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香港 戦争の記憶と伝承に挑む⑥日本陸海軍・軍装と装備展を初開催 

非公開で実演も

11月某日の午後、九龍地区にある雑居ビルの一角で、日本陸海軍の軍装と装備展が非公開で開催された。主催者はHさん。20代の香港人女性だ。Hさんによると、この日が初日だという。

ビルの玄関口でHさんに到着を知らせると、スマートフォンのアプリにすぐ暗証番号が届いた。入力して開錠し、中に入る。警備員はいない。そのままエレベーターで指定の階に移動。降りたら右手の通路奥に掲げられた木彫りの看板が目に入った。「香港二戦軍品館」(香港・第2次世界大戦軍装・装備館)と書いてある。ここが会場らしい。

のれんをくぐって中に入ると、6畳分ほどのスペースに、日本、米国、旧ソ連、ドイツ、中国など各国の軍装がトルソーを使って整然と陳列されていた。ガラスのショーケースには、メインとなる日本軍の軍刀の実物や地下足袋などが展示されていたほか、小さな説明書きも添えられ、特別感が演出されている。

これら以外に棚やハンガーラックに迷彩柄の軍装や軍靴がぎっしり。模造品だけでなく、本物も含まれるが、筆者は初めて目にするものがほとんどだ。

これらは全て、Hさんが10年かけて集めた私物だという。どちらかというと小柄な人だが、堂々としていて、落ち着きと芯の強さを感じさせる。この日はひとり、ホストとして軍服をまとって出迎えてくれた。
 
参観者は、HさんとサポーターのGさんを除くと、筆者のほか、男女のカップル、友人同士の男性2人の計5人。もちろん関心のある人に声をかけたのだろうが、軍事マニアに絞ったようには見えず、Hさんを除くと、皆、服装も雰囲気もラフだった。

人数がそろった時点で開始。Gさんからはまず、日本陸軍の基本的な軍装と九九式背嚢(はいのう)に関する説明があった。これらは本物だ。九九式背嚢は、通称「タコ足背嚢」と呼ばれ、身体に縛着させるための紐が多いことに由来する。

飯盒や九八式小円匙(スコップ)、携帯天幕、毛布を、背嚢にいかに固定し、紐で巻いていくかを、Gさんが順序立てて解説。毛布は巻き方にコツがあるようで、背嚢の上部に対してU字型に被せた後、背嚢の底と毛布の端がそろうように、見た目の美しさにもこだわっていたのが印象的だった。

Gさんによると、これらの手順は台湾の友人から教わったものだという。三八式歩兵銃の模造品にも実際に触れる機会があり、「思ったより重い」などといった声が参観者から漏れた。

Hさんからは、日本刀の基礎知識や軍刀に関する説明があった。Hさんは香港で戸山流居合道を習得し、現在も道場で稽古に励んでいるという。同居合道は、歩兵戦技の研究・教官養成機関だった陸軍戸山学校で制定された軍刀操法を、太平洋戦争(大東亜戦争)後に流派として昇華させたものだ。初対面の時から感じていた、Hさんの落ち着いたたたずまいの秘密が少し分かった気がした。

刀の手入れ方法の実演があり、刀身が柄(つか)から抜け落ちるのを防ぐため目釘で固定されていることや、柄などに番号刻印があることなども紹介した。製造のきめ細やかさに、参観者からは感嘆の声も出た。希望者には目釘抜(めくぎぬき)を使って、刀身を分解する機会も設けられた。

Hさんは今回の開催について「8月末ごろに思いついた」と指摘。準備期間は2カ月足らずだったといい、「今後は毎月3回のペースで開催していきたい」と語った。

 この日は慌ただしく終了したため、筆者は後日、Hさんに改めてインタビューを試みた。単なる軍事マニアでもサバイバルゲーム好きでもない、何かしらの信念があると強く感じたからだ。実際、Hさんは香港では数少ない、女性では恐らくほぼ唯一の日本軍装研究・活動家だと思われる。

 いったい、Hさんはなぜ戦争や軍服、とりわけ日本軍に関心を持つようになったのだろう。ここは香港で、1941年12月8日の太平洋戦争勃発後に英防衛軍と日本軍が戦った場所でもある。一方で、近年は中国共産党政権により、愛国主義教育とセットで抗日戦争の歴史が強調されている。香港でも一部の市民からは理解を得られにくそうだ。

 11月某日の午後、展示会の会場だったHさんのもとを再び訪れると、出迎えてくれた彼女は、黒いTシャツとカーキのパンツスタイルだった。実は、他の場所を含めて会うのは3回目となったが、初めて軍装以外の服を目にし、意外なような、ほっとしたような気持ちになった。

 Hさんとは2時間ほど話した。主なやり取りは以下の通り。
 

国籍の区別なく戦争の悲惨さを伝えたい

――この展示会を開催するきっかけは何だったのでしょうか。

おかしな理由に聞こえるかもしれませんが、母親と喧嘩したのがきっかけです。母とはもう何年もわたしの軍装収集を巡って喧嘩を繰り返してきました。母からはずっと理解してもらえずにいます。今年8月下旬に母とまた喧嘩をした時に、いよいよ実家を出て、自分で軍装の展示会を開こうと思い立ちました。9月にはこの場所を借りました。

香港の九龍地区で生まれ育ちました。父は香港人で、母は中国本土出身、弟が2人います。母は中国返還後の2008年に香港に来ました。母が軍装を毛嫌いしているのは、反日とか戦争に反対しているとか、そういう意味ではありません。

――戦争や軍事関連に関心を持ったのはいつごろですか。

まず歴史については、いくつもの捉え方があります。真実の部分と、ある種のロマンのようなものというか。わたし自身の活動には、(戦争という)異なる歴史的な観点に対して、人々が経験したことがないこと(戦争)を、現在も疑似体験してもらいたいという意図があります。

中学5年の頃、17歳の時に観た「太平洋の奇跡 ーフォックスと呼ばれた男ー」(注)という映画に、最も影響を受けました。日本陸軍の特攻基地が置かれた知覧にも行ったことがありますが、日本の文化や死生観、輪廻転生といった仏教感など何とも言えない感銘を受けました。

ただ、最初に買ったのはドイツ軍の軍装一式です。16歳の時です。本物ですが、(自分に合う)サイズを見つけるのは難しい。政治的な理由もあると思いますが、西欧市場は価格が非常に高いです。それに比べると、日本は(軍装や装備品の)保管状態が非常によく、ヤフオクなどでも買えます。一般的に数もあり、質も良いです。自分に合うサイズも選びやすいです。

――昨今の香港情勢から影響を受けた面もありますか。

大学卒業後は(専攻である)造園の仕事につきましたが、24時間働くような環境で大変忙しかったです。2019年11月は自分の誕生日だった日に香港理工大学包囲事件があり、とても印象に残っています。誕生日であることも忘れるほどでした。今自分がこのような道を選んだのは、人生を無駄にしたくないという思いからです。

現在は大学の造園学専攻の修士課程を休学中です。この先を考えた時に、もっと自分で自由な時間が持てる状況が良いと考えました。

――展示会を開くまでの苦労は。

通常、内装業者に基礎工事を依頼すれば高額になりますが、床張りや壁貼りなどはすべて自分でやりました。友人も手伝ってくれたので、ほとんど費用は掛かっていません。展示はドイツと日本軍関連を自分で、米国軍や中国軍の軍服などは友人が提供してくれました。

――収集品のなかで最も大事なものは。

軍刀です。ただ、わたしはサバイバルゲームから始まったのではありません。日本の軍刀は 値段も比較的安く、集めやすい。国立図書館などで資料を検索できるといったメリットもあります。展示されている日本軍関連は本物で、ドイツ軍などは模造品になります。友人の中にはわたし以上にたくさん持っている人もいますね。

――日本や日本人に対して思うことは。

若いころは好きじゃありませんでした。受け入れられないところもあります。ですが、その後、ドキュメンタリーなどを見て (香港や中国で伝えられているような)その部分(日本軍に殺されたなど)だけではないと知りました。しかし、他の人たちは一面しか見ておらず、わたしのことも誤解していると思います。

なぜ日本が戦争に参加しなくてはならなかったのか。集団の同調圧力もあったでしょう。民族全体の問題として語るべきではないし、ある文化について偏見を持つべきではありません。

対立という概念を持ちたくありません。国籍の区別なく、戦争の悲惨さの一端を伝える活動を続けていければと考えています。

――今後の活動の見通しについて教えてください。

現在は、英語の講師として働き、空いた時間に戸田流居合道を習っています。ここはわたしの事務所であり、友人たちと過ごすパーティールームであり、展示スペースでもあります。ここで陳列されたものを見ているだけで幸せですし、落ち着きます。

今月(11月)初めて日本陸海軍軍装・軍刀展を開催しましたが、今後は月3回のペースで開く予定です。基本的には香港人が対象です。広東語か英語で話すので、外国人にも対応できます。2年以上は続けたいですね。機会があれば、ショーケースを貸し出す形で、友人の軍事収集品の展示会なども開催していきたいです。

(注)太平洋戦争末期のサイパン島が舞台で、終戦後も住民を守りながら残りの兵士と戦い続けた日本人青年将校の実話に基づいた映画。2011年に竹野内豊主演で公開された。

展示されていた日本陸軍の軍装と装備の一部




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