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飾らないカルボナーラがあるお店。

散々迷った挙句に頼んだカルボナーラ。
昼くらいしかガッツリ食べれない体質なのだから、せっかくだしと。

出てきたカルボナーラは、想像していたものとちょっと違っていた。面食らったような表情をしていたのが伝わったのかもしれない。つかさず料理を作ったお父さん(シェフ)が話しかけてくれた。

「食べてみてまずかったら、右手あげて教えてね」「働きすぎて疲れてしまったよ(カルボナーラを作ったことを指す)」
なんだか楽しそうな、それでいて気だるそうなお父さんの声が頭上を飛び交う。

これはもしや、わたしの知らない、昔ながらの名物パスタとやらなのだろうか。いろんな想像を膨らませて一口食べる。不味くはない。

けれど、けれどもだ。今、わたしの目の前にあるカルボナーラは、カルボナーラというよりかは、シチュー風味のスープパスタという名前の方が適切なのではないか?

一見失礼に思えるような言葉が頭の中をチラついた。まあ、頭の中だからお父さんには見えるはずがないけどねと、とりとめのない考えをめぐらせながら、とりあえず食べ進める。

いつもとは違う佇まいをしているものにでくわすと、私は大抵困惑する。このお店のお父さんは放っておいてくれたからよかったけれど、たまにリアクションを期待されているのを薄々感じることがあるからだ。

そんな深い意味はないのかもな。シチュー風味のパスタを食べ進める。しばらくすると、コショウがいい感じに効いてきた。これ系のパスタは、大体味に飽きてしまい、いつもならもうお腹いっぱいとなるところだが、そのタイミングを見計らったかのように、"スープ"のコショウが味変してくれた。

一気に食べすすめて時計を見ると、もう14時を回っていた。やばい、早く戻らないと。その後何故かコーヒーを一杯頼み、一仕事を終えてレジへ。再びお父さんと出くわした。

「どうだった?」とお父さんの一声目。反射的に「美味しかったです」と応える私。でも、「これって卵とか使っていないんですか?」という言葉も一応添えてみた。

「うん、使ってないよ。牛乳と生クリームだけ」とお父さん。なるほど、シチューは牛乳と生クリームでできているのかと深読みしていると、「卵とか、小麦粉とか使うとめんどくさいからさ。俺はこれが楽ちんなんだよね」というふぬけた返事が返ってきた。

ふぬけたと表現したが、正確にはありのままのお父さんの答えというのが正しいので、ちょっと訂正。お父さん、さすがにすみません。

無駄に深読みしてしまう私と、シンプルで添加物など微塵も感じさせないお父さんがきれいに対比できた。

「なるほど、お父さんが作るカルボナーラだからこその味ですね」と伝えると、なぜかお父さんは嬉しそうに笑っていた。

「またきますね」お金を払って私は店を後にした。ここは、喫茶をはじめてこの道45年のお店。エモい文章を書こうと思って意気込んだものの、お父さんのそのままを伝えた方が、お店のよさが伝わるんじゃないかと思って、事実をほぼそのままを書き留めた。

メニュー名を、飾らないカルボナーラに変更した方がいいんじゃないですか?といつか伝えに行こうと思う。

事務所から歩いて5分。これがリアルな私のお昼事情でした。ちなみにこれは、エッセイとやらに分類されうるのでしょうか。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!