見出し画像

アート・生活・政治の奇跡的つながり

これまた、2月から下書きのまま熟成。時間差ありすぎですが、神在祭も終わったし(ここで2度目の追熟)、年が変わる前に投稿します。

縄文~古墳時代を紐解くNHK番組の〆で、荒俣宏さんがおっしゃった。

「アート・生活・政治が奇跡的につながっていた」

縄文スピリッツを取り戻せ

番組内で荒俣さんは明言されていませんが、先ほどの言葉、わたしは縄文時代を指していると思います。それを取り戻す時が来た!これ以上、分断されることは阻止しなければ。

こうした考えに初めて触れたわけではなく、敬愛するサティシュ・クマールさんがいつも言っていること。サティシュさんの著書でも、アートは生き方そのものであると繰り返し訴える姿勢は、以前から徹底して同じです。

自然と文化、美しさと実用性、生産と消費、芸術と工芸をもう一度結びつける。そうすることによってしか、お金や物質主義、大量生産による圧政からの自由に向かう道は見出せない。

サティシュ・クマール「エレガント・シンプリシティー」
(P62〜 アートのよろこびをとりもどす )

つまり現代は、消費主義と政治がくっついちゃってどうしようもない(破綻寸前)。これは、主張している人が多いです。ちなみに去年もサティシュの言葉を引用して、同じようなことを書きました。最近、岡本太郎の著書も読みましたが、思想に似ている部分があると思う。

祭祀と切り離せない祈りの表現としてアートを生み出す人々、その暮らしを支えていた政治。縄文時代は「自治」として小さな単位で成り立っていました。「政」は「まつりごと」。それを伝承する「記録」としてのアート。口承であれ、絵画であれ、文字であれ同じこと。文字の元は祈りが込められた絵です。

人間にコントロールできず、全てを理解することもできない「大いなる存在=自然」、つまり人間も含めてすべてのもの。その時代の精神性とは、それらへの畏敬と祈りではないでしょうか。それらの存在(神)との繋がりを取り戻すための。

現代でも、その精神が生き続ける場所(竹富島)

1月29日に放送されたNHK「ブラタモリ」、竹富島では「生活と祭祀と政治の一体化」が現代でも行われていた!という内容。 

島の年間行事で祭がやたら多いことに驚いたタモリさんが「暮らしの中に祭りがあるのか、祭りの中に暮らしがあるのかわかんないね」と言っていた。祭祀に欠かせない芸能(歌・音楽、踊りなど)は素晴らしく、今も受け継がれている歌は確か百種類以上。様々な決まりごと、役割分担があって、人の暮らしと祭が成り立っています。それが自治体による「政治」。わたしは石垣島に住んでいたこともあり、何度も竹富に行っていますが、番組で言っていた「ムーヤマの伝承」は知りませんでした。それが今も人々の生きるベースとなっているそうです。

ちなみに竹富島で最も有名な祭が「種子取祭(たなどぅい)」。タイトル画像はミルク様(神)、やいまニュースからお借りしてます。https://yaimatime.com/yaimanews/95422/

ここは本当に小さな島で、観光は収入源ですが、暮らしの場に「お邪魔させていただく」という心がけが大切。しかし人々の暮らしを破壊する産業は存在し、それを阻止すべく闘っている竹富や石垣の島人たちも知っている(日本中に、そんな事例はあるはず)。わたしは、何も考えず観光に行くのではなく、その裏側を確認したいと思います。誰が何のためにやっていて、地元の人たちの暮らしを支えるための「目先ではない」利益になっているか。邪魔したり傷つけたりしていないか。それは、観光に限らずあらゆる産業で意識すべきこと。一見すると「よきこと」の裏側って、真っ黒けだったりしますので。

神聖な場所や祭祀は尊重する(実例:沖縄/出雲)

特に御嶽やお墓には、珍しいからといってむやみに入らないことです。沖縄各地の御嶽は本来、神司しか入れない場所。わたしは祭りの時以外は入り口の外から拝むだけにします。そもそも(結界が)強くて入れないところもある。沖縄の斎場御嶽に行った時は、許可された場所しか歩いていませんが、体がとても重く、しんどくなりました。何かを感じるかどうかは人それぞれですが、本来の意味を知っていれば少なくとも「きゃー!パワースポット❤️」 と、はしゃぐ場所ではない。

そして地方の様々な祭も、入って良い場所か、見学して写真を撮っていいのか等は地元の方や神社の意向に沿うのが当然のマナー、なのです。よね??

出雲大社の祭祀でもとりわけ重要な、神在祭の初日に行われる神迎神事。8年ほど前、わたしは大社町民でした。稲佐浜へ毎月かかさず汐汲みに行き、月初のお参りをする方など、様々な祭祀が暮らしの中にある地元の人々を知っていました。わたしが初めて参加した神迎えの夕方、篝火の焚かれる稲佐浜に集結する人たちの浮かれようが尋常ではない。遠目に見た時、神様が集まる場所を穢して遊ぶ邪鬼どものパーティーのようで、うんざりした。野外フェスかよ💢(*`へ´*) 

その数々の悪行は列挙しませんが、神社側から「守ってほしいこと」は事前に告知され、立看板もありました。それを事前に調べてこないのも酷いけど、知ってて無視する/注意も見ない・聞かない人って、どんな神経?スピ稼業の知人たちが神迎えの道をくっちゃべりながら歩いてたんで、「正体見たり・・・」と縁を切ったなあ。余談ですが、この業界は色々ありますのでね。

各地に今も少数ながら残っている「祭祀と一体化した人々の暮らし、芸能、まつりごと」を、同じように実践したり信仰したり、それ以前に理解しなくてもいいけど、邪魔はしないこと。観光客が一緒に楽しんでいい祭りと、そうじゃない(見せてもらうだけの)祭りがある。縄文人なら、たぶん怒るだけですむけど、弥生人だったら武器持って攻めてくるだろう。

さらに、コロナ騒ぎで祭祀を中止したあげく、大事なことが継承されずに消えていくケースも多いのではないかと危惧しています。もしかして、それも狙ってんの?いやになっちゃう。祭祀やろうよ!!

最後に、祭祀といえば縄文に戻り、縄文スピリッツを継承する人を紹介して終わります。

縄文ZINE

縄文関連のSNSだけでなく、書籍やフリーペーパーも発行しているのがこちら。かなり面白いです。縄文リスペクトな著名人のインタビューも充実。わたしが初めて入手したのはARATAさんが表紙の号。配布場所は縄文ZINEの公式WEBサイトでご覧ください。最近、自分が行けるエリアの小さな書店さんも置いてくれるようになって嬉しい。

画像1
http://jomonzine.com/index.html

まだまだ縄文時代の探究は続く。何しろ1万年分ですから・・・





よろしければサポートをお願いします。クリエイティブな活動をしていくための費用とさせていただきます。