STEAMに至った動機 学生〜会社員時代の話 中盤
さあ大学生〜新卒編です。
大学生になりまして。
無事国立大に入るという目標はなんとか達成できたので、農学部でバイオ関係に進むことになりました。
人生初めての不審者と遭遇という、入学式直前でイレギュラーイベントが発生したためにこれまた人生初の運動部に入ります。あまり護身術としての武道ではなかったので後でガックリしたのですが・・・
そして向学心はあまりないので成績もぼちぼちで進学していきます。
部活がなまじ忙しかったのでバイトが継続して入れるものがなくて、この時単発バイトを色々とやりながら家庭教師だけはずっと続いたんですね。
教えるのが面白い、というのと小学校や中学校の時悩んでいた自分と重なったのかなと思います。高校生は流石に受け持てませんでした。
そして研究室で遺伝子組み換えの実験やら微生物の培養やらもしていました。最近のコロナ鑑定のPCRが時間短縮したカラクリがわからず、驚いています。
PCRは大学のときよくやってました。1検体につき5時間近くかかってたな。
そして目に見えないものを扱う、そして微生物も生き物なので生き物に沿った生活スタイルになることに徐々に嫌気を覚えていきます。例えば継続実験のサンプリングに深夜に大学に行くとか。(片道6kmあるのですが夜中に一人自転車で)
自分何やってんだろ、って思ってました。
バイトと実験とやっていると3回生入る直前ぐらいで仕送りがストップして、あまりにもお金がない時は1日おにぎり一個で1週間凌いでいました。
加えて部活は休むなという暗黙ルールがあるのでゴーゴー週3で動きます。この時の消費カロリーはおおよそ3000ほどでした。計算したら。
通学で往復12kmの自転車
部活で4時間動きっぱなし
し、死ぬ・・・。
という生活を送っていながら、進路のことも気がかりに。
最初は研究職も考えましたが、こんな微生物にライフスタイルを崩されるというのが嫌になる。
そして家庭教師はずっとバイトの中でも続けることができ、面白さもあったので教育業界に興味が湧きました。
けれども、既存の学習塾はなんだか私が欲しい回答を持ち合わせていない気がした。というのも受験特化で実用性が乏しいものがほとんどであったため。またその部分を補うプロフェッショナルではなく、受験対応のプロフェッショナル集団であったため。です。
そんな中で薄ぼんやり起業をしたいという思いも出てきました。
そして起業について調べると当時は資本金が300万いるとか、会計ソフトあまり浸透していないので簿記がいるとか書かれていたので、大学3回生の時に簿記2級を取りました。
ハードワークでした。
卒論実験
バイト
簿記勉強
簿記の試験も2、3級それぞれ3ヶ月ほどの学習時間で取ったので、かなり追い込んでいたと思います。
もちろん体重も激落しました。
けれども同じ部活に病的にストイックな人がいまして(減量のしすぎで生理が半年くらい止まるなど)、加えて自分の所属する研究室の大半の生徒が母子家庭や離婚歴がある家庭などなど。金銭面や生活で苦労した生徒が多かったので、自分なんかまだまだぬるい。という意識で踏ん張れました。
やっぱり努力する時の環境ってすごく大事ですね。本当に。多分のほほんな感じの人に囲まれてたら楽な方に私も流されていた可能性が高いです。
起業だ〜と中途半端に舵きりしてしまったために、就職活動で進んでいた選考を全て辞退して、無一文状態でゼロスタートです。
親にこっぴどく怒られます。
そして奨学金の負担もあったので、余計にです。
私も途中で学生が起業するのは無謀すぎるかな・・・。と色々と理由をつけて辞めてしまいました。
そして教育、特に塾業界は離職率が介護職を抜いて51%でした。
諦める判断材料としては十分でしたので、また0からです。
残念すぎる就職活動ですが、途中で自分は面倒になり(すごく面倒くさがりなんです、短期集中しかできないタイプだったので就職活動もとっても不向きでした。)
適当に地元の事務職につきます。
人としてみてない職場
地元の介護事業の事務職に就職したのですが、えええって思うようなことばかりでした。
まず(職員や人員が)要らなくなればポイといった発言を経営陣から聞きます。加えて労働条件に関するサイト記載が年度替わりのタイミングで大きく変わりました。特に連絡は受けていません。休日日数が減っている、給与形態がバイトと変わらないなどなど。
要するに適当に選んだが末にブラックなところに入ってしまいました。
そして辞めることになるのですが、当時仕事を教えてもらっていた先輩社員さんが妊娠しまして。上司が「流産させようとしている?」というような業務の振り方をするのです。
実際のところその人の前に妊娠して仕事を辞めようとした方がいましたが、こっぴどく叱咤され、業務負荷をかけて過度なストレスを加えられていたそうです。そして胃潰瘍、流産となったそうです。
また現場レベルではサビ残がかなり横行していたので裁判沙汰になったそうですが、法人側が勝訴。といったことも。
自分は事務職だったので人づてに聞いた話です。そしてそんな環境に身を置いていることも嫌気がさして辞めることになります。
この時の決断は間違ってなかったなと思います・・・。そして石の上にも3年は無根拠で無責任な暗黙のルールであると、思い知りました。
理不尽に耐えすぎると、壊れる人を何度も見聞きしてしまったので、無意味に耐え忍ぶということにかなり憤りも感じました。
そしてやっぱり生き物を対象とする仕事は、業種レベルでも工業のように無機質なものに比べて不安定で不規則で大変であると学びました。
教育など今回の福祉、そして自分の研究対象(微生物)。全部ナマモノです。
ということでここにいてもキリがない、得るものは成長ではなくストレスだけと判断したので辞めまして、工業系の方向に進みます。
またまた長くなりましたね。
ということで次は2社目、3社目の経験を話します。
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