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言語以外のコミュニケーション

  こんにちは、Mikiです。自己紹介はこちらから!
  私は中文、英語、韓国語、スペイン語、手話、、、と色々と言語を学んでいるのですが、その言語でコミュニケーションを取る時、もどかしく感じることが多々あります。
  単語がわからなかったり、母語と同じ表現がなかったり。そもそも母語の日本語でさえうまく言えないことも珍しくないです。
  それでも相手に伝えたい時、相手の意図を感じ取りたい時、みなさんはどうしますか?
辞書で調べる?翻訳機を使う?
最近は便利になってきましたが、まずは身振り手振り(≠手話)で伝えるのではないでしょうか。すなわち『言語以外』を使うのではないでしょうか。
  今回はそういった『言語以外でのコミュニケーション』について、私がこれまで経験してきたことと最近思うこととを文章にしてみようと思います。

そもそもコミュニケーションとは

そもそもコミュニケーションとは意思疎通のことです。
自分の想いを伝え、相手の想いを感じる。
そういうものだと思っています。

  この『コミュニケーション』は大きく言語と非言語に分けられ、実は非言語の割合が圧倒的に多いとされています。まあ確かに生まれたばかりの赤ちゃんは言語ではなく泣いたり笑ったりして気持ちを伝えようとしていますよね。
  私は多言語を学んでいてnoteで思っきし言語を使って文章を書き、言語のコミュニケーションばかりをしていますが、一体どんな非言語要素があるのか振り返っていきたいと思います。

非言語要素とは

ここで言う非言語要素とは、
視線、表情、仕草、声、息遣い、間、匂い、体温といったものです。
例)友達との会話
大学の講義が終わり、お昼ご飯を食べる場所を相談する場面。
私は友だちに話しかけます。
「お昼どこで食べる?」
友だちは講義資料を仕舞いながら答えます。
「食堂にしようか。」
友だちの目線は講義資料を仕舞うリュック。私は食堂に目を向けて答えます。
「人多そうだよ。」
友だちは顔を上げ食堂に目をやり表情を曇らせます。
友だちはため息をつき、私は
「次の講義の教室行かない?」
と提案。友だちはしばらく考えた後
「うん、じゃあお弁当買ってくるね。」
と少し悲しそうな声で答えました。

「」が言語、この太字部分が非言語要素にあたります。もう一つ例を見てみましょう。

例) 食事中の会話
家族4人で夕食を摂る時。
「いただきます。」
弟はまずメインのお肉に箸を伸ばします。それを見た私はサラダから。父はお酒を一口。母は友だちと出かけた時の話をし始めます。
「この前○○に行ってね…」
私は相槌を打ちながら母の話を聞き、父は母の説明を切れ目切れ目で要約し、弟は私や父と被らないように相槌に参加します。
話をしながら箸が進んでいない母に父が料理を取り分け、それに気付いた弟が料理にかける醤油を取りに冷蔵庫へ。私は
「ついでにケチャップもお願い。」
弟は何も言わずケチャップが入っている扉を開けて取り出します。
私はその音を聞いて
「ありがとう。」
弟は
「はい。」
と言いながらケチャップを渡してくれます。

文字にすると大変ですね笑
  もちろん基本的には言語を使うのですが、話を聞くときにどこを見ているかによって声のトーンや大きさを変えたり、相槌を待ってから話したり、話し手の表情を見て反応を変えたり、言語以外の要素が溢れています。

  しかしコロナ禍でこうした非言語要素あふれるコミュニケーションが激減し、私は…病みました😇

コロナ禍のコミュニケーション

  この時期の私は大学4年生で、親元を離れた一人暮らし、就活、卒論、教育実習とイベント(?)盛りだくさんでした。なのに授業はオンラインになるし、安い物件だったのでエアコンがない部屋で作業しなきゃいけないし、卒論も全然進まないし(これはコロナと直接関係ないですが)…
ただでさえ大変なのに世の中の生活様式が一変してますます大変になって…全国の大学4年生の皆々様(特に教育実習ある方)はいったいどうやって病まずに過ごせているんでしょうか。

まあともかく、
就活、卒論、教育実習、コロナ禍と三重苦ならぬ四重苦だったわけです。

非言語要素はどこ?

  そんな四重苦の中、私にとってコロナ禍でのコミュニケーションは非言語要素が無さすぎてとても辛かったのを覚えています。※もちろんそのほうがよかった場合も往々にしてありましたが、今回は足りなかったものに焦点を当てていきます。

1. テキスト(文字)の場合
  こちらは言うまでもなく言語以外の要素が全然ありません。
強いて言うならフォントでしょうか?ゴシックより明朝体のほうが真面目な感じがする、手紙とかなら文字の形とか筆跡とか。
(そういえばゼミの先輩が、「LINEのフォントを可愛いものにするとキツイ言葉もダメージ少なく感じる」と処世術を教えてくれました)

でも文字通りの意味しか伝わらないので全然足りない!!声が聞きたい!!顔が見たい!!では声も聞けて顔も見れるWeb会議ツールではどうでしょうか?

2. ZoomなどWeb会議ツールの場合
  テキスト(チャット欄)に加えて、音声が追加されます。声色とか高低とか。カメラオンにすれば表情も見えます。
  一見問題なさそうですが、非言語要素はまだまだ足りません。例えば『間(ま)』。どうしてもタイムラグが発生するので、自分には同時に言ったように聞こえても相手はそうじゃないかもしれないし、急に黙ってしまって傷つけたかな…?と心配になっても実は回線の影響で画面が止まっていただけだったり。そのため『間(ま)』を感じ取るのは至難の業です。
  あと盲点なのが身長。大抵肩から下は見えないので想像できません。私は面長なのか初めて対面で会った人に「意外と小さいんだね」と言われたことがあります。とても傷つきました😇気にしてるんだよ!!!

では対面ではどうでしょう?

3. 対面の場合
  テキストの言語、オンラインでの声や表情に加えて、息遣い、間、(カメラ外の)仕草、匂い、(触れた時の)体温
ありとあらゆる非言語要素があります。

  コロナ禍になって、対面で会う機会が減っていって(なんなら自粛しろという風潮で)、『言語化できないこと』を蔑ろにしてしまっていた自分がいました。先に書いた『友だちとの会話』『家族との食事』のような対面のコミュニケーションが激減したことにより、私はあらゆる感情を『言語』にしなくてはならなくなり、『言語』で表せない感情を外に出せなくなっていったのです(今思えば)。
  もちろん言語化が悪いわけではなく、言語を介すことで認識をすり合わせたり、ある意味"正確に"やりとりすることができます。
  私はもともと思考を言語化して整理する習慣はあった(のでnoteも性に合っている)のですが、言語化できないものってこの世にはたくさんあります。
例えば親に面と向かって「愛してる」なんて恥ずかしくて言えないけど、たまにプレゼントを贈ったり、他愛もない話を楽しそうにしたり、そうやって伝える「愛してる」もあるわけです。

非言語の重要性〜言語を使うからこそ~

想いを言葉にする
それはとても素敵なことだし、大事なことだし、言葉にしなきゃ伝わらないことだってあります。でも一方で、言葉ではどうしても言い表せないもの・こともあると思うのです。そういったものを『言語』だけではなく
視線、表情、仕草、声、息遣い、間(ま)、匂い、体温
のような非言語的なものからも感じ取りたいし、伝えたいし、言語だけでないコミュニケーションをもっともっと大事にしたいなと思うのです。

言語は大切。でも全てじゃない。

言語化が習慣になっているからこそ、言語をたくさん学んでいるからこそ、言語以外に目を向けるのって大事だなと思うのです。

言葉にならないこと、言葉にできないこと、言葉が出ないこと。
自分の、相手の、どんな想いも気持ちも感情も大切にしたい、
そう思うのでした。

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