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休職で、荒波から逃れて立ち止まった場所はあまりにも美しい景色だった

今日はわたしのキャリアで2回目の転機となった出来事を書きたいと思います。

ちなみに1回目の転機はこちら

2回目の転機は不妊治療と仕事の両立

妊活に不適な生活が積み重なる日々

外勤営業になった2016年頃から、子供を持ちたいと考えるようになりました。理由は「営業をやりたくないから妊娠してしまえば円満に営業から離れられる」と考えていたからです。

そんな不純な気持ちの自分に神様が微笑むわけなく、自然に過ごしていても一向に妊娠の兆候はなくて笑。まぁ神様に好かれようが嫌われようが子供ができるときはできると思いますが、外勤営業という仕事で、今まで感じたことのない強烈なストレスシャワーを浴びていたので、体調的に準備ができていなかったと思います。

日中は本業の営業に全力を注ぎ、夜や週末は勝手に取り組んでいる「自分らしさ」の深堀インプットの充てます。勉強のための読書量は年間200冊を超え、夜中の2時ぐらいに寝て、朝は出勤のギリギリまで睡眠に使って朝ごはんを食べることなく出社し、昼間は外回りの途中のカフェで済ませ、夜にガッツリと外食…妊活しているはずですが、その間の体重は10kg増えました。妊娠どころか通常の健全な生活とは程遠い日々でした。

こんなに頑張らないと会社では認められないものなのか?

営業も勉強も全力投球。そのおかげで営業成績も良い状態をキープしながら、自分がやりたい人材育成の勉強に没頭して社内でもワークショップを展開していました(←本業外の業務として勝手に実施)。

営業になってからいただき始めた会社からのA評価。正直評価なんてどうでもよいと思っていましたが、認められればそれはそれで嬉しいこと。

でも、こんなに全力で苦労しないと認められない自分は、本当にこの会社向いているのだろうか?という疑問もありました。
自分がやりたいと思ったことを会社に提案して、認めてもらうためにはこんなに努力を積み重ねてもまだ足りないのかと。

好きで勉強してやっていることなので、苦痛ではありませんが楽しい苦労ですので、いつのまにかオーバーヒート気味な生活を続けていた状態です。この苦労を積み重ねた先に、会社にやりたいことが通ったところで、その結果残っている自分自身の状態って本当に健全なんだろうか?


不妊治療クリニックに通い始める、そして通うのを止める


年齢的にも気になるお年頃だったので、不妊治療クリニックに通い始めることになったのが2017年頃です。近所の有名な不妊治療専門クリニックへ通い始めました。

が…

時間調整マジ大変。どれほど時間調整に苦労したかはこちらにも書いたので読んでみてください。

とてもじゃないですが、外勤営業との両立は難しかったので、不妊治療クリニックに通うのをお休みした時期がその後1年ほどありました。

そして1年以上経った2020年4月頃に会社で不妊治療休暇という制度ができて、わたしに新たな選択肢が生まれました。


妊活意識低い系のくせに「休職」という選択をしたワケ


子どもは授かりものだから…と、このまま仕事と両立させながら妊活を進めていったとして…気が付けば年齢的に子どもを持つのが難しくなっていた、という結果論で片付けてしまっていいのだろうか…という気持ちがありました。

正直言いますと「子ども」について真剣に考えたことがありませんでした。できればできたで良いし、なんならできなくてもそれはそれで楽しいと思っていました。自分は「子ども」について考える能力が低いというか、無関心というか、優先順位が低いので意識していないとあっと言う間に自分のタスクの範囲外にいってしまいます。

結婚したら誰もが子どもを持つべきものなのか?と思っていましたし、産むのは超絶怖いし、やる気満々の妊活かと言われるとそうではなかったと思います。。
そんな意識低い系の自分がなぜ妊活に集中していたかというと「いつか後悔しないだろうか?いつか子どもが強烈に欲しくなったりしないだろうか?」という気持ちです。

子どもがめちゃめちゃ欲しいから、ではなく、子どもができなかったことを仕事のせいにしたくない。どんな結果になろうとも、真剣に「子ども」に対して向き合う時間を取ることで、今後も納得感のある人生を送りたい。そう思っていたからです。本当にわたしは子供が欲しいのか?であれば、真剣に向き合う時間が必要だよね…そのための選択肢として「休職」をしました。


休職中、会社の外は自由にあふれていた


自分軸で生きる生活は、こんなにも心地よいものか


不妊治療のためにクリニックへ通うこと以外を除いては完全に自由な生活が始まりました。外部からのやるべきタスクも降ってこず、仕事のためだけに各所に情報のアンテナを張っておく必要もない!なんて自由!

大卒で入社して以来、最長の休みでも新婚旅行で14日休んだ程度。1年間の休みなんて初めてで、もう解放感しかありませんでした。
仕事が辛かったとか、会社が嫌だったとかではなくても、こんなにも時間に制約が無く自由に過ごせる世界があるのだなぁと実感しました。

社会人15-20年目ぐらいで全員が強制的に1年ぐらいサバティカル休暇が取れるような制度があればいいのにと思ったほどです。

日が昇ると共に起きて、日が沈めば自然に眠たくなるような生活…これが今までできていませんでしたが、当たり前のようにナチュラルな時間で過ごせるようになりました。

休職して半年ぐらいの過ごし方についてはこちらをお読みください♪


自分が求めれば居場所はどこにでもある


当然ですが、休職しているとお給料が入ってきません。ついでにオットも脱サラして2人で隠居生活のように過ごしていたので、今までの貯金が治療費と生活費と共にビックリするぐらいの速度で無くなっていきます。

まぁそれを承知で2人で選んだ1年なのですが、収入を会社にだけ依存している状態に、違和感が生まれました。休職している間は働くな、ということは、それなりの貯金がないと休職すらできないという制度…ハードル高すぎやしないですか?

働く暇もないから休職するのではなく、じっくりと時間をとって考えたり治療したいから休職するわけで、空白時間はたくさんあります。その時間まで会社に「働くな」と言われて守る必要って本当にあるんでしょうかね?

というわけで、収入の窓口は増やしておきたいと思っていたし、今なら時間はたっぷりあるのでチャレンジができました。

とはいえ第一優先は不妊治療なので、積極的に何かスクールに通うことはしませんでしたが、いろんなことに手を出してみました。
・プログラミング→Webデザイン
・イラレ、フォトショ
・アドラー心理学
・自己肯定感カウンセラー
・対話型アート鑑賞
・北欧式整理収納
・オンラインサロン
などなど

特にオンラインサロンは複数を渡り歩き、どのような価値観で何をしている人たちがどこでどう集まってどんな活動をしているのか…とても勉強になりました。

自分さえその気になれば、オンラインで繋がれる居場所があり、チームとして何かを作り上げていく活動もすぐに見つかるんだなぁと、今更ながら時代の速度を感じました。


発信したからこそつながる点と点

前述したように、いろんなことに手を出しては「これは向いてない」「これは続かない」といろんなことを手放してきました。

例えばプログラミング。
20年ぐらい前にHTMLでホームページを作っていたので、向いているのではないかと思ってやり始めましたが、20年後のわたしには興味のないアルファベットの羅列に過ぎず夢中になれませんでした。

もともとはWEBデザインがやりたかったので、プログラミングが必要かと思っていましたが、最近はノーコードでも素敵なWEBデザインができる時代。
CanvaやWixなどを使いながら、自分が楽しめる範囲のWEBデザインが分かり始めました。プログラミングに手を出したからこそわかる自分の興味の境界線。手を出さなければプログラミングへの可能性を無駄にずっと持っていたかもしれません。

他にもイラレ、フォトショ。グラレコなどでちょっとした挿絵を描くのが好きで、イラスト分野でも何かできそうか試しましたが、技術的なことを覚えるのが面倒に笑
そこまでこだわって修正したいわけでもないし、プロを目指すわけでもないし、もっと自由に楽しく描きたい…そういう気持ちに気づけたのも、この期間にイラレやフォトショに手を出したからこそです。

といった感じで手を出しては手放してを繰り返す中で相変わらず手中にあったノーコードのWEBデザインやイラストは好きなように作ってSNSにUPしていました。まずは続けられることを続けようと。何が目的でもないけれど、ありのままの自分で今発信できることを発信していれば楽しいですしね。

と、ある日SNS経由で連絡がきました。「あなたのグラレコでイラストを描いてほしい」と。初めてのお仕事依頼が舞い込んできました。
また別の日に会社の同僚から「以前Facebookであげていたデータを作ってほしい」と連絡がきました。
また別の日にも会社の同僚から「自分のこういう副業にあなたのこういうスキルを活かして一緒に〇〇したい」と提案をいただきました。


自分ができる「何か」を持っていたとしても、それを知ってもらうことが必要ですし、それをつなげられる場所が必要です。そのためにはいろんなところでチャンスを広げておくことが必要で、だからこそ発信は自分手動でいつでもできる小さな一歩だと実感しました。


休職を通して見えた新たな働き方の可能性


まだまだ手探り状態ではありますが、休職中だったからこそチャレンジできましたし、復職した今でも会社員を続けながら可能性にチャレンジすることができる環境はありがたいです。

休職していなければ、会社の外で可能性を見出す実感も得られなかったでしょうし、ずっと会社の中でだけ可能性を見出そうとしていたと思います。会社の中だけで可能性を見出すことも悪いことではありませんが、そのために何かを犠牲にしたり我慢をする生活が続くのはもったいない。

1回目のキャリア転機で見つけた自分のやりたいこと。それは個が活きる人材育成の仕組みづくり。個人に寄り添って可能性を伸ばす役割。キャリアデザインであり、ライフデザイン。それらを自分ならではのどんなツールで誰に向けて…あたりがまだ荒削りではありますが、大きなフィールドは決まった気がします。

同じ活動を社内でできれば楽しいけれど、できないのであれば別の場所でもできるはず。2回目のキャリア転機で見つけた複業の可能性の種。
WEBデザインを通じて個人の起業を支援したいし、一歩手前のブランディングや価値観で自分探し迷子になっている人のナビゲーターにもなりたいです。


これがわたしの2つ目のキャリア転機です。
荒波に揉まれながら泳ぎ続けた20年、休職をきっかけに立ち止まることで見えた景色はあまりにも美しく、可能性に満ちていました。

復職してからまた荒波に揉まれて泳ぎ始めましたが、今までとは見ている景色が違うのを感じています。息継ぎをたっぷりとって、時には背泳ぎしながらぷかぷか浮かび…自分の中で会社員生活第2章が始まった気分です♪






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