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ピエール瀧騒動に思う、ギャップと人格を構成する要素について。

恐らく、人並み以上に電気グルーヴが好きです。

ピエール瀧の逮捕を受けて、笑っちゃうくらいに電気グルーヴが注目されています。テレビは敢えて見ていませんが、どうやら「Shangri-La」が世の中に蔓延しているようです。ファンとそうでない人では、この曲の印象が異なりますね。電気好きでこの曲を彼らの代表曲だと思っている人は、決して多くはないでしょう。まあ、世の中なんてそんなものです。認識にギャップはあるものです。

そして、電気グルーヴの認識にギャップがあるように、今回の「罪」についてもギャップが存在するようです。何か釈然としないこの隙間。現在、この件で一番大きな動きと言えるのが、Change.orgにおける署名活動でしょう。

ソニー・ミュージックレーベルズの対応に対しての、カウンター的なこの動き。3万人以上の声が集まったこの結果を企業はどのように消化するのでしょうか。

また、下衆なマスコミが掻き立てる煽動と、頑なにコメントをしない瀧の周囲の人々もギャップといえます。

砂原、TASAKA、CMJK、FG田中秀幸氏、天久画伯、宇川直弘、白石和彌監督などなど。瀧の近くにいるであろう人たちからは、まったくと言っていいほど、声が聞こえてきません。結果、テレビにお呼びがかかったのが、日出郎とスタンガン高村だったわけです。彼らを呼びたかったのではなく、彼らしか呼べなかったと推測できます。

なぜ、こんなにも世間の反応に齟齬が生じているのか。つまりこういうことではないでしょうか。

コカインが悪いことなんてのは、(おそらく)誰もが知っています。問題はその位置なのです。ファンや瀧に理解のある人は、おそらく電気グルーヴ、俳優、タレントとしての瀧正則と同列に、今回の事件を置いています。それはソレ、これはコレなわけです。

しかしマスコミ発信では、「ピエール瀧=コカイン」であり、彼の活動のすべてをコカインというフィルタを通して見てしまっている。立ちしょんしても、7時間DJしても、それはコカインが悪さをした結果になってしまうのです。立小便は厳密に言えば軽犯罪法違反になりますが、DJの件にいたっては、クラブ文化に少しでも触れた人間にとっては、程度の低いギャグにもなりません。

人気の筋肉芸人が、電気グルーヴの音楽や瀧の演技を「ドーピング」と称しました。それは正に右の構図でしょう。それに対して、坂本龍一の発言は、左の構図となるわけです。

「音楽に罪はない」とは、こういうこと。人を構成する要素は、複雑に絡みつつも、基本並列であって直列ではないんだと。

それにしても気になるのは、コカイン自体を悪いものではない的な発言をおこなう人たち。日本のクスリ関係における「臭いものに蓋」する教育が生んだ歪みと言えるのではないでしょうか。彼らは世界基準になりつつある「医療大麻」をどのように捉えるのでしょうか。

次回はピエール瀧が考えるきっかけをつくってくれた、クスリの問題でも書いてみたいと思います。

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