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上手い人は何故上手いか?

絵の話なんだけど、お料理でも、運動でも、試験でも。上手い人、成績を残せる人は何故上手いか? という思考を書き残しておきます。

結論は「上手い人が上手いのは理由はある。何もしてないキミが上手い理由は、無いよね?」です。

きっかけ「#印象に残った映画のカット」

なかなか布団から出られなくて、Twitterで、みんなが、印象に残ったシーンを言い合うって言う、面白いタグを見ていた。自分が知っていた映画は、いいとこ2割。ほとんど知らない映画。

でも、その発言者が言うように確かに、おお、これは感動だー!と印象に残るものも多く。自分がいかに、映画を見ていないか、はたまた、感動を知らないかを、知った。

問題の解決には技法書、というトラップ

ところで、自分は、物語をかきあぐねている。どんなラストにすればいいか、何を中心に描けば良いか。出てこない。つまり、「物語を知らない」。

物語が描けないと、自分はどうするか。「物語の作り方」という本を買う。買って、ふーんそうなんだね、って思って、なにも実践しない。本棚に飾る。だから「OOの作り方」的な本がどんどん増える。

絵が描けない人もそうじゃないか?

絵が上手く描けない人は、まず、「上手い」人の絵をどれだけ見て、何をもって上手いのか、を知らない。だから「絵の描き方の本」を買う。そして絵ではなく、正確な〇を描き、そこに正確な十字を切ることに心血を注ぐ。完成イメージなんか、ある訳が無い。

何故かこれでなるほど、と思う。ヘタしたら、自分よりもっと下手な人を見つけて、正確な丸の描き方をレクチャーする。そこからは前述と同文である。

いや、技法書は、正しい使い方をすればそれなりに役に立つ。でも「自分が描きたいものはなんですか?」という問いには答えてくれない。

就職だって、「自分がやりたいものはなんですか?」が無いと、どれだけ休めるか、お給料はどうか?怖い上司はいないか、が選択の基準になる。怖い上司は絶対いる。人間が5人以上集まれば、そのうちの1人が絶対怖い人になる。たとえ、その人が温厚でも、他4人と比較をして、怖い人を産み出す。

話が逸れた。

他者への興味の無さ

つまり、自分を含め、下手な人は「既に上手くいってる人がどうやってるか」に対して、興味がない。驚くほど、興味がない。

自分にしか興味がない。

だから、映画を見ている時間が勿体ない。映画は自分には無関係の話だからだ。他者を研究したり、人間関係の構築=つまり他者を考える、ことに使う時間が全くない。

じゃあ、何にその時間を使っているか? 自分への刺激である。刺激を受けに行くというとなにかほわっとして、良いモノのようにもとれるが、この刺激は、自分のキャパ内の、自分が心地よいとのみ感じる、閉鎖された安心への興味である。

上手い絵も、自分以外を見ている(逆に言えば、上手い絵とは、多くの人を見れる絵ではないか)。でも、技法書は、自分を見てくれている。出来ないキミは、正しいよ、と。だから技法書が好き。

下手な人が下手な理由

絵なら、上手い人はとにかく枚数描いてる。「あなたは何故、そんなに上手くなったんですか?」「いっぱい描きました」「描くの、大変じゃなかったですか?」「いえ、好きな事なので、苦では無かったです」

下手な人は、上手い人の10分の1も描いてない。興味は、自分の絵で人を喜ばす事ではなく、自分が褒められる(誰かの意識が自分へ向かう事)だから、その絵が上手い「必要」は、自分が褒められることに必要なだけだ。

だから、心のどこかで、「てかさ、長時間練習するより、手っ取り早く褒められたいんだよなー」が常にある。人に見せる絵以外を描くのは時間の無駄だ。欲しいのは「他者からの興味」という刺激である。

つまり、「絵を描く」ではなく、「何故か自分が褒められる世界の妄想」しかしていないのだから、上手い理由がない。

物事に例外

ただ、自分にしか興味がない人でも、絵や芸事に秀でる人がいる。それはその生存への強烈さだ。自分は褒められなければ、存在価値がない、ぐらいまで追い込まれれば、必死で勉強する。

上手くなりたいのに、何もしない人は、それなりに生きて行ける環境にある筈だ。とびぬけてはいないものの、親や知人から、それなりの意識を向けてもらえている。だから、そこまで苦労する必要は無いのではないか、そう思う。

まとめないまとめ

この文章は、自分にしか興味の無い人間が描いている。つまり、自分の思考を活字化出来ればそれで満足な訳だ。
きっとなにか、必要な接続詞や、説明がないと思う。だから「何が言いたいのか解らない」となる人もいると思う。本人もちょっとそうである。

でも、何かを言いたい訳では、多分無い。自分の思考がこう流れたという記録だ。そこから、もし、こんなものを読む人がいて、何かを、拾えたらひろってくださいな、と、このnoteという機能を使っている。

自分がいろんなことが下手なのは、何もしていないからで、上手い理由がないから。上手い人は、それが上手い理由がある。

そういえば、お料理は妻に褒められる。毎日の食事とお弁当をつくり、日々最低でも2時間はキッチンに立つことになる。買い物も週2で行く。旬の魚や野菜、妻と娘の健康状況をみながら、その季節に必要な要素を含む食事を提供する。

美味しくないと、娘にはがっつり残される→栄養が偏る→他の同年代に出遅れる→波に乗れない ので、NHKの今日の料理は録画して研究する。美味しいさというトロイの木馬に、彼女を成長させる栄養素をこっそり詰め込む高等戦術だ。つまり、ヘタな理由がない。

絵は、時間が出来たときに描く。
ヘッダの絵は、先程、4日ぶりに描いた。


そういうものだ。


おわり


あっと、この「波に乗れない」思考もまた書いておこうと思う。この思考は、色々便利だ。