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外国語上達も「訓練とルールとリハーサルで決まる」

しばらく外国語上達にまつわる「都市伝説」シリーズにしようと思っていましたが、読んでいた本で、偶然、外国語上達の本質をずばりと突いたくだりに出会いました。どおりで文法と語彙だけでは、使えるようにならないはずです。

外国語を読むのも、聞くのも、書くのも、話すのも、いつもとっさの判断の連続です。いざしゃべろうとしても言葉がでてこない、間違った単語、用法を使ってしまうとか、逆に、試験で散々迷って選んだのに不正解で、最初にパッと浮かんだ方が正解だったなんてことは、あるあるです。

では、なぜ、上級者は短い時間で的確な判断が可能なのでしょうか?

これに対して、外国語ではありませんが、熟達したプロは、ほんの1、2秒で適否を正確に判断できると、"blink  The Power of Thinking Without Thinking"のなかで、マルコム・グラッドウェルは述べています(原題の"blink"は「まばたき、きらめき、一瞬のこと」です)。

この本の冒頭で、熟達したプロたちが、「古代」ギリシア彫刻の真贋を一瞬で見抜くエピソードは非常に印象的です。そのほかにも例を挙げるなかで、複数の役者が即興芝居でやり取りをするには、ルールをもとに、訓練を繰り返し、リハーサルで入念に確かめる必要がある、それは即興芝居がいくつかのルールが支配する芸術だからだ、と言います。観客が思うような、ぶっつけ本番のアドリブではないのです。

また、米軍の非常に大規模なシミュレーション作戦訓練で、巨大なデータベースとコンピュータと精緻な戦略理論で武装した青チームでした。が、通信回線が切断されれば、メッセージをバイク便、もしくは祈りの言葉に紛れ込ませて伝え、管制塔が破壊されれば、第二次世界大戦ばりに、照明弾を使って夜間離陸させて、臨機応変に即応し、奇襲攻撃を仕掛けた赤チームに青チームは完敗します。

ポール・バン・ライバー率いる赤チームは青チームより頭と運が良かったからペルシャ湾で勝てたわけではない。重圧にさらされた動きの速い状況で、瞬時の認知によっていかに正しい判断を下せるかどうかは、訓練とルールとリハーサルで決まる。

「第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい」(マルコム・グラッドウェル著、光文社、2006年)

外国語が上達することって、どういうことだろう?といつも気になっているのですが、結局のところは、「第1感」で的確な判断ができるようになることなのだと、妙に腹落ちしました。外国語の上達に関してあてはめると、たぶん、こういうことかと思います。

まず、外国語上達のための古典ともいえる「外国語上達法」(岩波新書、1986)で、千野栄一先生は、外国語の上達に必要なのは「語彙と文法」と言い切られており、これは一面の真理です。

ただし、語彙も文法もその言葉の「ルール」にほぼ相当する不可欠なものにちがいありませんが、これだけでは十分ではありません。第1感で、瞬時に的確な判断ができるようになるには、さらに「訓練」と「リハーサル」が必要となるからです。

よく聞く「文法をやってもできるようにならない」との批判は、部分的には正しいです。が、できない原因は「訓練」と「リハーサル」が欠けている点にあります。文法そのものが問題ではありません(やはり、大前提として不可欠なものです)。なお、英文法、英単語に関して言えば、長い歴史的経緯から、仏、西、伊、独など他の西ヨーロッパ主要言語に比べて格段に難しいという特殊性がありますので、これが「文法がやってもできるようにならない」との誤解に拍車をかけている事情もあります。

人気即興芝居の役者たちや、赤チームの司令官のように、瞬時に的確な判断と行動ができれば、とってもカッコイイです。が、そこに近道はなく、訓練とルールとリハーサルがあってこそです。

外国語の上達に近道はありませんが、王道はあります。そして、的確な努力は必ず実を結びます。ただ、必要性について腹落ちせずにやらされて、身につくことはありません。学校英語では、なぜ文法が不可欠なのか納得がいくような説明はなかったはずですが、ひとつの回答は「瞬時の的確な判断に必須だから」です。その上で「訓練」と「リハーサル」を繰り返すということが、第1感で適切な判断が行えるようにようになるための道筋です。

では、具体的にどうすればいいのか?について、少しずつ記事を書いていきたいと思います。

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