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古代オリエント 番外編

こんにちはLandです!
今回の記事では、古代メソポタミア、エジプト文明における文化と
地理的な結びつきについてお話していきたいと思います。
短い範囲ですがぜひご覧ください!


今回の話と関連が深いため、こちらの記事もぜひご覧ください。


オリエントの文化と地理的要因

古代メソポタミア(シュメール人が支配していた時期)では
太陰暦や占星術が発達し、文化的にとても高度な文明だったと言えます。
古代エジプト文明では太陰暦の反対に太陽暦が発達したわけですが、
同じオリエントでなぜこのように変わっているのか。
それは地理的要因に関係してきます。

※この話に関しては諸説があります。
ですので例えば、
受験勉強でメソポタミアやエジプトの文化を覚える時
理屈を知ってる方が分かりやすいから覚えておこう、
受験勉強以外にも雑学として知っとおこう、
などといった視点で話を聞いてもらえれば幸いです。


エジプト

エジプト文明がどこに位置していたのか。
それはエジプトのイメージからも分かるように砂漠です。
砂漠では、日中の暑さが40℃を超えるのに対し、夜間の気温は0℃まで下回ります。寒暖差が激しく、また物影などが少なく見渡しが良すぎます。
ですので、敵の立場からすると攻め込みにくいとうのが特徴的でした。
敵から攻め込まれにくいと言うことは夜はぐっすり眠れると言うことです。
夜ぐっすり寝た後は、昼間にしっかりと働く。
昼間に活動が盛んであり、なおかつ雨が全く降らないからこそ太陽と嫌でも行動を共にする時間が増えていきました。


エジプト文明はナイル川の近くで栄えますが、問題点が一つありそれは定期的氾濫を起こし、大洪水をもたらすということです。これには頭を悩まし、
この大洪水をどうにかする術はないのかと考えた末、エジプトの民はあることに気が付きます。それは、太陽と長く時間を共にしてきたエジプトの民であったからこその気づきでした。 
 
太陽がある動きをする時に決まってナイル川が氾濫している、、、?

この気づきからエジプトの民は徐々にナイル川の氾濫時期をを予測できるようになり、反乱する時期には農業を撤退し避難することでナイル川とうまく付き合っていくことができました。
これが太陽暦発達へと繋がっていくのです。


メソポタミア

メソポタミアはエジプトとのように砂漠がある場所で栄えたわけではありませんでした。むしろ肥沃な三日月地帯と呼ばれる栄養に富んだ土地を狙って敵に攻め込まれることがありました。
そうなるとエジプトのように夜中にうかうか寝ていられません。
夜に起きていなければいけないメソポタミアの民たちは、
嫌でもお月様や星空と共に時間を過ごすことが増えました。

そんな中、メソポタミアの民がいつものように夜中見張りを行っていると、

月の満ち欠けって規則的になってる、、、?

これが太陰暦発達へと繋がります。
また、星空が見えることからその星を線で常げて星座が生まれ、
占星術へも発展していきました。


終わりに

冒頭でも述べましたが、この範囲には様々な諸説があります。
ですので、このような説もあるのだなという気持ちで見てもらえたら幸いです。理屈を抑え理解することは暗記のしやすさにも繋がるので是非これからの勉強に役立てていってください。
ありがとうございました!

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