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社会問題に自己責任論を振りかざす人の9割は責任回避である



※一部暴言が含まれます。苦手な方はご注意ください。記事内容に文句があればコメントにどうぞ。






自己責任論の殆どは責任回避

自己責任論の実態は政府が社会的問題を個人の責任として負わせる免罪符である。これをただの弱い者いじめと捉える人がいるのもあながち間違いとは言えないだろう。

仮に社会的な差別や不平等、経済問題など意思決定できない要因の全てを自己責任論で片付けたとしても社会問題によって犠牲になった人が何人も存在する事実は何も変わらない(社会のせいにしても解決しないけど)

そもそも人は一人では生きられない。衣食住全てが揃っている日常がそもそも尊いものでありそれが当たり前になると誰もが例外なくありがたみが薄れるので常に感謝を忘れないように。中には当たり前の生活ができない人や非正規雇用が増加した事による正社員への就職、ひいてはその為の努力にたどり着く事すらできない人も存在する。

しかし政府は自己責任論を振りかざして責任回避するのが十八番である。橋下徹が女子高生を泣かした討論がまさにその縮図だろう(手の内が分かればただの漫才にしか見えないが)。社会問題を解決するには、自己責任だけでなく社会全体の責任や協力も必要であることを改めて認識する必要がある。

本当に自分自身と向き合い己を高める事に集中している人が他人に自己責任論を振りかざす事は稀にしかないだろう。





少なくとも就職氷河期とコロナは国の問題

失業や経済的困難に直面する人々が社会的な支援や安全ネットにアクセスできるようにすることが、国の責任である。失業手当や医療制度の強化など、社会的安全保障の整備が必要。

就職氷河期は教育や雇用に関する政策の見直しを必要とし、それらを改善する事で若者のキャリア形成や雇用機会の創出につながるだろう。





自己責任と自己責任論は別物

この二つは混同されがちだが内容は180℃違う。

自己責任とは自らの行動や選択に対して責任を持つことを意味しており個人が自らの行動の結果に対して責任を取ることで成長や学びを得る機会となる。所謂個人主義的な考え方である。

自己責任論とは不運な状況を自業自得、もしくは自分が責任を負いたくないから他人に責任を押し付けるという考え方である。貧困、病気、障害、家庭環境などの全てを努力不足と吐かす奴がいる。しかし、これには社会や世界の構造を無視した無責任な責任転嫁であるケースが存在し、これを自己責任の一言で済ませるのは的外れである。そもそも構造的な社会問題が自己責任だけで済むならそれに伴い医者も警察も政治家も社会に不要な存在という事になる。

おそらく自己責任論者の9割は自分だけが責任を負わずに周囲に責任を押し付けて回る様な奴だというのはお見通しである。

以上から自己責任より正論と暴論なケースが極端過ぎる単語は他にないだろう。






無職でも生きていけるならそれでいい

就職はあくまで生計を立てる手段の一つであり、生活を維持する方法の一つに過ぎない。確かに生きるためには金が必要だが、それだけが全てではない。

収入を得る方法は仕事以外にもフリマ、生活保護、投資、ギャンブルなど複数あるが、あくまで仕事が確実に必要な金額を稼ぐ事ができる手段なだけであって他にもっと有効な手段があるのであればそちらを使えばいいだけの話。

日本文化が原因で生きる為に働くのではなく働くために生きるにシフトし、手段と目的が入れ替わっている節がしばしば見られる。ごめんね右翼君www