悲しいねって誰かに言った

 アルミ缶の潰れる音がして、そうして私の世界は終わりを告げた。後には何も残らない、ひとつにも意味などなかったと、そう理解する間もなかった。

 初めに思ったことは何だったろう? 後にも先にもそればっかりだ。でも最初なんてものは、本当は重要ではなくて、結局ずっと私は「かみさま」を探していたし、「かみさま」になりたいと願っていた。そういう傲慢さが惨めさを生んで、いつしか片手で潰せてしまえるくらいのものになっていた。それだけだった。

 もはや生きていることは死んでいることと同義で、過ぎ去ってしまった月日は諦めの証明でしかない。期待されたいと願ったことも、諦めてほしいと祈ったことも、きっとそのどこかに散らばっているのだろうけれど、終わる頃には、外と内からの諦念だけが手の中にあった。掴みきれなかったものも、取りこぼしたものも、実際にはなかったはずなのに、どうしたってそういうものがあったような気持ちになってしまう。自分を特別だと思いたい傲慢さ。

 強い潮風に、潰れたアルミ缶が音を立てて転がっていった。じきに、大きなトラックに潰されて更に薄く平たくなるのだろう。誰も何のためにも生まれていないし、誰にだって代わりがいるねと笑ってあげることしかできなかった。自嘲よりも憐れみに近いそれを、誰かに聞いてもらうことは、終ぞ叶わなかった。

 遺伝子を残して種を繁栄させる。そういう動物らしいものを捨てて、社会性を選んだのに、どうして人はまだ「ひとりで生きて死ぬ」ことを認められないのだろう。多様性を認めるとかそんな風に大声で叫びながら、その実、「受け入れられない人」を受け入れられず、頑なに踏襲を嫌ってみたりする。そういう矛盾が人らしくて愛さなければいけないのだとすれば、私には社会は難しすぎた。

 生命は美しくもなんともない。ただひたすらにエゴの塊でしかない。それを美しいと呼ぶのだとしても、生命も世界もただそこに在るだけで、別にそこに美醜も善悪も介在していないと思う。そうでなければ、美しいと思えなければ、誰かに選んでもらえなければ、それはもう正しくないことになってしまうから。

 私は誰かのかみさまにはなれなかったし、誰も私のかみさまにはなれなかった。求めていたものは手に入らなかったけれど、きっと全部決まっていたこと。足先から指先から刺すような冷たさも、止まない波の音も、そういう風に決まっていたこと。どこか全ての外側で(きっと皆が神様と呼ぶそのものが)そう決めていただけのもの。

 世界の終わりは地続きで、静かでもうるさくも何ともなかった。ブレーカーを落とすように、それこそ急な暗転。




バツン。

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