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おすすめクラシック6

ショパンは日本では誰でも聞いたことのある作曲家の一人だと思う。ポーランドのピアニストであり、作曲家である。ロマンティックで和音の感覚がしゃれていて好きだが、個人的にこの作曲家の何かが多すぎる感がたまらない。常に字余りなのだ。俳句の字余りは短いなかでほんの少しリズムから外れるところが、とてもオツなわけであるが、ショパンはもう字余りがメインの感すらある。試しにこれを聞いてみていただきたい。

Chopin Nocturne Op.9 No.2 (Arthur Rubinstein) - YouTube

このユーチューブはありがたい事に楽譜つきだ。
ノクターンの一つである。
ちなみにノクターンとは日本語で夜想曲などと訳されているが正直これが的を得た言葉なのかわからない。要するに作曲家がこの曲を夜のキャラクターを想定して作っているということだ。
最初の四小節、時間で28秒までがこの曲のテーマである。これがどんどん展開していくのだが後ろに進むにつれてなんか装飾がどんどんついてくる。
ご存じの通り、楽譜の上の段は右手、下の段は左手で弾く。左手はこの曲の場合楽譜通りならば、ほぼ最後までずっと同じリズムで進行していく。しかし右手の字あまりがもうそこかしこで溢れかえっているので左手のリズム系も同じ調子などでは進まず、これでもかと弾き伸びる。もう、思いがまとらないのである。
繰り返すが、言いたい本筋は最初の四小節だ。この原型が、でもね、だってね、ほんとはね、といいながら切々と伸びていくのだ。
この伸び自体は音楽ではよくあるし、ほかの作曲家や、オペラ作品などでもたびたび登場するわけだが、ショパンではこの伸びた間が独特の切なさを醸す。字余りがえらい雄弁なのだ。この間をやり過ごすときは目を薄く開けて斜め下を見るか、涙目で遠くを見るような場合が多い。この辺がピアノの詩人などと言われる所以である。
 この間をベタで恥ずかしいな、と思う人はワーグナーなんかに行っちゃてください。でもこれがたまんないという人はとても多く、ショパンを愛するとは要するにこの多すぎる何かを受け止めることだと思う、とポーランド人に語ったら、俺はそんなこと考えたことなかった。お前こそか考えすぎじゃねえか、と言われた。
 


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