傲慢な男の或る夏の日

 「嘘つきだよ」
そうだね。黙ってコーヒーを飲みながら、瞬きだけで同意をした。
「分かってくれとは思っていない」
子どもの駄々だな、と思った。まだこの話が続くのなら二杯目がいるな、とも。
「でも、自分の傲慢さも理解してるつもりなんだ」
つもり、ね。
「どうして何も言わないの」
黙ってコーヒーを啜るこちらに、痺れを切らせたようだった。
「何を返したところで無駄だろう」
そう言えば、一瞬相手は何か言いたげにしたが、すぐに諦めて口を噤んだ。
「さて、私は二杯目のコーヒーが必要かな?」
「ーーーーいや、もういいよ。僕はただ君と会話がしたかっただけなのに」
はっ、と、喉の奥から乾いた笑いが漏れた。
「それなら、懇願や憐憫を乗せた目で相手を見るのはやめた方がいい」
言いながら立ち上がると、相手が腿の上の拳を強く握るのが見えた。まるで弱いものいじめでもしているような気持ちになって、せめてここの会計くらいは持ってやろうと、伝票を手に、席を後にした。相手はこちらに縋るような視線を投げて寄越しているようだったが、私は一度も振り向かなかった。

 店を出ると、曇り空の下、生ぬるい風が身体を撫ぜた。冷えた身体に心地良かった。あの店は冷房が強すぎた。
 歩きながら、先ほど来ていたメッセージを再度確認する。「今度お時間ありますか?」というこちらを伺うものだった。おそらく話がしたいのだろう。発信元の名前を見ても、全くぴんと来なかった。それは、先ほど話をしていた男に対しても同じだった。
 どうやら私はああいう類の人間に好かれやすいらしい。そう気付いたのはいつの頃だったろうか。赦しを求めて縋る老若男女。いつかどこかで見たような、しかしぼんやりとして抽象的でしかないその顔が、いくつも浮かんでは消えた。別に私は神でも仏でもなければ、その御使でもない。一介の、どこにでも居る、唯のヒト、だ。それでも何故か、そういった類の人間たちは、私を華麗に神格化して救いを見出そうとする。見事なまでに。ただ少し、他とは色味の違う私のことを、勝手に尊ぶ。だから私は、そこから少しでも利を得ることにした。哀れで愚かな等価交換だ。
 信号待ちをする傍ら、会うことへの承諾の返事を打った。その返事は、信号が変わらないうちに届いた。まるで相手の必死さを表すようで、思わず口の端で笑った。嘘も本当も、どうせ自己がどちらを信じたいかでしかないというのに、どうしてそれをわざわざ外側に求めるのだろうか。そう思いながら、向こうが欲しそうな言葉を返し、折を見て後腐れないよう突き離すのは、果たして悪なのだろうか。
 相手に日時の連絡をする前に、信号が変わった。その先、珍しく喫煙所は空いていて、シャツの胸ポケットに手を入れると、煙草の箱がぐしゃぐしゃと音を立てた。残り少なくなったそれを取り出して、火をつける。ようやく身体が冷気を忘れたのか、汗がじわりと吹き出して、先にコンビニでアイスコーヒーでも買っておけば良かったなと、少しだけ後悔した。
 お世辞にも綺麗とはいえないパーテーションの奥に、先程渡った横断歩道が見えた。少しだけ開いた雲の隙間から陽光が漏れ出して、淵の甘くなった白線を小さく照らしていた。深く息を吸って吐く。酸素の減った脳の中、瞬きの先で、白い大きな鳥が歩いていた。歩道を歩く人々は気に留める様子もなく、私は悠然と佇むそれを、漫然と眺めていた。信号が変わり、もう一度煙草を呑めば、大きなトラックがその鳥を轢き潰していった。誰も何も騒がず、後には何も残っていなかった。白昼夢か蜃気楼か、それともカミサマのオツカイか。そのどちらでもいいと思ったし、そのどちらでもないとも思った。
 検索サイトで調べれば、あれはどうやら鷺という鳥らしい。とんだ皮肉だなと思いながら、煙草の火を消して、喫煙所を後にした。祈る神も仏も持たない私には、罰も予知もない。ただ、赦されたいと縋る哀れな子羊に甘い林檎を与える、そういうちぐはぐな傲慢さで、今日を消化するだけだ。
 「赦しもなけりゃ意味もねーよ」ヒトの生などそんなものだ。

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