」「生産器械を共有し、生産管理人は公選で選ぶ。収入の分配は器械の費用・各人の生活の必要費、その余を労働に比例して分配する」という主張は現在の農協運動や協同組合思想と合致したものですが、当時はこれらの主張を全てまとめて社会主義と言いました。たまーに現代でも右派が「社会主義のような政策だ!国は衰退する!」とがなりたてますが、協同主義すら社会主義的と言われるなら自民党の業界団体の大半は無くなります。これは一応明治政府なりの社会保障対策の一つでした。困窮する農民層を一定の自立をさせるのなら必要な事でした。
 そうした協同組合を労働者に応用したのが平澤計七でした。平澤は「共働社」という労働者生協を設立し、その剰余金は労働運動の資金になりました。労使協調と言われた平澤でしたが、関東大震災の混乱に乗じた当時の「反社会主義的機運」の元、亀戸事件が発生し平澤は軍部に殺されています。労働運動自体が温度差に関わらず全員弾圧された時代です。ただ平澤のこの行為は労働運動と社会主義運動の強い連帯を生みました。

労働者共済の始まり

  第二次世界大戦後、協同組合や労働運動も数々の犠牲者を出しながらもようやく再建され労働組合も生協運動には純粋に興味を示していました。高度経済成長のもと日本国自体は経済発展を遂げましたが、労働者の多くが怪我や病気などをすれば、収入が途絶え生活苦になる可能性もありました。1950年代に労働組合福祉対策中央協議会が共催事業を提唱し54年には大阪で日本初の労働者共済が始まり全国に広がりました。全労済のホームページにもありますが、新潟では共済発足後5ヶ月目で「新潟大火」が発生。早速掛け金が保険金として使用されましたがこうした経営危機も乗り越えていき労働者共済事業は広がっていきました。明治政府というものは、土地も人民も領主のものから私有財産を所有する事を公認した政権でしたが、これは富国強兵の美名のもとほとんど労農市民には還元されるものではありませんでした。社会主義という言葉も誤解が多いイデオロギーになっています。かつて菅直人は構造改革派のリーダー江田三郎に「もう社会主義という言葉は使わない方がいいのでは?」と進言したらしいです。社会主義者でもない菅直人にとっては選挙の方便に社会主義という言葉を使うのは後ろ向きでした。これに対して江田は「私が社会主義というのは、ひとつの固定論や理想像を描いているわけではなく、現実には色々な矛盾がある、不公正がある、不合理がある、その一つ一つをどこまでもどこまでも正していく終着駅のない社会主義運動という考え方です。」と答えています。
 完全な平等を求めてもどこか何故か権力者と仕えるものが出てしまう。現在の労働組合もそうでしょう。だからこそ一つ一つ解決していく「支え合い」の気概を常に持たねばなりません。共済事業の発展は私なりの社会主義運動です。

社会主義運動の再建 簡単な事から

 民主党2003年のマニュフェストを見ていると、組織体制はかなり似ているのに政策論はやはり自民党より急進的な経済タカ派でした。統合や分権ばかり主張され「共助」という視点はかなり薄いです。ブレア、クリントン、ドイツ社会民主党のハルツ改革のような社会制度に対しては多少開放的だけど、経済路線は完全に小さな政府路線のそれです。政権交代という大義だけが労働組合が民主党を支えていた理由でしょう。
 こうした矛盾が労働組合自身、窮地に追いやりました。民主党政権は自民党ではできない事もやりはしましたが、総体的に考えればやはり失敗です。西欧、アメリカが20年以上前に行った一連の「第3の道」路線を2010年代にやってしまったのですから、その後遺症は現在にも色濃く残っています。アベノミクスの狂ったような擁護も本質は民主党政権の残り香とも言えます。成長重視とは名ばかりの浮利ばかりを狙うハイエナ達の経済政策でした。清和会の派閥ぐるみのキックバック騒動はまさに、儲ければ何をやっても構わないという悪夢のような時代の結末でした。彼らの栄華の夢はもう終わり。リベラルだという浮ついた言葉はもう左派は使わない。保守が実は保身の塊だったようにリベラルも立場を不鮮明にして共助を嫌うハイエナ資本主義と同じように映ります。

社会運動は1日して成らず

 江田三郎は社会主義は終着駅を持たないと菅直人に対して喝破しています。向坂逸郎も確かに親ソの親玉で、日本社会党を大いに歪めた人物であると同時に「社会主義」という言葉の思い入れは江田と同様でした。悲しいことにソ連東側ブロックは社会主義を僭称する別物でした。社会で財産を共有する事。あのソ連も一定の私有財産を認めていた通り、東側=人民全員が公務員だったと雑な説明をする池上某が持て囃されるようなら、これはメディアが民主主義を歪めているとも言えるでしょう。
 社会運動は1日1日がたとえ亀のような遅い一歩でも前進すれば勝利です。歪められた社会主義運動を是正するための2020年代が始まります。この運動は敵を作らない。皆んなで支え合う共助です。

 


 


 



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