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外国語習得と年齢に関係はあるのか?「臨界期仮説」の神話

外国語は子どものときからやらなければマスターできないのでしょうか?
今回の記事では、外国語を身につけるのは、おとなになってからだと手遅れなのか?やはり、子どものころから、早く始めるしかないのか?についてとり上げます。

もはや小学校からは当たり前、幼稚園から英語漬け?

まず、世の中の状況を見ますと、2020年度からは「英語」が小学校の5年、6年の教科として成績が付くようになりました。これまで5年、6年でやっていた「英語活動」は、さらに3年、4年に下がり、小学校によっては、1年生から英語を始めるところもあると言います。小学校ばかりか、もっと早く、幼稚園や保育園のなかには、英語で保育を行うことを「売り」にしているところもあります。

もちろん、ふつうに考えると、一生を日本で暮らすほとんどの日本人にとっては、母語である日本語の力を十分につける優先順位が高いはずです。

しかし、このように英語の学習開始が早まっている背景には、「おとなになって英語で苦労させたくない」「英語を早くから始めるほど、ペラペラになる(はずだ)」と考えている親御さんが多いということもあるでしょう。

では、なぜ、英語の学習開始が早ければ早いほどよいと考えるようになったのでしょうか。そういう根拠は具体的にどこにあるのでしょうか?

子どもは母語の獲得を失敗しない「臨界期仮説」

まず、子どもが母語を覚えることについて失敗することはほとんどない、という分かりやすい事実があります(言語障害などがある場合を除く)。これに比べると、思春期以降に外国語を習得することは、多くの人にとってかなりハードルが高いという実感があるでしょう。実際に、多くの人が、中学以降に英語で苦労したという経験がさらに追い打ちをかけます。

これを、まさしく裏打ちするような研究が、外国語学習の「臨界期仮説」です。

この「臨界期」という言葉は、1967年にレネバークが論文の中で使用した用語です。レネバークは、脳損傷により失語症になった患者が言語を回復した過程を調べた結果、思春期を超えて失語症になった場合の回復は皆無だとして、それ以降は母語話者並みの言語習得が難しくなる時期として「臨界期」(critical period)という考え方を提唱しました。

すなわち、外国語習得には、その時期を過ぎると学習が不可能になる時期があり、おおむね思春期のはじまり(12、13歳)までである、ということになります。そして、この考え方を支持するデータが、1970年代から1990年代初めにかけて数多く報告されました。多くは、発音面、文法面ともに、おとなの学習者は母語話者に劣るという結果となっています。

そして、このような臨界期が生じる理由について、神経生理学、もしくは情報処理理論的な説明もされています。なにか、科学的で、ほんとうっぽく見えますね。

したがって、この「仮説」の影響力は非常に強力です。これが、小学校での英語の導入や幼稚園・保育園での英語保育につながっていくことになります。

「ヨーロッパの父」カール大帝

ここで話題を少し変えて、世界史へと寄り道をさせてください。

4世紀以降のゲルマン人の侵入により西ローマ帝国滅亡後、8世紀後半から9世紀初めにかけて、混乱した西ヨーロッパを平定した英雄が、カール大帝(Karl der Große、742? - 814)です。カール大帝には、このほかに「シャルルマーニュ(Charlemagne)」「カロルス・マグヌス(Karolus Magnus)」と複数の呼び名がありますが、それは、現在のドイツ・オーストリア、フランス、イタリアを平定し、ドイツ、フランスのそれぞれで建国の英雄とされているからです。イタリアは、ローマ教皇への貢献ですね。800年のクリスマスに教皇から直々にローマ皇帝の戴冠を受けます。

実際に、大帝は、自身の46年間の治世の間に53回の遠征をおこなっています。転戦に転戦を重ねた武人です。一方で、戦乱で荒廃した王国内に文学や芸術を復興しようともしました。これがカロリング・ルネッサンスです。また、王自身は、最初、文字の読み書きができませんでしたが、毎晩、就寝前に石板で字の練習をしたと彼の家臣が記録しています。このおかげもあって、ラテン語は自由に話ができるように、また、古代ギリシア語は聞いてわかる程度まで上達したと言います。

そして、大帝は、こんなことを言っています。

« Avoir une autre langue, c’est posséder une deuxième âme. »
「ふたつめの言語を持つとは、ふたつめの魂を持つことだ」

(Karl der Große、742? - 814)

遠征の傍ら地味に手習いを続けた、あくなき執念の源をうかがわせる言葉です。多忙な大帝にとってラテン語と古典ギリシア語の習得は、実用的な目的以上の理由がありました。そして、私自身、40歳を過ぎていくつか外国語をやった今、カール大帝のこの言葉に共感できるというか、ちょっと胸熱です。

800年にローマ法王から戴冠を受けた際には、すでにラテン語の習得も進んでいたことでしょうから、この歴史的な場面で、法王とカール大帝がラテン語で直接会話をしているなんて、ドラマです。

「臨界期仮説」への疑問

さて、話を戻しますと、盤石のように見えた「臨界期仮説」も 1980年代の終わりのころから、「臨界期」という考え方に疑問を呈する研究が増えてきました。というのも、現実には、おとなになって外国語を始めたのにもかかわらず習得に成功した人たちが一定数存在しており、このことを説明できないからです。

カール大帝を紹介したのは、「臨界期仮説」を覆す典型的なケースだからです。カール大帝だけではありません、ギリシア神話のトロイアが実在したことを証明したシュリーマンも、大学卒業後に日本語を含む16言語をほぼ独学で習得したロンブ・カトーも、ドイツ人よりもドイツ語ができると言われた関口存男も「臨界期仮説」にあてはまりません。

実際に、1980年代の終わりのころから、研究の潮目が変わります。「臨界期」という考え方に疑問を呈する研究が増えてきました。

「臨界期」は絶対的なものでなく「敏感期」かも、、

こうした現状を受けて、絶対的な「臨界期」という考え方ではなく、外国語をマスターするために「効率的な」期間は、たしかにあるけれども、この時期を過ぎても外国語をネイティブレベルまで習得可能である、という研究が現れるようになります。この外国語マスターに効率的な期間のことを「敏感期」と呼びます

年齢が外国語習得の成否に影響を与えるファクターのひとつではありますが、また、あるとしても、いまは「敏感期」にトーンダウンしているということになります。さらに、おとなにとってうれしいことに、「敏感期」の後でも、発音・韻律の面において、訓練のやり方によっては、母語話者並みの能力が習得できる人が45%もいるという研究もあるそうです。

まあ、ちょっと常識的に考えれば、新しい外国語を身につける成否を左右するのは、なにも年齢だけではありません。それ以外にも、高い動機づけや習得への態度、学習のやり方、適性、その外国語を使用する機会・環境など、様々な要因が影響を与えうることが容易に想像ができます。

このほか、そもそも母語の獲得と第二言語の習得を同じように考えてよいのか?とか、子どもの成長の観点では、母語が確立する前に第二言語を並行させる影響はどうか?についても考えなければいけないかもしれません。

結論は、おとなでも外国語習得は手遅れでないということ

たとえば、「よりよい外国語学習法を求めて」(2003、松柏社)外国語の習得に成功した人たちについて研究している竹内理先生は「確かに外国語習得は”the earlier, the better”ではあるが、ある一定の期間をすぎても”paractically impossible”では決してないことは、もはや紛れもない事実」であると結論付けています。

言い換えると、高い動機付け、訓練への態度、適切な進め方など他の条件を確保すれば、おとなになっても、外国語についてかなりのレベルまで上達する可能性が残されています。そして、竹内理先生は、「失敗例ばかりを強調し、なぜ習得できないかを研究するより、成功例を見て、どのような訓練方法や認知的、社会的、情緒的要因が貢献したのかを解明する方がよい、との考え方が脚光を浴びるようになっているのも、当然」としています。

人生100年と言われる現代、「臨界期」もしくは「敏感期」より先の人生はあまりにも長すぎます。「臨界期」とは人生100年のうちの最初の十数年でその後が決まってしまうと言っているようなものです。むしろポジティブに、残りの90年弱の間に、成功例を参考にして、できるだけ効果的に上達できないかなと私自身は考えています。

また、小さいお子さんをお持ちの方であれば、「臨界期」は絶対でなく、したがって英語の早期教育は、絶対ではありません。これは外国語だけの話ではありませんが、お子さんの関心の方向性や、モチベーション、訓練方法、環境などさまざまな要因によって挽回可能ということです。

さて、引き続き、このブログ記事では、成功例をもとに、外国語上達を成功させるものはなにか?について前向きに探っていきます。

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