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マルチカルチャーのジレンマ

 ドイツ音楽業界にアジア人が増えている。特に韓国人の勢いはすごい。歌手でアジア人だなと思うと大体韓国人で、オーケストラにも韓国人が増えている。韓国人の音楽家たちは非常に情熱的でテクニックのレベルも安定的に高い。
オーディションが一つあると履歴書が100近い数集まる事は珍しくはないのだが、楽器によってはそのうちの三分の一が韓国人だったという話があるほどだ。
私がドイツに来たばかりのころも、学校の入学試験の日に教授たちが彼らの苗字の種類の少なさに頭を抱えていた。かなりの数がいる韓国人受験生をアルファベット順に並べるとキム、パク、などの同じ名前がやたら続くのだ。当時から韓国人の間でドイツの音楽大学を受験させるビジネスがあり、バスで移動しながらドイツの音大をいくつも受験すると聞いたことがある。
 
 ドイツのオーケストラの外国人というのは昔は東ヨーロッパの人間をさした。ポーランド人、ロシア人、ハンガリー人、ルーマニア人、共産主義時代の音楽教育はとてもレベルが高かったのだ。
 80年代以降、日本人がちょいちょい入っていくが、今の韓国人音楽家たちほどの勢いはなかったのではないだろうか。韓国人はドイツの音楽業界ではちょっとした勢力になりつつあるように見える。それと反比例してドイツ人は減っていく傾向にある。音楽大学の入試の時点で減っている。このことを時々ドイツ人たちに、どうなってんの、と尋ねることがある。今時の親は毎日一定の練習時間を強いたりしない。子供の意思を尊重することが大事というと、子供にプロになりうるレベルの楽器の教育をするのはむつかしい、特に早期教育のいる楽器は、、という。だまっていても毎日数時間も練習する子などいないのだ。
 その点、東アジアの親は子供にお金もかけるし、非常に教育熱心だ。グローバル化で前述のような高いレベルの若者が世界中からドイツのオーディションを受けに来ているのだから、のんびりしていたのではドイツの若者はマーケットから追い出されてしまう。

 しかしそこにはジレンマもある。オーケストラや劇場は土地の名前を冠していることが多いがそこに外国人ばかりが所属している時、観客はその劇場や楽団に今までと同じ親しみや愛着をもつのだろうか。
 私の所属する劇場も私たちはマルチカルチャーで運営しております、とうたっている。マルチカルチャーを否定するとドイツでは差別主義者呼ばわりされる危険があるものの、新入団員が立て続けにアジア人だと楽団員の中にもこれでよいのだろうか、という感情がうっすら芽生えてくる。アジア人同士では韓国人、日本人、中国人、台湾人とけっして同郷人が固まっている意識はないのだが、それでもドイツ人よどこいった、と思うものだ。その土地の文化の継承者が外国人になっているのだから。
 
  


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