台湾人になりたかった(5)父の中文
こんにちは、Mikiです。
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台湾人になりたかった(0)自己紹介
台湾人になりたかった(1)母に中文で話してと頼む
台湾人になりたかった(2)台湾短期留学
台湾人になりたかった(3)祖母の葬儀
台湾人になりたかった(4)鏡映しとの出会い
LINEを使った作文
船から降りた私は復学し、就活に卒論に教職課程に忙しい日々を過ごしていました。
そんな折、地球一周の船旅で私が中文に自信をつけたこと、中文を学びたいという父の意向もあったことから、父とのマンツーマン中文教室が始まりました。
大学の友人に中文の教科書を借り(私の第二外国語は韓国語だったので…)、1日1節進め、例文をいくつか作ってもらいます。中文教室とはいえ私は復学して再び実家を離れたため、LINEを使ったものでした(今思うと結構スパルタ)。
文法表現や意味を送り、いくつか例文を作ってもらいます。
例えばこんな感じ(長いので雰囲気だけ感じてもらえれば…)
※私の指摘が間違っていたり、父が合っている場合もあります
父との衝突
やりとりは数か月ほど続きました。やりとりが続くにつれ、だんだん父の傾向が分かってきました。以前間違えたところをまた間違える、メッセージをさかのぼればヒントがあるのに見ていない。
1日1通、毎日のように問題を送り、答え合わせをするのは正直かなり大変でした。
私は中文母語話者ではないし、中文の先生でもありません。人にものを教えるというのはそれなりに苦労します。
実は教科書を借りた友人にもちょくちょく教えていたのですが、この友人は英語が堪能で語学センスもあり、飲み込みが早かったのです。友人と父を比較していた節も否めません。その友人から、
「普段は自分みたいに語学に興味があってある程度知識というかセンスがある人に話してるから、お父さんがそうじゃなくてもどかしく感じちゃうんじゃない?」
と言われ、ハッとさせられました。
それもそのはず。
父と私では言語への触れ方がまるで違うのです
父は日本生まれ日本育ち、英語が嫌で英語の試験がなかった会社に勤めます(なぜか今ではTOEICで高得点を取っていますが)。その後母と出会うものの、母は当時から日本語ができたので基本的には日本語で会話。現在も日本に住んで生活しているので中文を使う機会はほぼありません。
特に父は「先生」に教わった経験がありません。いわゆる「自己流」。参考書を買って付属の音声を聞いたりしていましたが、ノートに書くわけでもなくピンインの読み方もあやふや(今はどうか分かりません)。父は繁体字にこだわっていたため適切な参考書を探すのも難しく(簡体字の参考書のほうが圧倒的に多い)、私からすればいつまでも言い訳ばかりで、勉強しても合ったやり方見つけられていないから非効率では?ともどかしく思っていました。
そんな私はほぼ日本育ち、幼少期から母や親戚の中文に触れます。英語の知識も活用し中文を伸ばし、ことばに強い関心を持つようになり、台湾短期留学などで「先生」に教わった経験もあり、さらに中文が伸びていきます。
家族とはいえ生まれも育ちも全く違うのに同じようにできるわけがありません。
拗ねる父と呆れる母との間で板挟み
またこの頃は私と母で中文を話をすると、父はその内容が分からなくて拗ねるようになりました。子どもか。そしてそんな父について母は中文で私に愚痴ります。
父も母も大好きなのに、どちらの味方もしたくないのに…
私は両者の間で板挟みになってしまいました。
私が母と中文で話せば、父は拗ねる
父と日本語でばかり話せば、母は愚痴る
父の気持ちは分かります。でもそんな拗ねるなんて感情は私がとっくのとうに感じてきた気持ちなのです。
台湾の親戚の集まり、飛び交う中文、楽しそうな母や伯父にその友人たち。
そこに混ざれずどんなにつまらなくてどんなに寂しかったことか。私はとにかくその会話をずっとずっと聞いて、ちょっとずつちょっとずつ分かるようになってきて、笑うタイミングがようやくみんなと合ってきて。自分がしてきたそういう苦労、せざるを得なかった苦労を、嫌がって・拗ねて・むくれるなんて
そんな風に思ってしまうのでした。
だから母の気持ちも分かります。でも私にばかり愚痴らないでほしい、大好きな父の悪口を大好きな母から聞かされる身にもなってほしい。
そんなこんなで父も私も疲れてしまい、数ヶ月続いた中文教室はやめることになりました。
私には私の、父には父のペース
私は中文の先生ではありません。ちなみに母も先生ではありません。父は最近では簡単なことを少しずつ中文で話すようになっています。あんなに発音が直されるのが嫌で頑なに話さなかったのに。私には私のペースがあったのと同じように、父には父のペースがあるのです(にしたって結婚してから二十数年経ってるんだけどなあ…)。父に私みたいな苦労をしろとは言えません。それは父の問題だから。
その頃ちょうどみんな卒論も最終段階。ある友人に"ハーフ"についてのインタビューをさせてくれないかと頼まれたので喜んで受けます。そしてインタビューで話していくうちに、ハーフ、母という単語が頻出することに気付かされていったのです。
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