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音楽のプルースト効果(バインセオ/LARUE/深夜のバンコク)

誰かが言っていた「今、手元に現金が全然ないんだよね」というのは幸せな状態なのだろうか?
東京からホーチミンに向かうフライトの機内で、窓の外の雲をぼうっと眺めながらふと思い出した。

はじめ、その誰かが言っていた「手元に現金がない」という意味を私は正確に理解していなかった。私は、それを「財布の中に紙幣とコインが無い」という意味だと思ったのだけれど、その人が意味してたのは「稼いだお金は株になったり積立貯蓄になったりで、『今すぐ銀行からおろせる、通貨として使える資産』が無い」という意味だった。

私は資産運用とか、そういう類のものにひどく疎いので、長期的に考えればそれは理想的な状態なのかもしれない。けれど、そういうことをやりすぎて今の生活がカツカツになるのは本末転倒では?と思ってしまう。

短絡的で快楽主義的な私からすれば、いつでも「今日のご飯奮発しちゃおう」とか「来月海外旅行しよう」と思える状態の方が幸せだ。

ところで私はなぜこんなにも海外旅行が好きなのだろう。

(使い古されたフレーズだが)私は外国に行って、新しいことを見たり聞いたり、日本と全然違う!と感じるのが好きだ。

でも、新しいことを見たり聞いたりというのは別に外国へ行かなくても体験できる。それでも「国境を超えること」に拘りを持っているのはどうして?考えているうちに、しばらく一面東シナ海だった窓からフィリピン?島が見えた。

私が海外旅行を愛する究極的理由は、「郷土愛の解像度が低いから」だという結論に至った。私は宮城県で生まれ、神奈川県で育った。どちらも「ほどほどの都会」「中産階級用のベッドタウン」という感じで、大した特徴もない町だ。地元に対して、特段悪い思いでも良い思い出もない。

私が唯一帰属意識を感じられるのが「日本で生まれ育った」ことなのだと思う。"郷土"の定義を国まで拡大してようやく私は自分のアイデンティティを認識し、自己と他者を、既知と未知を比較できるのだ。多分。

ホーチミンには、2時間近く遅れて到着した。
わざわざトランジットの回数を増やしてまでベトナムを経由したのは、どうしても本物のバインセオを食べてみたかったから。

生地は揚げ焼きにした薄いクレープのような食感で、餃子の耳が大好きな私には夢のような食べ物だった。
オムレツのようにお行儀良く、フォークとナイフで食べるものかと思っていたのだけれど、箸で切り分けてから色々な草で包んで手で食べるのが正しい食べ方だった。

食べ終わってお会計をお願いすると「Because you ordered large one…」と言われてどんなに高価なんだと怯んだけれど、たった47,000ドンだった。

結局、この日買ったものの中で一番高かったのはホーチミン空港でバンコクへのフライト直前に買ったLARUEという4米ドルのベトナムビールだった。

東南アジアのビールらしく水のような、あまり印象のないスッキリした味だった。東南アジアで外食すると、"アルコールドリンク"はほとんどビールと同義だ。よくもまぁそんなにビールばかり飲めたものだと思うけれど、こんなクリアなビールに氷まで入れて飲むのだから、軽さで言ったらハイボールと大差ないかもしれない。
舌バカだから全部のベトナムビールが同じ味に感じてしまうな…そう思ったのだけれど、LARUEを飲み込んだ瞬間、ハチミツのような、カラメルのような、濃くて甘い後味に激突した。

バンコク行きのフライトには、ヒッピー風情の欧米人ばかり乗っていた。
"ヒッピー風情"の男は決まって長髪。そこらの土産物店で買ったのだろうヘンプのセットアップ。衣類もヘンプ、吸うのもヘンプ。カバンも帽子もヘンプ。ヘンプヘンプヘンプ。麻を絶ったら罰を食らうゲームでもやっているのだろうか?そして何より、彼らは果てしなく五月蝿い。異様な明るさで初対面の人に話しかける。太陽のごとき存在感で場をまわす。

でも私は"ホンモノ"を知っている。
ネパールで見た"ホンモノ"の人たちは、現地の人と同じヨレヨレのTシャツを着ていた。影のように陰鬱で物静かだった。

バンコクに着いた頃には既に日付が変わっていた。
こんな時間に配車アプリで呼びつけたタクシーの運転手は、カリカリだけど活気と愛嬌のあるおじいさんで、ケイティペリーのBirthdayを流しながらホステルまでぶっ飛ばしてくれた。

ナビに嘘をつかれて袋小路に辿り着いてHooy?!と連呼していたのが可愛くて、今でも声に出してマネしている。

よく「匂い」が過去の感情とリンクすると言うけれど、音楽にも同じ作用があると思う。

私は故意に、この”音楽のプルースト効果”を強化もする。
(これは強化であり、想像であってはならない。なぜなら、偶然聞いた脈絡のない音楽であるほど、その時の状況も感情も強く想起されるから。)

ようやくホステルに着いて、Birthdayを流しながらシャワーを浴びた。

これを書いている今はもう日本に帰ってきてしまったけれど、Birthdayを聞けばあの日見た午前1時のバンコクの路地裏も、1日で3ヶ国を味わえた優越感も、今日から旅が始まるという人生で最も愛でるべき高揚も蘇る。

幸せな思い出のカプセルは人それぞれ。ただ、重要なのはいつでも簡単に開けられるようにしておくということだ。

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